第4話◇私、どうやら死に戻ったみたいです
「ひ……っ!?」
刃が迫ってくる、その恐怖心に息を詰まらせながら、私は突然、覚醒した。
ここは、部屋……?
すっかり「森」にいる、と思い込んでいたけれど、今私が寝そべっているのは血にまみれた落ち葉の上ではなくて、いつも通りの私の部屋の硬いベッドの感触だった。
シーツに手をついてゆっくりと体を起こすと、私はぐるりと周囲を見回した。
「これは……一体、何が起こったの?」
森の中で男たちに追われ、殺されたはずだった。
それなのに、いつの間にか自分の部屋に寝ていた。
まさか、全部が全部、夢だったとでもいうの……?
のろのろとベッドから下りてドレッサーへと向かおうとして、指輪が右手の薬指にはめられていることに気付く。
光に透かすと美しく虹色に輝く宝石がついた、特別な指輪だ。
思い出せるのは、女神様の優しいまなざしと手つき。
『あなたに加護を与えます』
そのお言葉と同時に女神様の指先から溢れた光の帯が私の右手を包み込むようにすると、この指輪がどこからともなく現れたのだ。
外そうと引っ張ってみたけれど、不思議と通常の指輪のようには外れない。
今はそのままにしておこう……。
元々の目的通り、私は鏡を求めてベッドを降りる。
不思議と一日中走り回ったかのような重い疲労感が全身にあった。
鏡に映る自分の上半身も、よく見知った姿だった。
疲れが完全に顔に出てはいるけれど。
「私はちゃんと私だ」と、ようやく少し安心して、確認するみたいに心の中で繰り返す。
私……私の名前は、イリス・フロレンティナ・ストレリチア。
五歳の頃に南ストレリチア家の当主だった父・ドラセナと母・ダリアを亡くして、父の弟であるモルヒ叔父様が新当主になって以来、まるで使用人のように扱われている。
ずっとそういう扱いだった。
……死ぬ前もそうだった。
私は改めて自分の記憶を確認してしまった。
さっきから私が私じゃないみたいな、まるで違う世界に迷い込んだままみたいな、おかしな感覚が続いている。
何か……何かを、忘れてしまっている気がするわ。
神様の領域、天上界で、女神様とお話したことは覚えている。けれど、他にも何かあったような……?
女神様の他にも、誰か、いた……?
だめ、思い出せない。
「そうだ、日記……」
私は日記をつけている。
その日の夜、寝る前に必ず書くことにしているのだ。
私は引き出しから取り出した日記帳をパラリとめくってみた。
九の月の十一日の日記が最後の記述だった。
それなら今日は十二日のはず。
記憶の中の「殺された日」は確か……十の月の二十二日だった。
そうだ、ちょうどあと一か月後に一族の精霊契約者だけのパーティがあるとかっていう話で……。
私の脳裏に、涼やかな女性の声が蘇る。
それこそ、女神様の啓示のように。
改めて知らしめる意思が作用したように。
『運命のいたずらによりわたくしの元にその足を踏み入れることになったあなた―は、しかし再び本来の道へと戻らなければなりません。あなた―に加護を与えます。死に戻り、今度こそ、正しき道を選びなさい』
あれは夢や幻じゃなく、本当に女神様だった?
私は確かに命を救われて、そしてもう一度の機会を頂いた?
時が巻き戻った?
今度こそ正しい道を選ぶために?
だとしたら。
約一カ月後、再び誤った場合、私はまたあの森で追われて、あの男に殺されるのかもしれない……?
赤いトカゲのような入れ墨を足首に入れた男。
確かに、その入れ墨が足首にあったのを見た。
切られた足の痛みに暴れた時、私はとっさに男の足元に手を伸ばしてズボンのすそを引っ張ったのだ。
単なる偶然、ただ痛みに暴れていただけだったけれど、おかげで確かな証拠を手に入れることになった。
でも、証拠を見られたからこそ、あの男は迷うことなく瞬時に私を刺し殺す判断をしたのかもしれない……。
ゾッと背筋を凍らせながらも、私はあの「私自身とたくさんの人々の死の夢」をよくよく思い起こしてみることにする。
十の月の二十二日。
その日の私は午前中にモルヒ叔父様に執務室へと呼び出されて「国宝を渡せ。お前が持っているあの宝玉だ」と強く迫られた。
叔父様がアストラル王家側から伝えられた話によると、「精霊女王の宝玉」は、精霊族の長の証であり、同時に精霊女王と王国建国の始祖王・アストルとの友情の証、民族協和の象徴でもある国の宝でもあり、王城のとある施設の仕掛けを動かす鍵でもあるらしい。
知らないと伝えたけれど、叔父様は私がポケットに持っているものこそがそうだと言った。
けれど、それはずっと昔に誕生日プレゼントとして亡くなった両親から贈られたものだ。
その時、両親は「それがそうだ」とは言っていなかった。
王家にまつわるなんて話題も全く出てこなかった。
ただ単に「お守り」だって。
大切な思い出が残るそれを、権力が欲しいだけの強欲な叔父様にはとても渡せなかった。
断って屋敷を飛び出したら叔父様の部下に追われて。
そのまま馬車で逃げようとしていたわけだけど、馬車の御者は叔父様の手の者で、森――南ストレリチア領の端にある「宵闇の森」に連れ去られた。
そして森では暗殺者らしき男たちに追われた。
両親はとても優秀な精霊魔法使い・領主だったと聞いている。
そんな両親が、国宝とも伝えられる宝玉を無断で娘の誕生日プレゼントにするのかな?と思うと、やっぱり叔父様は思い違いをしていたんじゃないのかな?と思ってしまう。
「きっと宝玉違い」なのでは、って。
でも、もし別物だったというなら、なおさら、巻き込まれて亡くなったアルウィン王子殿下たちに申し訳なくてたまらないかも……。
きっとその宝玉を探しに来られたのよね?
私はあの時命を落としてしまった殿下と護衛の方々に思いをはせた。
殿下には一度、子供の頃に両親に連れられて行った王城の薔薇園で、お会いしたことがある。
優しい方だった。
そう、私にオレンジジュースと、シロツメクサの花冠を下さって。
一人っ子の私は、まるでお兄様みたいだって思って嬉しくて……。
「つ……っ」
そこまで考えたところで、なぜかとても頭が痛くなった。
でも、きっと殿下はそんな昔の、他愛もないことは覚えていらっしゃらないと思うわ。
「間に合わなかった、このようにはかなくなる人ではなかった」と最期に声をかけて下さったのも、他意はなく、ただとても、お優しい方だったからで……。
「あら……?」
なぜかぽたりと水滴が落ちてきて、私はいつの間にか、自分が泣いていることに気付く。
どうして泣いているの、私……?
恐ろしいことを体験したから?
それとも、心身共に疲れたから、かしら?
左ポケットの中に手を入れる。
取り出された手のひらサイズの球状の宝玉は、今はただランプの光に照らされて、滑らかな表面がつやりと光沢を放っているばかりだ。
お父様、お母様。
あれは確かに「本物のストレリチア」だったの?
本当に、あの恐ろしい鳥の姿の一面を持つ神が、今もこの宝玉の中に入っているのかしら?
「ねぇ、今も、この中にいるの……?いつか、私の前に出てくるの?私が死にそうになったら、出てくるのかな?それとも叔父様が言った通り、本当は国宝だったりする?」
私は静かに語りかけてみる。
けれど、特に反応はなく、ただつやつやと宝玉は輝き続けていた。
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