三悪童
人暦一六三五年。
エーデルラント王国の王都サンクトシグルブルク。
学問と芸術への関心が深く、多くの学者と芸術家を招き入れたフリードリヒ王のお膝元であるこのサンクトシグルブルクは、あちこちで贅を凝らした建物や銅像と言った建築物が立ち並ぶ文化都市として名を馳せている。
そんな街の中央に建つ、この王都最高の芸術作品とも言われる“サンクトロゼンブルク宮殿”では現在、小さな事件が巻き起こっていた。
「おい! 見つかったか?」
「いや。まだだ。一体どこにおられるのか?」
「これ以上被害が出る前に何としても見つけ出すんだ!」
美しい白亜の宮殿の廊下に、そして庭園には赤い軍服を着た近衛兵達が血相を変えて走り回っている。
「皆、こっちの壁もやられるぞ!」
「何だと!? くそッ! まったくいつもいつも迷惑させられるな。あの三悪童には!」
そう言って近衛兵達が集まったのは、赤い塗料で大きな花が描かれている壁。
元々は純白の綺麗な壁だった事が窺えるそれは、如何にも子供の落書きだと自己主張しているような花の絵で台無しにされていた。
「こうなったら、近衛兵団全てを挙げて捜索しろ! 王宮を行き来できる門は全て封鎖しているのだ。必ずどこかにいる! 探せ!」
近衛兵達が王宮の中を駆けずり回る中、その近衛兵の最高責任者という立場にある近衛兵団司令官オーベルク伯爵は、事の次第を報告すべくこの王宮の主であるフリードリヒ王に謁見していた。
「発見された落書きの数は既に二十を超えております。来週にはガリア王国の特使を迎えるこの大事な時に、このような事態を招いてしまった事は全て私めの不徳の致すところ」
「構わん。そなたに非は無い」
そう玉座に座りながら言うのは、温厚そうな雰囲気を漂わせている、四十代くらいの銀髪をした男性だった。
彼こそがこのエーデルラント王国の国王フリードリヒ・フォン・エーデルラントである。
自分の王宮を落書きだらけにされたにも関わらず、フリードリヒ王は妙に楽し気に頬杖をついていた。
「どうせ此度もあのルーデンドルフ公の倅の差配によるものだろう?」
「おそらくは。近衛兵の巡回ルートを全て把握し、その隙を突いたとしか思えません。でなければ、誰にも気付かれずにこれほどの数の落書きを成すのは不可能でしょう」
「それにこの鮮やかな手並みは、我が子の犯行か」
「はい。これほどの迅速な犯行は閃光の如き早業で知られるレオンハルト王太子殿下にしかできますまい」
「となると落書きに使用したペンキを手配したのは、あの次期聖女だな」
「たしか教会では現在、外壁工事が行われているとか。そこのペンキを持ち出したのでしょう」
「ふふふ。まったく困った三悪童だ。尤も子供に振り回されるそなた等もそなた等だが」
その時、若い近衛兵が一人玉座の間へと現れた。
「ご報告致します! 王太子殿下、ルーデンドルフ公爵の御子息、次期聖女様の御三方を無事に保護致しました! こちらにお連れしましょうか?」
「その必要は無い。地下牢にでも放り込んでおけ。どうせ反省などしないだろうが、お咎め無しというわけにもいかんのでな」
「仰せのままに、陛下!」
◆◇◆◇◆
王宮の地下に設けられた地下牢。
数本の蝋燭の灯りで辛うじて視界が保たれているそこは、地上の壮麗な宮殿とは真逆でジメジメした汚い空間。
鉄格子の向こうには二人の少年と一人の少女が楽しそうに笑い合っていた。
「ふふふ。どうだ!? 俺の作戦のおかげで今日は新記録達成だぜ!」
そう言って無邪気に笑うのは、艶のある黒髪に黒い瞳をした、端整な顔立ちをした少年だった。
彼の名はユリウス・フォン・ルーデンドルフ。
エーデルラント王国宰相ルーデンドルフ公爵の嫡男であり、まだ十二歳という幼さながらもその頭脳は大人顔負けの天才ぶり。そして彼は、数百万人の一人の割合で誕生し、生まれつき高い魔力量と魔法の才能を持つとされる『賢者』でもあり、いずれは王国を支える要となる事を期待されている。
しかし、物心付いた頃から我欲塗れの大人達によって英才教育を押し付けられてきたために、心の中に常に孤独感や空虚感を感じていた。
そんな中、今ここに共にいる友人達と出会った事で、これまで抑えてきた感情が爆発し、悪戯という行為に彼を走らせていたのだ。
「いいや。僕の手並みが良かったから、新記録が達成できたんだよ!」
そう言うのは、ふわふわとした印象を受ける癖のある綺麗な金髪に蒼い瞳をした、温厚そうな雰囲気の容姿をしている少年。
彼の名はレオンハルト・フォン・エーデルラント。
エーデルラント王国王太子、つまりは次期国王となる少年だ。
年齢はユリウスと同じ十二歳ながら身体能力が高く、身のこなしや剣技の速さは、彼に剣術を教えた師範から“閃光”と呼ばれるほど。
温厚で誠実な人柄、そしてその愛らしい容姿から、多くの人々を魅了するカリスマ性の持ち主。なのだが、やはりまだ遊びたい盛りの子供らしく、ユリウス達と数々の悪戯を行なって宮廷に多くの伝説を築き上げている。
二人の少年が互いに自分の功を誇る中、その間に赤髪をした少女が割って入る。
「二人とも分かってないわね。そもそも今回の悪戯は私の協力無しには成立しないものだったのよ。一体誰がペンキを手配したと思っているのかしら? 一体誰がこの王宮にペンキをこっそり持ち込んだのか忘れたのかしら? ねえ、ユリウス?」
「うぅ」
「それにレオンが近衛兵に見つかりそうになった時、彼等の気を逸らして見つからないように仕向けてあげたのを知らなかったとは言わせないわよ。ねえ、レオン?」
「そ、それは……」
そう二人に強きで語るのは、腰まで真っ直ぐ伸びる赤髪に蒼い瞳をした、活き活きとした雰囲気の少女。
彼女の名は、シャルロッテ・フォン・テンペルハイム。
聖魔法の達人で、回復や結界などはお手の物。その才能から、王国で最高の聖魔法使いであり、王室を守る守護者とも呼ばれる『聖女』に将来なる事が内定していた。
十二歳で次期聖女内定というのは王国史上でも極めて稀な例であり、それだけでもシャルロッテの類稀なる才能が窺える。
教会ではそれに相応しく、誰よりも自らを律して、誰よりも慎ましくお淑やかに過ごしているのだが、その反動もあってか幼馴染のユリウスとレオンハルトの前では悪戯好きのお転婆娘と化す。
この三人は、立場も才能もバラバラだが、だからこそ手を携えた時に発揮される力は凄まじいものだった。
彼等が無事に、新たな王に、新たな宰相に、新たな聖女になった時、王国は世界に覇を唱える大国へと登り詰めるかもしれないと思う者は決して少なくはなかった。
この時は。