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修羅を曳く

今は亡き親友『ゴメンナサイスト綾重十一』著者 エザキカズヒトに捧ぐ

 俺は木馬を曳いている。

 肩には引き綱のロープがぎっちり食い込む。吐く呼気は口の中から真っ白な霧になる寒さ。だが、額から流れ落ちる汗が絶えず視界をにじませる。

 二月初旬、静岡県天竜地区は厳冬期のピークだ。しかも標高は五百メートルに近い。ここは中央アルプスの南端。北に向かって奥に進めば二千メートル級の山並みが連なる。晴天の昼過ぎでも気温は三度。辺りの人工林には一週間ほど前に降った雪がまだら模様に残っている。雪が溶け黒々と山肌が姿を見せているのは檜、そして杉の周りだけだ。連中は生きている。命があるから降り積もった雪を枝葉から振り落とし、根元の地表は自らの熱で溶かす。

 俺も生きている。だが熱いのはそれが理由ではない。頬を流れる大量の汗が顎先を伝って滴り落ち、点々と褐色の地面を濡らす。

 目を閉じて遮二無二に足を動かした。昔どこかの美術館で観た、船を曳くロシア農奴の絵画を思い出す。寒風吹きすさぶ中、長く伸ばした髭を白く凍らせ、よろめきながら綱を曳く襤褸を纏った男達、今の俺はまさしくそれだ。

 身体中の筋肉が燃えるように熱い。

 「馬鹿野郎。畜生。馬鹿野郎。畜生。」

 一歩足を踏み出すごとに罵声が噴き出す。無意識の内にそれを掛け声にした。

 木馬は丸太を山から引き出す為に使う林業の道具だ。山では木馬を「きんま」と呼ぶ。トロイの木馬でも、メリーゴーラウンドの木馬でも三角木馬でもない。

 厳密に比べれば色々違う点もあるが、要はサンタクロースがプレゼントの山と一緒に乗っかっているあの橇だ。但し、引くのはトナカイじゃなく一人の哀れな樵で、橇にはサンタクロースもプレゼントも乗っていない。もちろん、木馬が空を飛ぶはずもなく、俺が汗まみれになって、罵声を上げながらガッシュガッシュと白い息を吐き、山の斜面を引きずっている。

 木馬での出材作業は、まず道を作る事から始まる。木材を伐り出す山の中から林道まで、杣道があればそれを広げ改修して使い、無ければ山の法面を削り新しく道を作る。道幅は一・五メートル程。そこに現地調達した杉や檜、コナラや椎の木の太い枝、細めの幹を道幅に揃えて切って、一メートル位の等間隔で並べていく。丁度レールの無い枕木だけの線路をイメージすれば分かり易い。これを木馬道と言う。

この道を伐り出した丸太を乗せた木馬で下る。木馬には四分の一に切った古タイヤを先に打ち付けたブレーキ用の太い棒が括り付けてある。丸太に跨った俺がその端を握りしめ、地面に押し当て絶えず速度をコントロールしながら急な斜面を下るのだ。

 有名な諏訪神社の御柱祭りで男たちが丸太に跨って山の斜面を滑り下りる神事があるが、ちょうどその時の連中と同じ様子だ。もっとも、御柱は祭りだから楽しいのかもしれないが、俺の方は同じ命がけでも仕事だから面白くも何ともない。

 木馬道を下る出材は、左手でブレーキ用の棒を操り減速しながら、右手に握った鳶口を横の斜面に押し込んでカーブを切るところが一番恐ろしい。

調子に乗って速度を落とさずコーナーに突っ込むと、斜面に丸太が激突し、跨っている馬鹿はカタパルトで打ち出された飛行艇の如く森の中に吹っ飛ばされる。

 ご多分に漏れず俺も始めてすぐに吹っ飛ばされ、軽く十メートル斜面を転がり落ちた。最後は杉の根元に背中を思いっきりどやされて止まったが、しばらく息が止まって悶絶した。世の中何事もあほうはこうなる。

 だが、下りは一度痛い目にあって学習すれば、慎重に木馬をコントロールするだけの作業だ。さして肉体的な厳しさはない。せいぜい酷使するのは腕力位。犬だって一度棒で殴られれば同じことはしない。俺も一回杉の幹に殴られて以降は二度と丸太の上から飛翔しなかった。犬よりは少しばかり賢いと思う。多分。

 猛烈に辛い作業は、林道に辿り着き丸太を下ろした後に待ち構えている。

 ナル材を組んで作ったこの木馬は、サンタクロースとプレゼントが載ってなくても重量が百キロに近い。これを引綱のロープ一本背負って、三百メートル以上木馬道を引っ張り上げる羽目になる。

勿論この俺が。それもたった一人で。 

 親方が言うには、昔は林道なんて無かったから、伐採地から沢まで全て木馬で丸太を下ろしたそうだ。ある程度丸太が溜まったところで、石を組んで沢の水をせき止めダムを造る。そして雪代で沢の水量が増える春先にそのダムを決壊させ、一気に下の本流まで全部の丸太をぶち流す。弁当かき込みながら聞いた話のうろ覚えだが、確か「かん流し」と言うらしい。

 この糞寒い真冬に、沢水に浸かってダムを造るのはビーバーじゃなく人間の樵だ。生憎、飼い慣らそうにも日本にビーバーは居ない。カワウソならダム作れないかな?いや、連中はもう絶滅したか。

 本流に流れ着いた丸太は木曾の民謡で有名な中乗りさんがまとめて括り、上に乗っかって河口まで流して運ぶ。民謡のイメージだけなら、何とものんびりした景色が目に浮かぶが、下るのは激流で有名な天竜川だ。しかも、流れているのは猛烈に冷たい雪代水。下手打ってどぼんと落ちれば、凍えたまま丸太に挟まれすぐにお陀仏。この中乗りも樵の仕事だ。親方も若い頃は少しばかり乗った事があるらしい。

 近代林業とやらでは、俺たちの事を林業士なんて言うらしいが、この呼び名は薄っぺらいから好きじゃない。山で森を造って木を伐採し、丸太に挽いて出材するのは、今も昔も未来永劫ずっと樵だ。

とにかく、昔は何もかもがずっと大変だったそうだ。こればかりはどこでも同じ言葉しか聞かない。

四十年前なら軟弱な俺はきっと死んでいる。

 今は林道があって良かった。下ろせば後はトラックが運んでくれる。無かったら沢まで更に五百メートル木馬道作って下らなくちゃならない。

 あんまり木馬を引き上げるのが辛いから、親方に架線張ってラジキャリーで運んじゃダメなのかって愚痴ったら即座に怒鳴られた。

 「馬鹿野郎。だったらラジキャリーで材木下ろしゃいいずらが。何んでがんこに木馬で丸太下まで運んでるずらよ!」ってね。

 そりゃそうだ、架線は丸太を下ろす為に張るのだから、木馬引き上げる為だけに使うなんて本末転倒だ。確かに俺は大馬鹿野郎だ。

 もっと馬鹿馬鹿しいのは、架線張ってラジキャリー使っても、タワーヤーダでも、クレーン集材でも、ヘリコプター集材でも、林業機械って代物が揃っているこのご時世に、何で木馬なんて古墳時代辺りから使っている方法で出材作業をする羽目になったのかってことだ。

 なんでもこの山の檜林は何百年も前からどこかの立派な神社の持ち物で、明治時代から百年振りに遷宮するありがたい社殿を作るのに使うそうだ。神様の憑代になるやんごとない社殿は蒼古の神代と同じ方法云々って誠に勝手なお話で、伐採はヨキと鋸引きで行い、出材は木馬でお願いしますって事になった。おかげでこっちは有難迷惑だ。

 木馬で出材する材は全て長さが六メーター。しかも胸高直径七十センチを超える百年生以上の大檜。

山では木を伐採した後、全ての枝を切り落とし、材の太さや、曲り、節の入り具合を見て樵が三メートル、四メートル、六メートルの丸太に挽く。それを樵達は三メ、四メ、六メと言う。

 通常、皆伐出材する五十年生から七十年生迄の人工林は、大抵三メか四メに挽いて六メの材は滅多に採れない。日本建築では、二階までを一本で繋ぐ通し柱に六メを使うから値段は高い。だが、六メートルも曲りも大きな節も無く、太さも変わらない緩慢な良材って奴は殆ど出てこない。

 ところがこの山の檜は俺の知らない偉い神様のものだそうで、間伐も枝打ちも百年以上前からとんでもなく丁寧に仕事がしてある。どんな社殿を作るつもりか知らないが、丸太に挽いた材は全部六メ以上で出てきやがる。この山の急な斜度じゃ林業機械の林内作業車でも小型のクローラータイプしか入れない。六メの大木じゃ長過ぎて作業道転回する時に横転する。本来ここは出材ならば架線を張る以外に方法はない場所だ。

 胸高直径が一メートルを超える六メの材なんかが木馬にごろんとご鎮座ましましていると、見た目だけでも恐ろしい。こいつを俺一人で三百メートルも降ろすのかってね。一歩間違えば下敷きぺちゃんこあの世行きだ。

 今時、チェーンソーを使わない伐倒なんか親方以外誰も出来ない。とにかく親方は凄い。山仕事なら何でも出来る。山の事なら何でも知っている。猟期になると何頭も立派な猪や鹿を仕留めてくる。鮎の投網は惚れ惚れする程見事に打つ。鮎も渓流も釣りはしない。親方曰く、あれは遊びだ、山の男が生きていく為にすることじゃないって。かっこいいなあ。いっそ親方の命って神社の方が俺にはありがたく拝めるね。

 林業始めて三年そこそこの俺は、クリスマスの橇を引っ張るしか能が無い。だから朝から晩まで、ぴいぴい泣きながらトナカイの代わりをやっている。

 次に出材するのが百年後なら、誰一人古墳時代の再現なんか出来る訳がない。もうここでやめちまえばいい。中途半端に林道までは神代の古式法で材を下ろしたらその後はトラックで運ぶんだ。どうせなら神社まで牛馬で運べってんだ。

 初めて材を出す何とか杣祭ってやつには仰々しく新聞や雑誌の記者が取材に来て、今まで一度も顔さえ見た事もない地元名士とやらが七五三みたいに礼服着て並んでいたが、木馬で下した丸太しか見ちゃいない。

 お前ら一人でもいいからこの木馬を引っ張り上げてみろ。俺の日当は八千円だぞ。どこの何の命様か知らないが、ありがたく奉って差し上げますから、特別手当位寄越しやがれこん畜生。

あぶねえ!足が滑った。

 木馬道の盤木はたっぷりグリスが引いてあるから、迂闊に踏むとスパイク足袋でもズルズルに滑る。一旦転ぶと、一段下の曲りまで木馬諸共一気に滑り下りる。

 こいつには何度も痛い目にあった。

 道に沿って張ったワイヤーと繋がっているから谷に落ちる危険はないが、散々苦労して運んだ木馬が五十メートルも滑り落ちると泣けてくる。

 余計な事考えないでとにかく引っ張ろう。親方からも、お前はごちゃごちゃくだらねえ事ばっかり考えるから駄目なんだって怒られる。

 「馬鹿野郎。畜生。糞馬鹿野郎。こん畜生。」

 掛け声は相変わらずこれしか出てこない。しかもどんどん酷くなる。

一息つける次の平場まであと五十メートル。小学生でも走れば十秒。ところが俺は一歩進むのに十秒掛かる。

 人間、肉体的に極限まで辛くなると、勝手に涙が流れ出てくる。俺は樵になって初めて知った。汗なのか涙なのか分からない液体が顎まで滴る。唇をなめてみれば塩辛い。汗も涙も塩化ナトリウム配合だからどっちだか区別なんかつきやしない。

 無意識になると嫌な事を思い出す。

 「おい、飯田!お前貧乏坂かよ。」

 いきなりふざけた事言いやがったのは誰だったかな。そうだ、思い出した、同じ学科の寺口だ。あれは大学入ってすぐの四月だった。

 「なんだよ、貧乏坂って。」

 「車も単車も持ってない奴が登って来る坂だから、貧乏坂って言うのよ。」

 胡散臭いインチキ不動産屋みたいな銀縁の眼鏡掛けて、オールバックに油で髪を撫でつけた寺口は得意げに言いやがった。奴の趣味の悪いジャケット羽織ったスラックス姿はどう見ても十九歳の大学生には見えない。しかも手ぶらだ。一体お前は何しにここに来てんだと思ったね。

 確かに坂を登りきったところで、学生用駐車場から来る連中と、貧乏坂なる正門から登って来る歩道が合流した。

 「悪かったな。俺は貧乏なんだよ。後で昼飯奢ってくれ。」

 正直に答えると、寺口の野郎はあからさまに嫌そうな顔して逃げていきやがった。

案外ケチな野郎だ。

 その後、寺口とは四年間で十回位会話しただけだ。それでも百二十人の学科同窓生の中では親しい奴だった。

 思い返せば大学時代、俺に寄り付いてくる奴は誰も居なかった。ずっと一人だ。

 丸刈りの坊主頭で、服はいつも作業着。名前は最後まで知らなかったが、同じゼミの女が卒業間際になって「飯田君の事ずっと右翼だと思っていたけど、本当は違うんだね。」ってビックリした表情で言った。誤解するにも甚だしい、俺はタテの会にもヨコの会にも属した事は一度もない。

 とにかく金が無かった。

 床屋に行く金が無いから髪は電動バリカン使って自分で刈っていた。服だって一番安くて丈夫だから持っているのは全て作業着。

 入学式に作業着で出席したら、入り口の係員に指示されて、着いた先が父兄参観席だった。結局、式の最後まで、大講堂の二階席でどこかの知らないおっさんやおばちゃんと一緒に間抜け面して並んでいたが、自分が入る大学の入学式を、最後まで観覧して終わった奴なんて絶対に俺一人だけだ。入学式はスーツが決まりなら、案内にちゃんと書いておけ。それなら俺は最初から出ない。

 入学前の春休みはずっと建設解体現場でアルバイトをしていた。毎日重機の横で高圧ホース持って水かけて、アルミ枠まとめて、ダンプの荷台にカバー掛けしていたから私服は作業着しか無い。高校の学ランは後輩に売った。当然、スーツなんか着た事すらない俺が持っているわけがない。

 世の中毎日株価高騰だ、地価高騰だ、バブル景気万々歳って馬鹿騒ぎしていたが、俺は仕送りも無い天然記念物並みの勤労学生だ。借金踏み倒して逃げ回っていたチンピラ親父は金なんかこれっぽっちも持ってない。奇特な親戚の伯母さん連中が、学費だけは一族で一人きりの男だからって古臭い理由で出してくれたが、親父が銀行様から借りた三千万をインチキ会社潰して踏み倒してくれたおかげで、奨学金制度使って金借りることも出来やしない。ありがたい事に、金融ブラックリストとやらに名前が載っているんだそうだ。もっとも俺は餓死したって借金は嫌だ。

 志望校落っこちて、滑り止めの三流私大に嫌々入ってみたら、推薦入学の要領のいい坊ちゃん嬢ちゃんばっかりだ。

 入学して三日でここは異国かそれとも遙か彼方の異星なのかって驚いた。

 下宿先は四畳半風呂なし便所なし何にも無しで家賃は月二万五千円。夏は糞熱くて時々でかいムカデが部屋の中でうろちょろしやがる。冬は窓が凍って開かない。腐った貧乏長屋六部屋の内、三部屋は空き部屋。しかも一部屋は芸大生のアトリエで、一人だけ住んでいる同じ大学の奴は、部屋に籠って四六時中司法試験の勉強だから碌に会話もしたことが無い。こんな奴がまかり間違って司法試験受かった日には、三流私大出の貧乏人弁護士様誕生って奴だ。劣等感で根性ひん曲がっているから絶対に碌なことしやがらねえ。しかも、奴はちゃんと仕送りがあるから働かずに勉強が出来る。まだ俺より数段恵まれた妬ましい坊ちゃんだ。

 畜生、俺の方がもっと根性ひん曲がっているじゃねえか。

 しみじみフォーク世代が羨ましかった。あの歌詞がフィクションでなければだけど。何度あの学生用駐車場に並んだ車全部に火付けてやろうと思ったことか。

 そうか、実際俺は一人ぼっちの右翼?左翼?・・・いや、全然違う。俺のセクトは一番過激な貧乏だ。世界中の革命は全て貧乏から始まった。主義も理論も関係あるか。人間は寒くて腹が減っているから行動するんだ。インテリゲンチャの嘘くさい屁理屈なんかで人が動くかよ。

 毎日、講義が終わると夕方から清掃のバイトを二時間。その後ファーストフード屋でハンバーガー焼いて四時間。下宿に帰って寝るのが午前一時。時給は六百二十円。日曜はレストランでウエイターを八時間。それでも収入は月に十万だ。しかもよせばいいのに、欲に目がくらんで少しばかり余った金を博打につぎ込んだ。学生如きが親父の財テクやらに便乗して株買ったら百万、二百万儲かっちゃったなんて教室で自慢しているご時世に、月に一回なけなしの一万円札握りしめてギャンブルしたって惨めになるだけだ。それに気づくのに丸々一年の時間と二十万もの金を使っちまった。

 馬鹿だ、やっぱり俺は本物の馬鹿だ。

 いつも通りの結論に行き着いたところで、ようやく木馬道の曲がり角にある転回用平場に辿り着いた。

 木馬の下に鳶口を当てがい、梃の原理で九十度向きを変えてやっと足が止められる。

 たかだか五十メートル進むのに二十分。おかげで俺はウンザリする程楽しい想い出に浸れるわけだ。

 木馬に座って大きく息をつく。午後の一服をつけるにはまだ早いが、胸のポケットから潰れたハイライトのパッケージを引っ張り出し一本咥えて火をつける。思いっきり吸い込んで吐き出した紫煙はタバコなのか凍った呼気なのか区別がつかない。

 そういえばハイライトって肉体労働者のタバコだってどっかで聞いたな。俺はこれしか吸ったことがないが確かに旨い。

 仕事に厳しい親方も木馬の引き上げがしんどい事を知っているから、煙草一本位は大目に見てくれる。   

 おかげで普段ならすぐに飛んでくる叱責の声も無い。

 襟元から引っ張り出したタオルは汗でぐっしょり濡れている。ヘルメットを脱ぎ、そいつで頭をガシガシ拭う。

 真冬の今は、いくら暑くても止まればすぐにクールダウン出来る。真夏の下刈りや除伐よりはまだましだ。強烈な太陽光が脳天を叩きつける炎天下、崖みたいな足場の悪い法面で下刈りをしていると、一息付く度に噴き出した自分の汗で溺れそうになる。

 すぐにスパイク足袋と脚絆の汗で黒く濡れた辺りが猛烈に冷たくなり、じんじんと皮膚を刺す痛みになって寒さがしみ込んでくる。どうせあと百メートルは登る。ここで一回凍死しても生き返るには十分だ。

 米は毎日五合食う。朝一合、昼二合、晩に二合だ。その全部のカロリーを山の中で燃やし尽くすから体重は全く変わらない。おかげで、身体だけは見事に贅肉一つない筋肉の結晶みたいになった。エントロピーの増大って奴を俺は日々体感している。

 さあ、今日も後三時間。もう一回材降ろして、この糞重い木馬を引っ張り上げれば終い。帰ったらまた二合飯食って、明日分の五合炊いて、アダルトビデオでオナニーして寝るだけ。

 そういえば、親方唯一の洒落が山で生薬のセンブリ見つけると必ず「やあ、いいか、こりゃセンブリだぞ。センズリじゃねえずらよ!」って奴だったな。

 言われる度ににやにや笑って「センズリってなんすか?俺分かんねえっすよ。」って返すのもマンネリになってきた。そろそろ別の返事を考えよう。

 女か。ここの半径十キロ内に女は居ねえな。俺はまだ童貞だ童貞、二十五歳で童貞だ畜生。

大学入ったばっかりの生きる経験値が全然足りない時分に、一回だけバイト先の先輩に誘われ浮かれてファッションヘルスに行ったが、やる気のなさそうなおねえちゃんにしごかれて三万円。おかげでその月の飯は食パンと水だけで餓死するかと思った。以降、風俗には二度と行かなかった。いや、あと二回行きました、俺はやっぱり駄目人間です。ごめんなさい。

 偉大なるキチガイ哲学者様の言う通りだ。人間はあほうだから体験しなきゃ何一つ理解できねえ。更に俺はその中でも極限の馬鹿だから分かるまでに都合三回だ。

 バイト先で知り合った女子大生から誘われて、喜び勇んでデートに出かけてみれば、何にも無い俺に呆れ果て、はいそれまでよだ。一人だけ真面目に俺と付き合おうとした女が居たが、なんだか恐ろしくなってこっちが逃げちまった。

 だってそうだろ。アッシー、メッシー、ミツグ君、キープ君。それからあと何だ、テープ君、本命君か。アッシーなんて言われたって、俺には車どころか運転免許が無い。貢ぎたくても、メッシーしたくても金が全然無い。無いったら何にも無い。冷蔵庫も、ビデオデッキも、CDラジカセも無い。部屋にあるのは粗大ごみ置き場から拾ってきたテレビだけ。

 そんな俺が女子大生様のツードアクーペの助手席に乗せられて、海にドライブなんか連れ出されたら、それもピカピカ光るダークグリーンのかっこいいやつだ。腰を抜かして逃げ出すしかない。

 貧乏だって童貞だって、人並み以上に馬鹿な男の矜持だけは持ってんだ。

 いや違う、そいつは嘘だ、矜持なんてかっこいい代物じゃない。自信が全く無かった。裸一貫十九歳の貧乏男に自信なんかこれっぽっちもあるか。

 でもいい女だったな。菓子のCMに出てる女優に似てた。すらっと伸びた綺麗な足してたな。彼女はなんで俺なんか気に入ってくれたのだろう。からかい?憐み?母性本能?全く分からない。逃げ出す前にセックスだけはやっときゃよかった。いや、そんな下司野郎は俺の柄じゃない。でもこんな山奥まで来たら二度と会えないな。

 樵は6K仕事なんて一体誰が言い出しやがった。きつい、汚い、危険の3Kに給料が安い、休暇が無い、結婚できない足して6Kだって。なめやがって。追加で木馬を真冬に引っ張るで7Kだ。でも、旨い事言いやがったな。

 結婚出来ない・・・そりゃそうだ。山に女は居ない。とにかくこんな田舎じゃ見掛けた事も無い。土曜に山で仕事していると、時々車に乗った若い男女が林道に入ってきやがる。林業は平成のご時世でも月月火水木金日だ。来るのは当然街の奴ら。一緒に出材のおろし子していた西川先輩曰く「のつんび」が目的なんだそうだ。要するに青姦だ。聞いただけでも勃起するが、妬ましくて覗く気も起きやしねえ。

 どんどん腹が立ってきた。女欲しい。セックス。結婚したい。

 辺りの檜は全部デカい。おかげで日差しなんて一筋も差し込まねえから薄暗くて、檜皮の赤茶色と下生えシダの濃緑と焦げ茶の地べたしかねえ。

 こんな暗色ばっかりの景色見回したって気が滅入るばっかりだ。残った雪のまだら模様が葬式の垂れ幕みたいに見えやがる。

 なんだなんだ、さっきからウグイスの野郎が藪で「チャッチャチャッチャ」やかましく地鳴きなんかしやがって。うるさい。うるさい。何羽も俺の周りに集まって来るな。どっかに行け。鳥までオスばっかりじゃねえか。お前ら鳥類のくせしやがって、俺が童貞だって馬鹿にして群れ集まってきているんだろ。きっとそうだ。保護鳥だか何だか知らねえが十二番ゲージの散弾ぶち込むぞこの野郎。

 「ほうっ!」

 あ、やばい。親方がとっとと上がって来いって言っている。相変わらずよく響くいい掛け声出すなあ。       

 おっと、感心している場合じゃない。

 はいはい、分かった、分かりました今行きますよ。返事だけはしねえと後でまたどやされる。

 「やあっ!」

 深い山の中では、距離が少し離れると声は森に?まれて掻き消える。そこで樵は腹から一瞬吐き出す呼気に音を乗せた独特の掛け声で会話する。日本版のヨーデルみたいなもんだ。

 最後にみみっちくハイライトをフィルターの根元まで一服吸い込んで吐き出す。やっぱり旨いや。

 さあ、もうひと踏ん張りだ。掛け声上げて立ち上がると、痛てて、足の筋肉が全部痛い。酷使して、しかも急激に冷やしたから筋肉ががちがちに固まってやがる。慎重に屈伸して。うん、これで準備完了。

 引き綱を右の肘から二の腕に巻き、肩に回して掛ける。引綱の当たる鎖骨の上にタオルを丸めてロープと挟む。これをやらないと肩の皮が赤くズル?ける。因幡の白兎の苦しみが簡単に体感できる。こんな山奥じゃ大黒さんも助けに来ねえ。

 腰を落として思いっきり息を吸い込む、目瞑って歯喰いしばって腹筋固めて背筋伸ばして使える筋肉は全部駆使して全身を梃に一気に引く。

 よし、動いた。それからやっと足を前に出す。一丁前に木馬の野郎も慣性の法則に従ってやがるから、止まった状態から一センチでも動かすのには猛烈な力がいる。足の力だけじゃピクリとも動かない。後は勢いつけて木馬道を登る。一歩一歩足を踏み出す。腿も脹脛も筋肉が燃える。膝が腰が肩がギシギシ軋みやがる。

 十メートルも進むともう暑い。額に滲んだ汗が一筋流れて来た。なんで俺は糞山奥でこんな仁徳天皇陵作るみたいなことやってんだ。

 「馬鹿野郎、畜生。セックス、セックス。馬鹿野郎、畜生。」

 動け、登れ、休むな。

 大学は大嫌だった。物凄く嫌だった。何で辞めちまわなかったんだ。四年間毎日羨ましくて妬ましくて怒っていただけだろ。ちゃんと中退した奴だって居たぞ。福島の野郎は二年の時に女孕まして辞めた、武田の野郎は二年留年して辞めた。渡部の野郎なんかゲーセンでナンパした女子高生孕まして消えたじゃねえか・・・でも貧乏に怒り狂った挙句中退したって奴は居なかったな。俺が辞めてりゃパイオニアだった。ちょっと惜しいことをした。

 でも中退したら負けだと思った。とにかく悔しかったから働いて、働いて、働いて、時々勉強して四年間過ぎたら卒業していた。

 勉強は面白かった。三流私大でも金だけはあるから一流の先生が何人もいた。哲学と仏教学は特に好きだった。哲学も仏法も貧乏なんて関係なく全て自分の思考の中で完結できるからありがたかった。一番傾倒した先生は、二年の終わりに揃って馬鹿ばっかりの学生に呆れてどっかへ行っちまった。残念だった。あの先生のゼミなら一番金が要らない。他のゼミはフォークロアで東南アジアだの、漢文学で中国だって研究旅行とやらに行かなきゃならねえ。全部金、金、マネーだ。

 俺は一番金のかからなそうなゼミを選んで入ったが、国内の研究旅行にさえ一回も行けなかった。卒業旅行がオーストラリアだって?遙か彼方の異国なんて、とんでもない懸賞にでも当たらなきゃ生涯行く事は叶わないパライソ、シャン・エリゼ。俺にとっては狂気の沙汰だ。そんな金ある訳ねえだろ馬鹿野郎。終いにゃ卒業アルバムすら買えなかった。高級ホテルでの卒業パーティーがセットになって三万円って、なんだそりゃ。

 アルバムだけ呉れないかと編集委員の奴に言ってみたら、珍獣見るみたいにじろじろ俺を見やがって、仕舞いに困った顔して無理ですだって。ふざけるな。俺は人面魚か。おかげで自分がどんなアホ面さげて卒業アルバムに載っているのかさえ分からない。

 背広だって、四年の春になけなしの金はたいて買ったリクルートスーツ一着きり。糞寒い卒業式には入学式と同じ作業着だ。さすがに父兄参観席に回されることは無かったが、学位記渡す時に教授が露骨に嫌そうな顔した。ざまあみやがれ。

 よし、順調に五十メートル登ったぞ。もう一回ここで木馬の転回だ。とりあえず怒りを力に変えれば結構うまく進む。今度は木馬を止めない。最後の五十メートルは全身のエネルギー振り絞って勢いで登る。この仕事は気力が萎えると引けなくなる。体力の限界はとうに超えてんだ。

 さあ、行くぞ。最後の五十メートル。

 「馬鹿野郎、畜生。金、金、女、女。馬鹿野郎、畜生・・・」

 やっと谷側の視界だけは開けて来た。間伐がきっちりしてあるから、大檜の幹の間を抜けて遠景が見える。少しだけだが気が晴れる。遙か彼方に真っ白な中央アルプスの山並み。毎日何回眺めても、くっきりと真っ青な空を切り裂く鋭い稜線が素晴らしく気分が良い。脳裏に焼き付いて夢で見る位堪らなく好きだ。オナニーしてなきゃそれだけで夢精したっておかしくは無い。俺は頭がいかれているのかもしれないが、真冬のアルプスに勃起するんだ。誰に何と言われようが他に形容出来ない。白銀を頂きに纏いなんて気色の悪いおべんちゃらを並べたら本当の美しさが汚れちまう。

 向かいの山は杉林だな。もう山全体が薄黄色になってきている。そろそろ花粉が舞いだす頃だ。初めて 見た時は局地的黄砂かと思った。

 いつだって山は美しい。空も、木々も、草も川も、岩や石ころだって目に飛び込んでくるものは全て美しい。汚いのは俺一つきりだ。

 残りは四十メートル。鋸で丸太挽いている親方の姿が見えて来た。相変わらず惚れ惚れする位様になっている。あんな長い鋸使っても綺麗に真っ直ぐ材が挽けていく。俺が一度挑戦させてもらったら、見事に斜めに挽いて材を駄目にした。根性がひん曲がっているから鋸も曲がるのか。いや、下手糞なだけだ。

 あそこまで辿り着けばもう一往復して今日は仕舞だ。なんだよ、まだ一回残っているのか。腹減った。   もう帰りてえなあ。畜生。

 後三十メートルまで来たぞ。

 足がガクガク震えてきやがった。しっかりしろ俺の右足。

 しかし、あの時の就職課の担当者の顔は面白かった。一次産業の仕事紹介してくれって頼んだ時だ。真っ先に学生証見せろと言ったから、きっと校内の清掃員だと思ったのだろうな。その後まさしく鳩が豆鉄砲をくらったような顔して、しばらく俺をぽかんと眺めてから本気なのかって聞かれた。あれだけ長い事見つめられたら、こっちにその気が無くたって恋に落ちちまう。もっとも担当者はしょぼいおっさんだったけど。

 就職課に一次産業の新卒求人なんて無かった。なげやりに提示してきた農協を回ってみたら、どこもかしこも金融課に配属するって言うからその場で全部断った。俺は金貸しなんかになるのは真っ平ごめんだ。

 それから独力で探しに探してやっと辿り着いたのが養魚場と天竜の山だった。どちらでも良かったが先に採用してくれた林業に決めた。

 何故一次産業を求めたのか?それは、俺が四年間に蓄積した貧乏劣等感のせいだ。大学の連中と同じ土俵に上がりたくなかった。

 バイトバイトの毎日で教員資格の単位も、司書補取得単位も取れやしねえ。長期休暇に入ると何人も姉妹校制度とやらを使って海外の大学へ短期留学に行きやがる。それが二ケ月で八十万だ。年間学費よりも遙かに高い。それでも二回三回と遊びに行ってきた奴らが戻ってくるといとも簡単に英語を話しやがる。

あっちじゃせいぜい中学生レベルかもしれないが、挨拶だってろくに出来やしない俺にとっては驚愕以外の何ものでもねえ。

 こいつらと同じ仕事には絶対就きたくなかった。だってスタートラインが最初から全然違うじゃねえか。

 バブル景気も弾けたばかりで、まだどの業界も就職は売り手市場だ。同じゼミの連中がやれ地元の教員採用試験に受かっただの、大手の何とかエージェンシーに就職決まっただのと楽しそうに自慢している時、俺はようやく貯めたバイトの金で自動車学校に通っていた。

 バイト、卒論、就職活動、普通自動車運転免許取得、周りの奴らが遊び倒している四回生が俺は一番きつかった。

 人間は何が不幸かって?

 それは自分が所属する社会で最底辺に属する事だ。

 高卒で働いている連中のほうが大変だろ。アフリカで飢餓に苦しんいでる人達の方がもっと辛いだろって言われても俺は鼻で笑ってやる。自分が属して無い世界がどんなに厳しかろうと、関係無い奴には絶対分からねえんだ。貴族だって一番底辺の某五位って奴は辛い。国王だって一番ちんけな国の王様は不幸なんだよ。

 俺は意地になってバブルって時代を面白おかしく楽しそうに過ごしていた連中と、百八十度方向が違う一次産業に仕事を決めた。就職先の報告も大学にはしなかった。

 それが俺のルサンチマンだった。

 就職課発行の卒業者就職先一覧では無職だ。もっとも、同窓で俺の事覚えている奴なんて今は誰一人居ないだろう。

 尾崎豊の曲にアンチバブルマイノリティ層の若者達が共感したって雑誌の記事にあったが、何度聞いてもさっぱり分からねえ。俺はもっと下のヘイトバブル階層に生きていた。

 ああ、辛い。筋肉が猛烈に痛い。身体中の骨が全部バラバラになって崩れそうだ。

 残り二十メートル。口からまとめて内臓全部吐き出しそうだ。

 「畜生、痛てえ。畜生、痛てえ。」

 情けない掛け声だ。厳しい仕事だけは毎日積んできているだろ。嘘くさい根性なんかじゃねえ、何事も鍛錬だ、鍛錬の積み重ねが気力を作るんだ。

 林業三年先輩の浜口さんが言っていた。元第一空挺師団つまりレンジャー部隊出身だって経歴聞いて、

 「凄いっすね。元レンジャー隊員なら樵なんて余裕ですね。」

 俺は少し憧れ感出して話し掛けたんだ。そしたら途端に浜口さんが嫌な顔をして妙な事を言い出した。

 「飯田、お前、夏になるといつも捕まえたマムシの生き胆食って、蒲焼にして食っているだろ。」

 「え?誰だって食うじゃないですか。夏バテ対策には有効だって。大して美味くは無いけど、勿体ないし、なんて言ってもタダですからタダ。」

 山でマムシを見つけた時は必ず殺す。それが決まりだ。最初は別に咬まれた訳でもないのに、毎回殺すのは嫌ですって親方に言ったら「殺生は誰だっていやずらが、マムシ見逃した場所で、他の人が咬まれたって後で知ったら後味悪いずらよ。」だって。なるほど山の決まりはちゃんとした道理がある。綺麗ごとは一つもない。今は俺の食料確保も目的だけど。ありがたく頂かなきゃもったいないお化けが出る。

 「空挺師団の隊員があんなもの食うのは、サバイバル訓練の時だけだ。だから俺は食わん。仕事中の死人も樵の方が多い。自衛隊は演習だが、こっちはずっと実戦だ。余裕なんかあるか。」

 さすが元空挺師団カッコいい事言うなって感心した。でも、浜口さんは夏の終わりに樵を辞めて山を下りた。きっとマムシ食ってなかったからバテたんだ。

 そんなワケないか。クレーン操縦士や各種資格をいくつも持っていたし、浜口さんならバブル景気崩壊した就職氷河期とやらの今だって、金になる仕事は沢山ある。親父さんが身体壊して山下りたから、一家揃って街に移住したのだ。

 確かに仲間は死ぬ。顔見知りの樵が年に一人は労災事故で死ぬ。去年は静岡県だけでも十人以上お亡くなりになったそうだ。だから俺の知らない樵はもっと死んでいる。従事者数との比率で考えたら日本最高死亡率産業だ。

 皆伐の現場で伐倒木の下敷き、自分が伐倒した木の跳ね上がった元口にぶん殴られて頚椎骨折、架線集材中に台付けワイヤーが切れて落ちて来た丸太にぶっ潰される。ヘルメット被っていたって何トンもの衝撃喰らえば一発でお陀仏だ。

 無線が入って救助の手助けに行く時は大抵死んでいる。人間の脳味噌が白いなんて実際見なきゃ一生知るわけがない。勿論、知らないで済めばその方がいいに決まっている。

 一番辛かったのは、出材の集材機運転していたベテランの大先輩が、突然倒れた主索ワイヤー用の元柱に挟まれた労災現場だった。

 架線集材とは、伐採した木材を山の中から引っ張り出してくる一連の作業の事だ。山の斜面にロープウェイ張って、人が乗っかるゴンドラの代わりにウインチの付いた集材搬器を主索ワイヤーにぶら下げる。そいつで丸太にした材を林道まで運び上げたり降ろしたりする。林業では樵の腕がモノを言う重要な仕事だ。

 幾つか架線方式があってタイラー式だのエンドレスタイラー式だの、ダブルエンドレス式なんてのがあるが、タイラーさんが何者なのか俺は知らない。とにかくこの辺りの山じゃ大抵がこの方式だ。

 集材機って奴は、出材丸太ぶら下げた搬器を引っ張り上げる要はデカいウインチだ。搬器に繋がったワイヤーの巻き取りドラムが前に付いていて、発動機とギアで回す。ドラムの後ろの座席に操縦士が座って、発動機回転調整、ドラムの巻き替え操作や、ブレーキ操作をする。その操作用の金属製レバーが目の前に何本も並んでいる。操縦者はそいつを動かして出材作業をする。その操作中に大先輩の真後ろにある主索ワイヤーの元柱に使っていた立木の檜が、ワイヤーと搬器と吊り下げた丸太の都合何トンかの荷重に耐えられず、根っこごとぶっ倒れた。元柱を抑えるリフティングラインのワイヤーも全部切れて一瞬でドカンだ。いくら熟練した樵の反射神経が凄くたって人間には限界がある。

 大先輩は背中から胸高直径六十センチの檜の幹に集材機に向かって押し込まれた。そして操作用の金属レバーが腹から背中に突き抜けた。俺は樵になるまでとんと知らなかったが人間の肉体ってのはとんでもなく脆いんだ。

 現場に救助に入った時はもうどうしようも無かった。救急隊員は危ないからって理由で遙か彼方でタンカ持って突っ立てるだけだ。こいつ等はいつも山じゃ何の役にも立ちやしない。俺たちはすぐに大先輩の所へ行った。こんなことで腰が引けていちゃ樵なんか出来ない。

大先輩はまだ生きていた。ショック症状対策に身体を毛布でぐるぐるに巻かれていたが、何百キロもある主索ワイヤー吊り外して、倒れた元柱切り離して、二重災害にならないように慎重に一通り作業すれば、救出だけでも軽く一日は掛かっちまう。

 もう助からないのは一目見て分かった。大先輩は「だんごかねえ失敗した。すまん。」しか言わない。痛いとか助けてくれなんて一言も無かった。本物の樵は絶対泣き言を口にしない。

 その時は多分俺も・・・痛い痛い助けてくれの連呼だろうなあ。

 架線を張るには十分に荷重設計して、安全係数もしっかり計算して道具立てをする。林業架線作業主任者って国家資格があって、ベテランの樵は皆取得しているが、その規定値以上に余裕を持った架線設計をする。なによりも経験の積み重ねが一番大きい。単純な落ち度は絶対にない。ペーパーテストで取得できる国家資格は三分の一人前の俺でも持っている。

 問題は主索のワイヤー支柱が元柱から先柱まで、サドルブロックぶら下げた中継柱も含めて全部生きた立木って事だ。

 タワーヤーダやクレーン集材は、少なくとも元柱は鋼鉄の工業製品だ。仕様書さえあれば諸元性能は全て記載されているから素人の俺でも分かる。だが、立木の耐荷重強度は樵の経験値でしか分からない。

 杉よりも根の張りが浅い檜は、土の中で岩を抱いているか否かで元柱に使う判断する。ベテランの大先輩達は、周囲の地形と立木を見ただけでそれを見抜く。俺はユンボで根元を掘ってみなけりゃ全然分からないが、彼らにはそれが分かる。

 しかし、岩を抱いている根が切れている時や、腐りが入っている場合は分からない。今回の事故原因は全てこの土の中の問題だった。

 とんでもなく厳しい顔した親方が、別の現場にいる大先輩の息子を呼んで来いって俺に言った。息子のてっちゃんは同い年だが林業高校出てすぐに樵になった奴だから山では四年先輩だった。俺とは不思議と気が合った。

 大学時代は一人も居なかった友人がここには何人も居た。

 すぐにトラック飛ばして、てっちゃんを連れて来た。何が起きたか無線で知っていたあいつは現場まで一言も話さなかった。伐倒する大径木にチェーンソーで切り込む時みたいに、冷徹で澄み切った、まるで聖者みたいな顔してやがった。

 てっちゃんは現場に着いて親父の元に駆け寄ると、しばらく何か話していた。何度も真剣な顔して頷いていた。俺たちは、離れた場所からその様を見つめる以外、出来る事は何も無かった。

 大先輩はその日の夕方、集材機に刺さったまま死んだ。

 てっちゃんは最後までずっと横に立っていた。

 あいつは最後に俺のところに近づいてくると「ありがとう」ってぼそっと乾いた声で呟いた。

 馬鹿野郎が。たった一人きりの立派な樵の親父が目の前で死んでありがとうじゃねえだろ。その場で二、三発殴られたって俺は黙って我慢してやる。

 てっちゃんも俺も、その場にいた仲間は誰一人泣いてはいなかった。これっぽっちも涙なんて流していない。ただ淡々と仲間が一人死んだってことを全身全霊認識しただけだ。

餓鬼の頃からずっと友達で、樵になってからは何十年も一緒に命預け合って働いてきた親方だって、血の気の引いた真っ白いデスマスクみたいな顔のまま「野郎、しょうがねえずら。野郎、しょうがねえずら。」って念仏みたいに呟きながら黙々と救出作業を続けていた。でも、涙なんか一滴も流さなかった。

皆身体の中のどっかで号泣しているんだ。そういう場所が樵は心に出来るんだよ。でも、外側には一切出ない。

 ハードボイルドだって?笑わせやがる。そんな安っぽい既製品じゃない。

 厳しい自然との闘いに、人間の感傷なんか入り込む隙間はどこにも無い。仲間は全員お釣りが貰えるくらい、人の死って奴に対してスポイルされていた。

 この凍りついた感情は、街で暮らしている連中には想像すら出来ない。毎日爆弾が降って来るか、壊滅的な大地震でも起きなきゃそのかけらだって一生涯絶対に分からないはずだ。

 偉大な自然の優しさに包まれてなんてコピーは大嘘だ。

 本物の自然って奴はとことん冷酷で無慈悲で恐ろしいんだよ。絶えず謙虚に十歩も二十歩も後ろに下がって構えていなければ直ぐに殺される。

 演習じゃねえ、確かにここは実戦だ。

 日当八千円で四六時中命懸けかよ。

 「畜生、金。畜生、女。畜生、セックス。畜生、死んじまうぞこの野郎。」

 俺だって命張ってこの山で三年間樵やってきたんだ。ここで止まってたまるか。

 あと十メートルだ。九メートル・・・八メートル・・・七メートル・・・

 曳くぞ、踏ん張れ、俺はあいつらに負けたくねえ。見てろよ絶対負けねえぞ。

 糞重たい木馬だ。どんどん重くなりやがる。子泣き爺でも乗っているんじゃねえのか畜生。

親方曰く、昔は「担ぎ」って呼ばれる出材専門の樵が居たそうだ。毎日丸太を肩に担いで、木馬を曳く仕事を何年も何十年も続けると、肩に毛が生えてくるんだそうだ。そうなったら一人前だって。山にはすげえ連中が居たんだよ。

 そうだ、木馬は北日本の山では修羅って言うんだ。木馬の出材作業を修羅曳って呼ぶんだよ。きっと阿修羅の修羅だ。俺は怒り狂って生きてきた阿修羅だ。大学入学のあの日からずっと修羅を曳いているんだ。阿修羅が修羅を曳く。怒りで我を忘れなきゃ、こんなろくでもない代物一日中曳いていられるか。

 「畜生、畜生、断じて進め。畜生、畜生、断じて進め。」

 あと三メートル・・・二メートル・・・一メートル!

 そら、登り切ったぞ。どうだ。これで今日は四回目だ。

 木馬の足に留木を噛ますと、俺はそのまま地べたにひっくり返った。何度息を吸っても吐き出せない。苦しい。熱い。全身から白い湯気が立ってやがる。

 「やい、材は乗せとくから少し休んでろ。」

 鋸引きの手を止めて俺を見た親方が、少し笑った。珍しいな。相当みっともない有様なのだろう。

 「いや、一緒にやります。」

 「いいから、そこで休め。がんこにきつい仕事ずら。次が登れねえずらよ。」

 もう丸太をきっちり六メの材に挽いて、木馬道の脇に準備してある。それも三本。さすがに仕事が早い。しかもその材全部を一人で木馬に乗せるのかよ。相変わらず凄いおっさんだ。五十歳過ぎて俺の倍は仕事をこなしやがる。まったく化けもんだな。

 申し訳ないばっかりだけど、まだ立てない俺はきびきびと鳶口を使って、見事に六メの丸太を木馬に積み込む親方をぼんやり眺めていた。

 やっと呼吸が落ち着いてきた。無意識にポケットから一本引っ張り出したタバコに火をつける。一口ゆっくり吸い込むと、疲労しきった身体中にニコチンが沁み渡って気が遠くなりそうだ。

情けねえなあ。俺より三十近く年取った樵がきつい力仕事を目の前でこなしているのに、こっちは立つ気力もねえ。

 修羅曳きか・・・怒り狂った阿修羅が帝釈天に戦いを挑んでも絶対に敵わない。何度も何度も挑戦して、どんなに負けても阿修羅はまた戦うんだ。

 絶えず怒りを原動力として戦い続ける。それが阿修羅道地獄。

 細く紫煙が立ち昇るタバコを唇の端に咥えたまま、ふと見上ると黒い樹冠を抜けたその先に、吸い込まれそうに真っ青な冬の空が広がっていた。

 途端に俺の頭の中がスコンッ!と音を立てて空っぽになった。意地や矜持や劣等感なんて余計なものが全部無くなって、本当のかっこ悪い、情けない赤裸々な痩せっぽちの自分がはっきり見えた。それを直視するのが身震いするほど恐ろしかった。

 ああ、俺はやっぱり駄目だ。

 親方、てっちゃん、西川先輩すいません。本当にすいません。やっぱり、俺はどんなに負け続けても立ち上がる阿修羅にはなれそうもありません。

 女が欲しい。金が欲しい。結婚したい。

 ちくしょう。コテンパンにやられた。今度は本当にもう立てねえ。

 徹頭徹尾負けました。

 決めた。今度の日曜日は街に行ってスーツを買うんだ。

 俺はタバコの吸い殻を作業着のポケットに捻じ込んでゆっくりと立ち上がった。

 まだ一回、最後の修羅曳きが残っている。

 汗が引いた俺の身体を山の冷気がぎゅっと強く抱きしめた。



 見回すと周りは全て白かった。

天井も壁も、閉められた窓のカーテンも、床もそしてベッドも。

 入院してから一週間が過ぎていた。

 仕事中、しかも客先で商談中に倒れた私は救急車で最寄りの病院に運ばれた。CTスキャンですぐに厄介な病状だと判断した医師が、即日大学病院への転院を判断したらしい。

 らしい、と言うのはその時はまだ私は意識不明の危篤状態で何も知らない。

救急医の判断が正しかった事は検査の結果すぐに判明した。主治医の医師が言い難そうに診断結果を私に告げた。

 深刻な病状を患者に告げる時、医師はベッド脇の椅子に座って話す。確かに上から覗き込まれて重大な病名を告げられるより、患者目線で言って貰えるほうが気持ちは楽なのかも知れない。

 だが、両肘を膝につき、祈るように手を合わせて話し始めたのはどうもいただけない。まるで私が懺悔の告白を聞く神父のようだ。告げられた病名は、テレビドラマの悲劇的なヒロイン設定でよく使われる、いたってポピュラーなものだった。私は特に詳しい病状説明を受けるまでも無く、なるほどこれで死ぬのだなと理解した。

 医師は深刻な表情を浮かべ、手術は行うが非常に難しい。成功する可能性は低いと言った。なかなか正直で信頼できるドクターだと私は安心した。

 医者の口先がいくら達者でも患者の病気は治らない。重要な事は経験に裏打ちされた専門知識とオペの技術的熟達度だ。そして、どんな名医が手を尽くしても人は必ず死ぬ。医学の進歩とは所詮、まだ死なない一日を伸ばすだけの些細な抵抗だ。

 覚悟を決めて宣告をしたらしい医師は、私の動じない有様を誤解したらしく、言い難そうにもう一度病名を告げた。

 「分かりました」私は静かに答え病室の白い天井を見上げた。

 原因は今時珍しくもない過労とストレス。こうなる事を薄々予感しながら、ここ数年過ごしてきた。二十年間、自分でも分かる位どこか壊れた様に働いてきた。絶えず後ろめたさを感じながら。

 山を下りてからずっとスーツを着て生きて来た。

 結婚、子供、新車、マンション、ゴルフ、年収八百万円、管理職の肩書、個人投資、エトセトラ、エトセトラ。手に入れたものは全て私がバブル景気時代に嫌悪し、そして無意識下で熱望していたものだった。これらはバブル世代共通の阿頼耶識なのかも知れない。

 しかし、ずっと罪悪感を背負っていた。それを忘れるために只がむしゃらに働き続けた。それが私の独り善がりの贖罪だった。

 絶えず思い続けた。この世界は虚構だけで組み上げられていると。毎日が演習だった。最後まで仕事に誇りは持てなかった。 

 あれほど渇望した金を握りしめても、生きている実感は持てなかった。ようやくそれが画餅に過ぎなかった事に気が付いたのはこの冷たいベッドの中でだ。

 一瞬でも気を抜けば、すぐに死が舞い降りるあの実戦ではない。頭の上に丸太が落ちてくることも、自分の足をチェーンソーで断ち切ることも無い。足も、腕も、頭もどこも壊れることは無いと。人間が壊れるのは外側からだけではないと知ったのは、二度目に吐血した時だった。

 それでもまだ足りないと思った。収入は樵の三倍以上。少なくとも三倍辛くても文句は言えないと思った。

 あの時、曳き続けていた修羅を離したのは間違いだった。

 阿修羅であり続けるべきだった。

 結局、私は心底嫌悪し、全身全霊拒否したバブルパラダイムの下僕に成り下がっていた。

 「この病気の入院患者で、あなたほど落ち着いている人は今まで見た事がない。」 

 入院病棟の婦長がそう言って感心をした。

 私は二十年振りに戻っただけだ。死が目の前にある場所に。

 空調の効いた病室は虚構だ。ここにも本当の生は無い。

 享年二十五歳。私は山を下りたあの日から生きてはいない。

 山の中でどこまでも青く透き通った空を見上げ、もう忘れてしまった木々の、土の、草の匂いの中で、終わりたかった。

 だが全てが手遅れだ。

 秒単位で消えていく残り時間の中で切実に願う。

 叶う事ならばもう一度、私は修羅を曳きたい。


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