ギルド『フリューゲル』
人暦一六四三年。
エーデルラント王国にて新国王カール・フォン・エーデルラントが即位して三年の年月が経った。
ヴェネツィア共和国。
ゲルマニア州を南に下った大陸南部のイタリア州の港湾都市ヴェネツィアを本拠地に、巨大な海運網を敷く海洋国家である。
ヴェネツィアと幾つもの沿岸都市を結ぶ海上貿易ネットワークを牛耳る事で、ヴェネツィアは“海の女王”と呼ばれている。
そんな海の女王を悩ませる問題が今まさに起きていた。
ヴェネツィアの港へと向かうヴェネツィア商人の貿易船“ヴェローナ”。
海外の異大陸との交易で入手した絹や胡椒、穀物などをたくさん乗せたこの貿易船は、魔力を糧に動く魔導機関と呼ばれる装置を推進力に併用している魔導帆船という新型船である。
船底部に収容している奴隷三十名から魔力を供給する事で稼働するこの魔導機関の開発により人類は無風状態でも海上航行が可能になった。
海の女王であるヴェネツィアは、専用の造船工場まで設けてその製造に着手した事から見てもその有用性は明らかである。
そんな人類の英知が詰まった貿易船ヴェローナは今、混乱の渦中にあった。
「おい! まだ追ってきてるか!?」
「ぴったりくっ付いてきてやがるよ!」
「くそッ! あとちょっとでヴェネツィアだってのにッ!」
ヴェローナの後方から一隻の船が迫っていた。海賊船である。
近頃、ヴェネツィアの貿易船が海賊船の襲撃を受けて多大な損害を被っていたのだ。
その海賊船はただの帆船であったが、そもそも魔導機関を用いての速力はあまり高くはなく、速力で振り切る事はまず不可能。
貿易船なので倉庫には大量の積荷を抱えており、これがヴェローナの速力を大きく削ぐ要因となった事から距離はどんどん詰められていく。
「せ、船長、こうなったら、積荷を捨てましょう!」
「馬鹿を言うな! 貴様、それでも商人か!?」
「で、ですが、このままでは……」
甲板の上にいる乗組員達の間に動揺と不安が走る中、帆柱の上の見張り台にいる見張り役が声を上げた。
「船長! 前方より船が一隻、こちらに向かってきますッ!」
「何!? 新手か!?」
見張り役は単眼鏡で船の帆には、右前足を大きな真珠の上に乗せている、翼の生えた獅子が描かれていた。
これはヴェネツィア共和国の国旗である。
「ヴェネツィア海軍の軍艦です! 味方です!!」
ヴェローナの乗組員達が歓喜の声を上げた。
そんな中、見張り役が軍艦の艦首に単眼鏡を向けると妙なものを見つける。
「ん? あいつ等、何やってるんだ?」
彼が目にしたのは艦首に立っている四人の人影だった。
一人目は、二十歳くらいの金髪の青年。
青い服の上から、銀色をした薄手の鎧を胸、肩、腰に纏い、腕には籠手を、足には脛当てを装着している。
腰には剣を収めた鞘が下げられており、騎士である事が分かる。
二人目は、騎士の青年と同い年くらいの赤い髪をした女性だった。
腰まで真っ直ぐ伸びる長い赤髪は、その美しさから一瞬視線を釘付けになってしまう。
赤いシスター服に身を包んでいるが、その腰には騎士の青年と同じく剣が下げられていた。
三人目は、騎士とシスターに比べるとやや若く見える十八歳くらいの女性。
ウェーブの掛かった桃色の髪が腰まで伸び、可憐な顔立ちをした彼女は肌をとても露出したウェディングドレスのような純白のドレスに身を包んでいる。しかも、大事なところ以外のほとんどは透けており、あれでは服を着ていても着ていなくてもあまり変わりが無いような気がする。
シスターの娘よりも胸も大きく、その衣装を相まって何とも扇情的である。
とはいえ、腰にはやや短めだが左右に一本ずつ、計二本の剣が鞘に収まっており、彼女も戦闘要員に違いない。
そして最後の四人目は、これまでの三人に比べると一段と幼い少女だった。
年頃は十二歳くらい。騎士の青年よりもやや黄色掛かったショートヘアの金髪に、黒色のメッシュが入っておりまるで虎のような印象を受ける。
そんな髪の上には、虎のような形の獣耳が付いており、お尻には虎のような尻尾が生えていた。彼女が亜人種なのは間違いない。
無地の白い貫頭衣を着て、腰の黒い革ベルトで縛っている。粗末ではあるが、一見何の変哲もない装束。しかし目を見張るのは、首と両手首、そして両足首に嵌められた鋼鉄の枷。それぞれの枷からは短く鎖が垂れてはいるが、特に動きを制限されている様子は無い。
その少女は、シスターの後ろに立つと、自身よりずっと体格の大きい彼女を軽々と持ち上げて、まるで投球のように勢いよく投げ飛ばした。
空中へと矢のように飛び上がったシスターは声一つ上げずに宙で弧を描きながらヴェローナの頭上を通り過ぎる。
続いて虎耳の少女は、ドレス姿の少女、そして騎士を同じ要領で投げ飛ばす。
最後は自身が助走をつけて艦首から飛び立つ。
四人の中で唯一ドレス姿の少女だけが「きゃああああッ!」と断末魔にも似た、それでいて妙に楽しそうな叫び声を上げる。
一方、騎士の青年は恐怖で声も出ないという様子で、顔が若干青ざめていた。
四人は海賊船の甲板へと落下していく。
最初に海賊船に降り立ったシスターは、着地の直前に指を鳴らす。
すると、落下地点に人一人が乗れる位の大きさをしたシャボン玉のような球体が出現した。シャボン玉は落下してきたシスターを受け止めると、クッションの役割を果たして彼女を怪我一つ負わせずに着地させる。
続いて落下してきたドレス姿の少女、騎士の青年、虎耳の少女も難なく海賊船の甲板に降り立った。
「皆、無事ね」
シスターが元気な声で、皆の無事を確認する。
「まったく。ロッテの考える策はいつもいつも無謀過ぎるんだよ。今ので寿命が十年は縮んだよ」
騎士の青年はシスターに抗議するように言う。
「男があのくらいでガタガタ言うんじゃないの。ほら。クロエもアンジェも全然平気って顔してるじゃないのッ!」
「楽しかった。レオン、またやりたい!」
虎耳の少女はやや素っ気ない声ではあるが、無邪気に可愛らしく笑う。
「ひぃ~。全身の肌を突風が貫く感触が何とも言えないです! やっぱりご主人様のプレイは一味も二味も違います~」
ドレス姿の少女は顔を真っ赤にして興奮し切った身体を潮風で冷まそうとしている。
「アンジェ、頼むから、変な言い方は止めてくれ! そもそも僕の提案じゃないからね! それとクロエ、もうやらないからねッ!」
「……」
クロエと呼ばれた虎耳の少女はしょんぼりとする。
彼等がそんなやり取りをしている間に、武器を手にした数十人の海賊達が彼等を取り囲む。
「な、何だ、お前等は!?」
「一体どこから来やがった!?」
「お、おい。こいつ等、まさか《フリューゲル》じゃないか!?」
「ふ、フリューゲル? 海賊を狩りまくってるあの傭兵ギルドか?」
海賊達の間に動揺が走る。
この一ヶ月だけでも“フリューゲル”という名の新米ギルドによって五隻の海賊船が沈められていたからだ。
「さあて。あなた達、身包み全部置いて帰りなさい。そうしたら命だけは助けてあげるわ」
ロッテはまるで悪魔のような笑みを浮かべて言う。
そんな彼女に、レオンはやや呆れた様子でツッコミを入れた。
「ロッテ。今の口ぶりじゃあ君の方が海賊みたいだよ」
「うっさいわねッ! 人聞きの悪い事を言わないでくれる!? これは罪の無い民を守る崇高なお勤めなのよ!」
海賊や盗賊といったならず者から民を守る。
それが傭兵ギルド《フリューゲル》の活動目的であり、今のレオンとロッテの生業である。
そしてその傍らで、撃退したならず者達からちゃっかり金品をむしり取ったりもしていた。