第8話◇彼女は特別【アルウィン視点】
「ん、了解~」
タレ目男はヒラヒラと手を振り返して了承した。
途端、ざわりとタレ目男の背後から闇があふれ出す。
それがこの男が持つ「闇」の魔法の力だった。
ひどく隠密に適したそれのために、彼はこの一連の任務において「だんちょーとの同行」が、早いうちに決まっていた。
しばらくざわりざわりと蠢く闇にその身を任せていたタレ目男だったが、ふとだんちょーに視線をやって口走る。
「思ったんだけどさぁ。だんちょー、ここ数日話しかけもせずに影からあの子をずーっと過保護に見守ってるけど、それってものすっごく、変質者みたいだよね!いい加減に話しかけてみてもいいんじゃないの~?」
「な、っ」
明らかな「そういうからかい」交じりの声色にだんちょーの側は少々免疫が足りなかったようで、カッと頬が赤くなっている。
その顔色をあえてニヤニヤと眺めてから、男はそのタレた目尻をさらに下げて煽った。
「可愛いもんね?イリス嬢。ひょっとして、惚れちゃった?」
「――は、や、く、行、け!!」
「ぶっは、あははは、ふはっ、は、はあ~い、行きまぁ~す」
闇が男を包み隠したかと思うと、瞬時にその黒色は霧散してしまう。
一瞬にしてタレ目男はその場から消えた。
「……ったく、あいつは、そういうことばっかり……」
すっかりおもちゃにされてしまった事実にため息をつきつつも、彼本人も、さすがに今現在の、「ただ執拗に見ているだけ」の自分は不審者じみていると、いくらか自覚してはいた。
しかし。
自分がこれほどに彼女に声をかけることをためらっているのは、奴が考えているような――例えば「淡い恋心」だけといったような、甘い理由ではないのだ。
……いや、彼女が私にとって非常に魅力的な令嬢であることは紛れもない事実なのだが……。
ついついそんなことを思いかけてしまい、彼は意識的に頭を振る。
「あいつの言葉につられてこれ以上余計なことを考えてしまわないように」と。
「慎重に、いかなければ……慎重に」
あえて自らに繰り返して言い聞かせてしまうほどに、もっと深刻なところで、彼はためらっていた。
彼には自分が声をかけてもいいのかという、ひどい気後れがある。
「あんなこと」があったから。
それはまだ誰にも吐露できていない、血塗られた記憶だった。
頭の中、まるで昨日のことのように思い出せる「残虐で悲しく悔しいそれ」があって、不幸にもその被害者となってしまった彼女に、今の自分の立場で一体何と声をかけるべきなのかと深く考え込んでしまうのだ。
今回、ことは「まだ起こっていない」というのに――
もし彼女が自分と同じように「あの未来を覚えている」のだとしたら、記憶の印象が強く残っている今は、まだ少し顔を合わせるには早いのではないか。
そう感じるし、「覚えていない」としても、やはりためらってしまう……。
幼い時に彼女と出会って以降、これまで知り合った他のどの令嬢に対しても、さして興味は抱かなかった。
こんなふうに「彼女とどう出会いたいか」と深く考えて逡巡してしまっている時点で、特別視している。
あの子に対してだけここまで考え込んでいる時点で、既にとてつもなく大きく重い好意を抱いてしまっている、ということなのだ。
先ほどからかわれてむきになって言い返したのも、結局は図星を突かれてしまったから……。
自分の胸に手を当て、普段よりわずかに鼓動が早くなっている事実に、否応なしに気付いてしまう。
……きっとそう遠くない時期に、彼女と直接話す機会が来るだろう。
その時はもう躊躇わない。
しかし、今は。
改めてこう心に決めて、彼はあえて今日という機会を見送ることにしたのだった。
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