第60話◇伝書紙鳩は永遠に恋心をさえずる【第一部完結】
私とアルの離れがたい気持ちには全く振り回されることなく、騎士や御者たちは着々と準備を整えてしまった。
そしてとうとう、「そろそろ出発の準備が整いました」という報告がアルに伝えられる。
「あの……これ。私が刺繍をしたハンカチーフなの。今回の思い出として、受け取ってくれたら、嬉しい」
ここで私はようやく、事前に準備していた贈り物を手渡すことができたのだった。
「ありがとう。大事にする」
ちゃんと手ずから渡すことができて、お礼と微笑みとともに受け取ってもらえて、ようやく少しホッとする。
「私からは、これをイリスに渡しておくね。もし今後、何か異変があったら、絶対に使って教えて」
そしてそんな私に対して、イデアも何かを差し出してきた。
「これは……伝書紙鳩の?」
一見ただの手のひらサイズのメモ帳に見えるそれは、実は前に一度見たことがあるアイテムだった。
ヨトウさんを尾行した日のみんなとの食事中に、青騎士隊の人からシーニャさんの宿屋の部屋にいるウィリアムさんの手元に飛んできた、あの伝書紙鳩。
その、元となる紙だ。
「そう。手を出して」
言われるままに手のひらを上に向けて差し出すと、アルはそっと指先に紙束を触れさせる。
すると、ほわりと淡い青い光が、ほんの一瞬だけ灯った。
「これで私たち二人分の魔力が登録されたから、お互いにやりとりできるようになったよ。ここに伝えたいことを書き込んだら、『行け』って言って。そしたらこの紙が鳩になって私の魔力を追尾して飛んでいく。たとえ私がいつどこにいたとしても、メッセージを伝えてくれるんだ」
「いつでも、どこにいても、届くの!?すごい……」
「紙一枚分に書けるだけのことしか、伝えられないけどね」
言いながら、アルはその一枚目に何かを書き込む。
私の位置からはその文面は見えなかった。
そして裏返して見えない状態にしてから、あえて紙の裏面にペンを走らせてみせる。
「ただ、裏には何も書けない。こちら側には、破損防止のための防御魔法や情報秘匿の魔法が組み込まれているんだ」
「本当だわ。インクが弾かれてるのね」
手元を覗き込むと、アルの言葉通り、黒のインクが瞬時に弾かれたように消えていく。
とても不思議だわ。
そしてピッと一枚それを破ると、アルは試しとでもいうように鳩を飛ばして見せてくれた。
「わあっ、本当に鳩になって飛んだわ!!」
一枚の紙が瞬時に鳩の形に折られるのはやっぱりびっくりしたし、紙なのにパタパタと羽ばたいて私の両手に飛んで来るのもかわいい。
「読んでみて」
促されるままに私は書かれた文面に目を通す。
アルはさっき、一体何を書いたのかしら?と少しワクワクしながら。
「ええっと、なになに……『イリスは元から可愛い顔立ちをしているけれど、笑ったらもっと可愛い。だから、君がいつも憂いなく笑顔で過ごせるように、私も女神様に誓うよ』……って!!もうっ!!またこういうこと……ッ!!」
私は思わず赤面して、少し大きな声を上げてしまった。
あまりにも不意討ち過ぎて。
アルは「あはは」なんて無邪気に笑っているけれど、これって、実はとんでもないことなのではないのかしら。
こんなすごい防水や防火や情報秘匿の魔法が付与されているものを、私宛ての私信に使っちゃうなんて……!!
し、しかも、王子様が、それも未来の王になる立場の方が、女神様に誓うだなんて。
そんなの、ほぼ最上級の誓いだわ……!!
正直、恐れ多くなってしまったけれど。
はっ、でも天上界でも女神様の前で「好きだ」って宣言されていたんだったわ、もう言われちゃってたわ!!
アルは思い起こして悶絶している私に気付いて笑うと、紙片を持つ私の手に、そっと押さえるように触れてきた。
「でも、これは正式に君への気持ちを女神様に誓った、その証だからね。ずっとイリスに持っていて欲しいな」
気持ち……。
確かに、これそのものが貴重な紙でもあるのだけれど、何よりも「イデアの気持ちの証」なんだわ。
「っ、分かった。持ってるわ……ずっと」
ものすごく、恥ずかしい文面だけれど。
彼の私への思いがこもっているんだと思ったら、とても嬉しいから……。
私はぎゅっと紙片を持つ指先に力を入れる。
この手のひらの中からどこにも飛び去ってしまわないようにと、まるで鳥かごに入れるような気持ちで。
「……うん。そうしてくれると、嬉しいな」
そんな私の姿に、アルは満足そうに柔らかく微笑んだ。
「というか、君の魔力に吸い寄せられているから、何なら破ってバラバラにして捨てても瞬時に元の状態に戻って、君の手元に戻ってきちゃうんだけどね。そういう性質の紙だから」
満足したくせに。
クスクスと笑い声を漏らして「まぁ、絶対にどこにも飛び去らないんだけどね」とばかりに教えてくれる彼は――実はちょっと、クセモノなのかもしれない。
「うぅ……。アルのいじわる」
私はちょっと、すねてきてしまう。
だって、彼にはずうっと、やられっぱなしな気がするんだもの!!
「それに、そんな貴重な紙を私のために一枚無駄にした、ってことなのでは……」
「一番必要で大切なことだから、全く無駄じゃないよ」
でも、思わずこう続けた私に対して、アルはすぐさま食い気味に否定してくれるから。
やっぱり私は彼のこういうところがすごく好きだなって、思う。
……恥ずかし過ぎて、なかなかそれを正直に口に出しては言えないのだけれど。
そうして、私たちはそれぞれ、受け取った贈り物を自分のコートのポケットに納める。
「じゃあ、イリス……」
「うん……」
こうなると、もういよいよ、アルが背後の馬車の方に振り返ってただ乗り込むだけの状況になってしまって、別れの時が来てしまった事実がつらくてたまらない……。
きっと、騎士の方も御者の方も、長々と待たせてしまっている。
そう分かってはいるけれど、どうしても寂しい気持ちは抑えられない。
「……また、会えるんだよね?」
私はどうしても訊いてしまう。
ちょっと涙声になっているのを嫌だと感じながら、うつむいて。
そうしたら、アルの両腕が私を抱きしめてきた。
強く、本当に手離したくないんだって、まるで教え込むみたいに。
「本心では、このまま連れ去りたいくらいだよ」
「ひゃっ……!!」
なだめるように頬に落ちてきたのは、キス。
その上、「連れ去る」という言葉通りに腰に手を回されて抱き上げられもして、宙に浮いた状態にびっくりした私は、思わず声を上げて彼にしがみついてしまう。
「ちゃんと、会えるよ。王都でのパーティで、必ずね。そして、二人で一緒に踊るんだ」
こんなふうにね、というように、アルはそのままくるりとその場でターンして、私たちはクルクルと回った。
ふわりと私のスカートの裾が風をはらんで広がる。
「……うん」
私は頷いて、その時が来ることをふんわりと想像する。
また雪が降り出しそうな寒空、凍えてしまいそうに冷えた空気、けれどもくっついている彼の体温はとても温かい。
髪を撫でる感触の優しさや、直後、目元に触れてきた唇の感触も体に刻み込むように、私はそっとこの瞳を閉じた。
――再会のその日まで、何一つ忘れてしまわないように。
全部を覚えておけるようにと、心から願いながら。
【終】
これにてイリスとアルウィンの物語はひとまず完結です。
最後までお付き合い頂きありがとうございました!!
★★★★★とブクマでここまでの評価を頂けたら嬉しいです!




