第5話◇精霊魔法を独学で学びたいのです
夜が明けて、新たな一日が始まった。
私には侍女がつけられていないため、全ての身支度を自力でこなさなければならない。
手早く普段着に着替えて朝食のために食堂へ。
その頃にはモルヒ叔父様もカンナ叔母様もいとこのアネモネも揃うので、壁際に立ったまま三人を迎える。
貴族の身分じゃない人々のための「自分よりも身分が高い方への挨拶」、頭を下げて胸に手を当てて主人に敬意を示すための所作をして。
叔父様が当主になって以降、私は幼い頃にお母様に習った「淑女のための挨拶」ではなく、この挨拶ばかりを彼らに強いられている。
「おはようございます、お父様、お母様」
アネモネのソプラノの挨拶が響いた。
よく通る声だ。
まっすぐな赤い髪にブラウンの瞳、最新の流行の華やかなドレスと化粧。
イメージカラーを挙げるなら「朱赤」の彼女。
それに対して、私は「青みの薄紫」という髪色。
少しクセが強いまとまりにくい髪の毛は、いつも寝癖と間違われるほどに波打っている。
その前髪の一部には白の毛が混じっていて、瞳の色はアンバー。
元々の髪の色合いも水彩画のようにぼやけている上、ドレスもとても地味。
血の繋がりはあるのに、私とアネモネは少しも似ていない。
「ああ」
ひどく簡潔に応えたモルヒ叔父様は、私のお父様の弟、のはずなんだけど……お父様とはそれほど似てはいない。
「おはよう、アネモネ」
カンナ叔母様も言葉少なに返事をしている。
アネモネはフフンと鼻を鳴らして、得意げな顔つきでこちらを見てきた。
その視線にあえて何でもないように振る舞いながら、私も三人が着席した後にテーブルの末席につく。
そうして、南ストレリチア家の朝食が始まった。
「ねぇ、お父様。注文していた私の今度のお披露目パーティのドレス、先日仮縫いが終わったのだけれど、とても素晴らしくて。でも追加で刺繡を入れたくて……」
刺繍の料金アップ分をおねだりするアネモネの声をバックに、味気ない気持ちになってスープを口に運ぶ。
年に一度開催される、精霊契約者のお披露目パーティ。
それはヒューラ大陸の南部に位置するアストラル王国についた南、北部のミストラルト帝国についた北とに分かれた二つのストレリチア家が共催する、一族の精霊契約者を国内外の高位貴族に紹介するための機会だ。
だけど、私はそのパーティには行けそうにない……。
「あっ。ごめんなさぁい。精霊もいない、パーティに行く資格がない人の前でする話じゃなかったわね、この話」
現実に吐息をつこうとした時、アネモネがクスッと、小さくだけど確かに笑って言った。
当然、わざとだ。
アネモネも去年までは私と同じく留守番組だったのだけれど、つい二か月ほど前、オオカミの姿をした勇ましい精霊と契約を果たしたらしい。
それで彼女はすっかり得意になってしまっていて、以来、ことあるごとに「やっぱり私の方がイリスよりずっと優秀ね」と自慢してくるようになった。
「でーもっ。当然の扱いよねぇ。だってイリス、あなたってばまだ精霊との契約もできていないんだもの」
私はろくに言葉を返すこともできず、ただ黙り込む。
「とっくに精霊との契約が果たせている直系次男の娘」のアネモネの方が、「長男の娘でありながら精霊と契約できない私」よりも、ずっと一族内での立場が上なのだ。
でも。
確かにそうは理解していても、とても悔しかった。
もし私が精霊との契約を果たせていたなら、一人前と認められて今よりはましな対応をされていただろうか。
パンはこんがりと焼かれていたはずがいつの間にか冷え切っていて、私にはただボソボソとしているように思えた。
このままこの人たちにみすみす振り回され続けるだけの状況では、やっていけない……。
「以前とは違う道」を探さなければならない。
死にたくない。
どうしたら生き延びられるの。
魔法について教えてくれる教師を確保するか、本を入手して独学するか、力を貸してくれる精霊に巡り合うか。
これらのうち、どれか一つでも成し遂げないと、私の精霊魔法の成長はないらしかった。
けれど。
どうやら二周目の今回は、少し状況が違っているみたい。
これもきっと、女神様のお導きなのだと思う。
その日、屋敷に呼ばれたウィスプ商会の商会長様を案内することになっていたため、私はお客様の前に出る用にと、生前のお母様が着ていたドレスの中から一番仕立てがいいものを選んで着ることにした。
そう、そんなお母様の大切な遺品のドレス。
その裾の部分に泥水が飛んだ。
玄関先で馬車を出迎えた時、ちょうど大雨が降って地面がぬかるんでいたのだ。
「も、申し訳ない……!!ぜひ弁償させてほしい!!」
少しくすんだ薄桃色のドレスの布地にじわじわと黒っぽいしみが目立って広がっていくのを目の当たりにして、ウィスプ商会長は真っ青になる。
「何でもいいですよ、欲しいものや困ったことはありませんか?」と提案されて、その瞬間、これは、願ってもないチャンスかもしれない……と思った。
「じゃあ……そのかわりに、魔法書、精霊魔法に関するものがあれば、見せて下さいませんか?」
そうして。
ついに、私はお目当てのものを手に入れた。
本の名前は「精霊魔法大辞典」。
「や……やったわ……!!はあぁぁあ、よかった……!!」
自室に戻った私は本を抱きしめるようにしながら、これまで味わったことがなかった大興奮に身震いする。
夜中の人々が寝静まった頃にこっそりと取り出してランプの明かりを頼りに読み込む、そんな日々が始まった。
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