小話 ep.1◇恋するあの人は、今①【アルウィン視点】
ハンカチーフのアイリスのマークにキスしてから、胸ポケットに入れる。
一番心臓に近い位置に。
絹の真っ白な四隅、角のうちのひとつに金の糸で丁寧に縫われたそれは、女神様から与えられた彼女だけの印だった。
小指の爪ほどの大きさのマークの控えめさが、彼女らしいな、とアルウィンは考える。
「イリスは、今日は何をしているだろうか……。淑女教育の座学か、それともダンスか……」
思わず、ひとりごとが口から漏れてしまっていた。
ちょうど人払いをしていたために、自室にはアルウィンしかいない状況だ。
次の予定まではまだ時間がある。
それをいいことに、彼はソファーに身を預けるように座って、溺愛する彼女に思いを馳せることにした。
イリス・フロレンティナ・ストレリチア。
南ストレリチア公爵家の跡取り娘でありながら、幼くして両親を失ったがために、叔父一家に虐げられてきた少女。
控えめではあるけども、芯は強い令嬢だ。
アルウィンより年下なのだが、イリスに頼りなげな雰囲気はない。
しっかりしていないとあの叔父には対抗できなかったに違いない。
両親を亡くして以降のここ数年が、無邪気なだけだった彼女をそのように成長させたのだろう。
そういう彼女の性格が、縫い目のひとつひとつにも込められているようで、自然と南ストレリチア領での彼女との日々を思い出したアルウィンの頬は緩む。
私のことを思いながら、ひと針ひと針と、心を込めて縫ってくれたに違いない、イリスからの初めての贈り物……。
胸ポケットの上から手を当ててみると、その畳んだ布の厚みがわずかに段差となっている。
それは以前には全くなかった感触だ。
アルウィンはそんな他愛もない指先の感覚にさえも彼女の存在を感じて、多大な喜びを噛みしめてしまう。
そのハンカチーフは、幼少期に彼女と出会って以来の、彼の長年の一方的な片想いが成就した証拠でもあった。
それと同時に、一度は自らの力が及ばず死なせてしまった彼女を、今度こそこの手で守り通せたという、女神様の面前での命を賭した誓いを果たせた証でもあった。
彼女は今、間違いなく生きている。
そして私の想いを受け入れてくれただけでなく、彼女も私のことを慕ってくれているのだ……。
その時の彼女の告白を思い返してしまい、アルウィンはすぐにでも南ストレリチアにとんぼ返りしてしまいたくなる。
南ストレリチアから王都・エテルまでは、最新鋭の王家の馬車でも二日ほどかかる。
つい昨日の夕方に城に戻ったばかりだ。
それなのに、アルウィンはもう、今すぐにでもイリスに会いたくて仕方がない。
じっと自らの手のひらを見つめ、そこに毎度、遠慮がちに置かれていた彼女の指先の感触を思うアルウィン。
少し物足りなくて、つい独占欲で毎回のように強めに握り直してしまっていたが、そのたびに頬を赤らめてもじもじとするイリスも、可愛かった……。
そんなことに思いを馳せていたアルウィンだったが、ノックの音が重く響いた。
「アルウィン殿下。準備が完了しました」
続いたのは、ウィリアムの声。
きっとルークもいるだろう。
「ああ。入れ」
さも王子らしい一声に、なぜか違和感がある。
手を伸ばせば届く場所にいた彼女は、はるか遠く。
「イデア」と柔らかく彼のミドルネームを呼ぶくすぐったい声も、森の木々のざわめきも聞こえないこの王城は、ずっと暮らしてきたはずなのに、どこか物足りない。
それでも、今日から再び「アルウィン殿下」としての日々が始まる。
アルウィンの前に立ったウィリアムもルークも、近衛騎士の制服をきっちりと身に付けている。
あの南ストレリチアでの夢のような時間は、終わってしまったのだ。
ソファーから立ったアルウィンも、隙がないように自分の服を整える。
さも王太子らしい、王城という場に適した表情も、まるで仮面のように顔に張り付ける。
それもこれも、約束通りにイリスと再会して、約一か月後のパーティで共に踊るため。
そしてそれだけでなく、いずれは王となる者として力を蓄え、今後の彼女の一生を守り、そして確実に王太子妃として手に入れるためでもある……。
力がなければ守り切れない。
その現実は、アルウィンにとって、既に骨の髄まで身に染みていることだった。
彼女のためなら、私は何でもしてみせる……。
「あらら。元気、なくないです?殿下。もしかして、恋しいあの子が隣にいないせい?」
そんな少し気負った想いが出てしまっていたのか、わざとからかう口調でルークが言う。
彼の幼なじみのうちで一番人の心の動きに敏感な男は、そんなアルウィンの恋心のほどをしっかりと分かってくれているようだ。
「……否定はしないよ。それに、側で守れないと思うともどかしい」
気を使ってくれたルークの気持ちを察して、アルウィンはほんの少しだけ、表情を和らげた。
既に彼女には護衛を、それも選りすぐりの者たちをつけている。
さすがにモルヒ公も、今の彼女に手は出せないはずだ。
だが、それでもアルウィンとしては心配しないわけにはいかなかったし、「隣に立ち、自らの光魔法と剣で彼女を守り通したい」という思いも強くある。
「ただ、正直、色々と歯止めが効きそうになかったから、強制的に王都に戻されてよかったのかもしれない……」
しかし、違う意味で、アルウィンは大きく吐息をついた。
第一部のエピローグの後、王都の城に戻ったアルウィン・ウィリアム・ルーク、3人組のほっこり小話(2話分)。
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