漆黒のドラゴン
突如、夜空から姿を現したそのドラゴンは、人間を一口で丸呑みにできるほどの大きな口を持ち、全身を闇夜のように黒い鱗で覆われている。
背中には羽ばたかせるだけで突風を引き起こす大きな翼が生えていた。
その凄まじい迫力と威圧感に、全身が息を呑んで動きを止めてしまう。
今が戦闘中である事を忘れてしまうほどの恐怖心が頭の中を支配したのだ。
「ど、ドラゴン!? 馬鹿な。どうしてこんな所に!?」
世界最強の生物と称されるドラゴン。
普段は山奥など人が踏み入れる事の無い地域に生息しており、人前に姿を現すのは稀な生き物だった。現に今この場にいる者全員、ドラゴンを実際に目にするのは初めてである。
「に、逃げろ! 食われるぞッ!」
誰もがその威容に圧倒され、我に帰った途端、我先にと逃亡を図る。
ドラゴンがその大きな口を開けると、喉の奥から夕陽のように真っ赤に輝く光が夜空に煌めく。
それは一瞬にして地上へ降り注ぐ光の柱となった。
先ほどの魔導騎士達が放った火炎魔法を、数段上回る熱量を誇る熱線が地上を吐き払う。
逃げ遅れた兵士達は熱線に呑み込まれると、断末魔の雄叫びを上げる間もなく身体が灰と化した。
「魔導騎士団、私を何としても守れッ!」
カンプハウゼンの何とも情けない指令を受けて、魔導騎士達は馬に乗った主人を囲うように円陣を組む。
彼等が声を揃えて呪文を唱えると、先ほどシャルロッテが使用したものとよく似たドーム型の結界が展開された。
結界は、ドラゴンが放った熱線から、中にいる者達を守るが、所々に亀裂が入ってもう一撃を受けたら一瞬で砕け散る事だろう。
ドラゴンは一気に急降下して、前足の鋭い鉤爪で結界を切り裂く。
結界はあっさりとバラバラに砕け、カンプハウゼンと魔導騎士達を守る者は無くなってしまう。
「ひいッ!」
カンプハウゼンは馬を走らせて逃走する。
「な! 旦那様、お待ち下さい!」
魔導騎士達も尻尾を巻いて主人の後を追う。
ドラゴンは辺りを見渡し、周囲に生存者が見当たらないのを確認すると、しばらく森の方を見つめた。
「そこに潜んでいるのは分かっている。出てきたらどう? 別に取って食べたりはしないわ」
ドラゴンが口を開いたかと思えば、人間の少女の声で話し始めた。
その声を聞いて、森の中からレオンハルトとシャルロッテが恐る恐る顔を出して姿を現す。
「す、すごい。ドラゴンが喋ってるよ」
「ま、まさか、そんな。教会の書物でも喋るドラゴンなんて聞いた事ないわ」
ドラゴンは人間に次ぐ高い知能を持つとされるが、人語を話せるドラゴンがいるというのは普通あり得ない。
二人が不思議そうにドラゴンを注視していると、ドラゴンの身体から漆黒の魔力が溢れ出す。
それはドラゴンの身体を卵のように包み込むと、次第に小さく収束していく。そして人間と同じくらいの大きさになったところで、亀裂が入って雛が孵る瞬間のように魔力の卵はバラバラに砕けた。
中から現れたのは、その声に似つかわしい見た目の少女だった。
腰の辺りまで伸びる黒い髪を後ろで一本に纏めて、頭には先ほどのドラゴンにあった角とよく似た形状の黒い角が二本生えている。
見た目はレオンハルトとシャルロッテよりもやや幼そうに見えるが、相手が相手なだけに見た目通りの年齢かは二人には判断できなかった。
ドラゴンの時に感じた威圧感は微塵も感じさせない可憐な容姿と華奢な体格は、ドラゴンというより子猫という感じである。
「あなた達、レオンハルト王太子殿下と聖女シャルロッテで間違いないわね?」
「そ、そうだけど」
「あなた、一体何者なのかしら?」
恰好的には助けられたと言って良いのかもしれないが、先ほどの熱線は一歩間違えば自分達まで消し炭にされかねなかったのだ。危うく殺されかけた相手が敵なのか味方なのか。その判断が着かなかった二人は森の木に隠れたまま動かない。
しかし少女は警戒されて当然と思っているのか、気にせずに話を続ける。
「私はジークフリーデ・ファーフナ。竜人族最後の生き残りよ」
「ド、竜人族!? それってとっくに絶滅したはずの伝説の亜人種だよね!?」
レオンハルトは目を見開いて驚いた。
竜人族とは、先ほどジークフリーデと名乗る少女がやって見せたように、ドラゴンに変身する事ができる亜人種の一種である。
人間とドラゴンのハーフを起源とするという伝説を持つ少数民族で、百年以上前に絶滅したとされていた。
「絶滅したとは失礼ね。この通りちゃんと生きてるわよ! あなた達、人間がドラゴンを乱獲してくれたおかげでほとんどいなくなっちゃったけどね」
「……でも、一体どうして僕等を助けてくれたの?」
「ある人の依頼でね。あなた達を助けるのに協力すれば、私にエーデルラントでの居住権と貴族の地位をくれるって約束してくれた人がいたのよ」
「え?」
「ちょ、ちょっと待って! それって!」
レオンハルトとシャルロッテの脳裏には、同一人物の顔が浮かぶ。
二人が一番よく知る親友の顔が。
「おっと。正体は明かさないように口止めされてるから言えないわ。でも、彼から手土産も預かってるわよ」
ジークフリーデはそう言って右手を前にかざす。
すると彼女の手前の地面に魔法陣が浮かび上がり、そこから二振りの剣と何かが入った大きな袋が出現した。
ジークフリーデはその剣を手に取ると剣先を地面に向けて突き刺した。
黄金の柄には青い宝玉が埋め込まれ、白銀の刀身は神々しい輝きを放つ剣だった。
「それはひょっとして、聖剣バルムンクじゃないか?」
レオンハルトはその剣に見覚えがあった。
王宮の宝物庫で大切に保管されていたのを昔、シャルロッテやユリウスと悪戯で盗み出して玩具にし、こっ酷く叱られたという出来事があったのだ。
「ええ。私の先祖を斬ったっていう伝承もある。私にとっても縁のある剣。まあ、それは良いとして、あなたにあげるそうよ」
聖剣バルムンク。
それは昔話にも登場する聖剣で、岩や鉄も容易く斬り裂く切れ味を誇り、強靭な鱗で守られているドラゴンすらも一太刀で倒せると言われる。
次にジークフリーデはもう一本の剣を握ると、バルムンクのすぐ隣に突き刺す。
こちらは形状や色などほぼバルムンクと同じだったが、唯一柄に嵌められている宝玉が青ではなく赤だった。
「そっちのってもしかして、ノートゥングかしら?」
「へえ。よく知ってるわね」
聖剣ノートゥング。
バルムンクほど昔話や伝説に登場する機会は少ないが、バルムンクの姉妹剣とされる聖剣である。
「それと、こっちの袋にはマルク金貨がパンパンに詰まってる」
「……一体、どういうつもり?」
シャルロッテは改めて警戒の眼差しをジークフリーデという少女に向けた。
「これを持って国外でひっそりと暮らしてほしい。それが私にこの役目を与えた人の意思よ」
「……」
「ユリウス、君って奴は」
レオンハルトとシャルロッテは苦虫を嚙み潰したような顔をして、言葉も出ないという様子だった。
そんな二人にお構い無しにジークフリーデは話を続ける。
「死体の偽装はこっちでしておくわ。表向きにはあなた達はドラゴンの熱線に焼かれて死亡。死体は誰だか判別できない状態になってしまった。という事にしておく。証人はさっき逃げ出したカンプハウゼン男爵よ。これで死体の数が合っていれば誰もあなた達の死を疑わないわ」
「ま、まさか、ユリウスは、ここまでの事を全て想定してたって言うの?」
「そう、なんだろうね」
ユリウスの計算高さはよく知っているつもりでいた二人だが、流石に驚かずにはいられなかった。
ユリウスは自分達が宮殿での不意打ちから逃れ、王都の包囲から逃れてここまで来る事を全て読んでいたという事になる。
そして、ここまでして自分達を逃がそうとしているのだと知った時、二人は無性に悔しさのような感情を覚えた。
「……ジークフリーデさん、一つだけ言付けをお願いしても良いかな?」
「良いわよ。何を伝えれば良いの?」
「僕は今でも君を親友だと思っている。って伝えてもらいたい」
「分かったわ。そっちの聖女様は何かある?」
「……私はレオンのように、親を殺されて、その罪を擦り付けられても親友だと言えるようなお人好しじゃないわ。だから、今後もし私達に害を及ぼそうとしたらその時は容赦しないから。それだけ伝えておいて」
「……必ず伝えるわ」