国外逃亡
聖堂を後にしたレオンハルトとシャルロッテは、難なく王都サンクトシグルブルクから脱出した。
戒厳令が発令されて警戒態勢が取られていると言っても、たった二人が抜け出る隙間はある。
二人は人目を避けるために、街道ではなく森林の中をかき分けるように移動する。
「ところでレオン、これからどうするの?」
「さあ。特に考えてないけど、とりあえずゲルマニアからは離れた方が良いよね?」
呑気に笑いながら語るレオンハルト。
そんな彼にシャルロッテは驚きのあまり目を見開いた。
「ちょっと! 何か当てがあったんじゃないの!?」
「そんなの無いよ。ただロッテが一緒にいてくれるなら、最悪どこでも生きていけるかなと思って」
「あなたって本当に……」
シャルロッテは頭を抱える。
レオンハルトは昔から温厚で心優しい人柄なのだが、一方で天然で思慮が浅いところがあった。
そこを指摘するとレオンハルトは決まってこう答えるのだ。
「だ、だって。そういうのを考えるのはユリウスの役目だったろ」
こんな状況になっては同情する気にもなれないが、ユリウスの苦労が偲ばれる。
「……とりあえずゲルマニアを出る事にしましょう。その方が安全だわ」
エーデルラントを含むゲルマニアという大陸北部は、大小様々だが百を超える国家群が乱立している。
そしてその国家群を纏め上げた“神聖ゲルマニア連邦”という連合国家によって治められており、エーデルラントもその加盟国の一つに過ぎない。
つまりエーデルラントの国外に出たと言っても、ゲルマニアに留まっているのはリスクが大きいと言わざるを得ない。
しばらく森の中を南に下っていると、二人は岩ばかり転がっている荒野に出た。
その途端、二人の目付きが変わる。
「ロッテ!」
「ええ。分かってるわ!」
周囲の岩の影から鎧兜に身を包んだ兵士が次々と姿を現した。
裕に五十を超える兵士の中から一人だけ馬に乗り、煌びやかな装飾が施された鎧を着込んだ濃い茶髪をした青年が前に出る。
「カンプハウゼン男爵!?」
それはレオンハルトが宮廷で何度か顔を合わせた事がある人物だった。
彼は若さに身を任せた血気盛んなところがあり、以前から学問や芸術に税を注ぎ込むのではなく、軍備増強や国力強化に国費を投じていずれは神聖ゲルマニア連邦に代わってゲルマニアの覇権をエーデルラントが握るべきと主張する過激派グループに好意的な主張を抱いていた。
「ふふふ。街道封鎖のついでにこの付近を警戒しておくようにとルーデンドルフ公から命じられていたが、まさか本当に現れるとは。流石は賢者というところか。頼もしいご慧眼だ」
「……まさかあなたまでクーデターに与していたなんて!」
「陛下のような趣味にばかり没頭する御方やあなたのようなお優しいだけが取り柄の御方が王では、いずれエーデルラントは痩せ衰え滅びてしまう。故に私はルーデンドルフ公と、そのルーデンドルフ公が選ばれたカール王子に全てを懸けたのです。どうか抵抗なさらずに投降願います。如何に陛下暗殺犯とはいえ、王太子殿下と聖女様を手に掛けたくはない」
エーデルラントのために。そう主張するカンプハウゼンの言葉にレオンハルトは動揺する。
父上は、自分は、そんなに頼りない王と王太子だったのかと、感じずには入られなかったからだ。
「レオンッ! 今はこの場を切り抜ける事だけを考えなさい!」
シャルロッテは聖堂で入手した剣を鞘から抜いて構える。
「う、うん!」
レオンハルトも剣を抜いて構えた。
閃光の異名を持つレオンハルトが剣を構えて、鋭い視線を周囲に向けた瞬間、兵士達の脳裏に戦慄が走る。
「お、お前達、何をもたもたしている! 相手はたった二人だぞ!」
カンプハウゼンの言葉を受けて、我に帰った兵士達が一斉にレオンハルトとシャルロッテに襲い掛かる。
兵士達が突く槍、振り下ろす剣。
それ等をシャルロッテが魔力防壁で防ぎ、彼等が怯んだ隙に文字通り閃光のような早業でレオンハルトが剣を振るう。
レオンハルトの剣は、兵士達の剣を、槍を斬り裂いて彼等の戦闘能力を奪っていく。
攻撃はレオンハルト、防御はシャルロッテ。その連携は幼い頃からの悪戯で培われてきただけに非常に高度で緻密なものだった。
しかし、そこには本来いるべきもう一人、即ち頭脳のユリウスがいない事に、二人は僅かばかりの違和感と寂しさを感じている。
圧倒的多数で攻め寄せるも、レオンハルトとシャルロッテの巧みな攻守はまったく崩れる様子が無い。
「ええい! 魔導騎士団、前へ!」
カンプハウゼン男爵が抱える私兵集団の切り札でもあるこの魔導騎士団は、先ほど王宮でユリウスが率いていた王立魔導騎士団と違って装備は安っぽく、鎧の種類形状にも騎士それぞれで若干のバラつきがあった。
「火炎魔法を一斉射! 奴等を蒸し焼きにしてやれ!」
「で、ですが今、攻撃をしては味方の兵を巻き込みますが」
「構わん! 役立たずの兵など必要無い! 撃て!」
「……承知致しました、旦那様。魔導騎士団、火炎魔法の用意!」
団長は躊躇しつつも、主人の命令を遂行する。
団長の指示を受けて、団長を含む十一人いる魔導騎士が杖を構えた。彼等は魔力を杖の先に収束させて握り拳程度の大きさの火の玉を形成する。
「撃ち方始め!!」
団長の命令と同時に、魔導騎士達が一斉に火炎魔法を放つ。
放たれた火炎魔法は、真っ直ぐ飛翔する矢のようにレオンハルト達に向かって襲い掛かる。
このまま直撃を受ければ、レオンハルトとシャルロッテだけでなく、二人と剣を交えるカンプハウゼンの兵達にまで被害が及ぶだろう。
それに気付いたシャルロッテは、自身とレオンハルトだけでなく周囲の兵達をも包み込むように結界魔法でドーム型の魔力防壁を作り出した。
十一人の魔導騎士による一斉攻撃を受けてもシャルロッテが作った結界はビクともしない。流石は聖女と言ったところだろう。
しかし、外側へと守りが手薄となった事で、迫り来る剣への守りが疎かになってしまう。
その隙を突かれ、一本の刃がシャルロッテに迫った。
「しまッ!」
シャルロッテが迫る刃に気付いた時には既に遅く、その刃から逃れる術はもう無い。
「ロッテ!」
レオンハルトがシャルロッテの手を掴んで引っ張る事で、寸でのところで回避させた。
しかし、これで先ほどまで維持されていた攻守の連携は完全に崩れてしまう。
「ロッテ、このままじゃこっちが不利だ! この場は退こう!」
「ええ。その方が良さそうね!」
二人はさっき通ってきた道を引き返して森の中へと戻ろうとする。
その瞬間、上空からライオンや虎といった猛獣よりも更に力強い迫力に満ちた咆哮が地上へと轟く。
それを聞いた皆が凍り付いたように動きを止めて、咆哮のした上へと顔を上げた。
彼等の視界に映り込んだのは、月を背にしてこちらへと向かってくる漆黒の鱗で全身を覆い、漆黒の翼を羽ばたかせる大きなドラゴンだった。