2.あたしは死ななきゃいけないらしい。①
◇ ◇ ◇
「これからどうしよっか、パトリック」
神殿から少し離れた場所にある、樹齢千年の大樹に背を預け、あたしはパトリックの隣で座り込んでいた。
向こう三カ月分のバナナが入った、でっかい麻袋を傍らに。
ていうかさぁ……
慈悲ある行いって三カ月分のバナナかよ! どう食えっていうのよ速攻で腐るわ!
せめてパトリックにも食べられる物にしてくれればいいのに……
完全に持て余した心地で、地面に寝そべっているパトリックの頭に、ぽんと手を置く。
するとパトリックは「わう」と顔を上げ、あたしにすりすりと身を寄せてきた。
「……っ! ああもうかわいい子っ。そうね、あんたがいれば他になにもいらないわ!」
あたしはばふぅ、とパトリックに抱きつき、もふもふした毛に顔をうずめた。
ふわぁ~。あったかくてもわもわしてて、心地いい~。
たっぷり極上のぬくもりを堪能してから、つぶらな黒い瞳を見つめる。
「ここにいたって始まらないし。里に帰って、また昔みたいにふたりで暮らそっか♪」
「ばうぅ」
と尻尾をぱたぱた振りながら、パトリック。
……~~~! この子ってばもうっ……
これ以上悩殺されたら、ここから動きだすきっかけがなくなる。あたしは意を決して立ち上がった。
神殿を護るようにして展開されているこの森は、緑や命にあふれている。大好きな場所なので名残惜しいけど、もう別れを告げる時だ。
「じゃあ行こうかパトリック」
「わう」
よいしょ、と麻袋を担ぎ上げる。
にしても結構重いな。バナナ三カ月分これほどとは……
と――
がさり、と近くの茂みが揺れる。
目をやると、そこから三人の男たちが姿を現した。物々しいいでたちで、ひとりは抜き身の剣を携え、ひとりは矢筒と弓を背負い、ひとりは斧を抱えている。
神域の森で、穏やかじゃないなあ……そしてなんだか嫌な予感。
剣を持った男が口を開く。
「黒神子だな」
「違います」
「嘘つくな。死ね」
単刀直入過ぎじゃない⁉
「逃げるわよパトリック!」
「ばう!」
あたしはくるりと方向転換。駆けだそうとするも嫌な予感がし、振り向けば刃が迫っていた。
投げナイフ⁉
慌てて身体をひねると、ナイフは麻袋へと刺さった。
バナナ役に立ったあぁぁぁ!
謎の感激に包まれるが、こんな重荷を抱えて走るのはやっぱ無理だ。
食べ物粗末にしてすいません!
袋から取り出したバナナ数本をやけくそに男たちに投げつけ、あたしは麻袋を捨て逃げ出した。
◇ ◇ ◇
いつも安心を与えてくれた森が、今は人気を断つ狩り場のように思えてくる。
もう少し行けば、大きなお屋敷が立ってるはずなんだけど……
そこは建物を中心に、一帯の立ち入り禁止令が出ている。神殿の高額支援者が住んでいるらしいんだけど、とにかく人嫌いで、顔を隠し、姿もろくに見せず、外部の人間を寄せつけようとしないとか。
今更立ち入り禁止令を護る義理もないけど、そんな人物のいる場所に逃げ込んで、果たして助けてもらえるのか。
いやでも、さすがに殺されそうな人間が逃げてきたら助けてくれるかな? 神殿に出資してるってことは、なにかしらの道徳心はあるんだろうし。
いやいやでも、もしあたしが逃げ込むのを見越して男たちの仲間がいたら……?
どうしよう、どうしよう。
思考がぐるぐる回って大事なところに到達しない。
……せめてパトリックだけでも逃がさなきゃっ!
「パトリック! あんたの足なら逃げきれる! 狙われてるのはたぶんあたしだし、先にとっとと逃げちゃって!」
「わぅっわぅっ!」
パトリックは拒否するように吠え、あくまであたしに並走する。
……~~~! この子ってばもうっ! 人一倍……いや犬一倍臆病なくせに!
天使様の力を借りようにも、祈祷の間じゃなきゃ加護は得られないしっ……
「とにかく今は逃げ――っ⁉」
脚に衝撃。視界が揺らぐ。横転したのはあたしの身体。
そのまま地面にたたきつけられ、ごろごろと転がる。
慌てて身を起こそうとするも、突き抜けるような痛みに断念する。
「っ……」
あたしは倒れたまま目だけを動かした。
痛みの出どころは左大腿部。そこから矢が生えていた。矢尻を濡らしている赤い血は、もちろんあたしのもの。
なにこれ……尋常じゃなく、痛い、んだけど……
抜いた方がいいのかな……
そう思って矢を握るが、少し力を込めただけで激痛が走った。
……こんなん引き抜くのとか、絶対無理じゃん……
足音が聞こえる。男たちだ。特に急いだ様子がないのは、急ぐ必要がないからだ。なにせ獲物は無様に倒れている。
「わうぅっ」
パトリックが駆け寄ってくる。
あたしは泣きそうな顔で訴えた。
「パトリック。お願いだから、あんたは逃げて……」
両親に先立たれても、惨めな暮らしをしても、パトリックがいたから耐えられた。
だからパトリックになにかあるなんて、死んでも嫌だった。
なのに。
「ばうぅ!」
パトリックはあたしを護るように、追っ手の前へと立ちはだかった。
臆病なくせに。
自分よりも小柄な犬にすら、おびえて逃げるくせに。
「お願い……やめてパトリック……」
涙で視界がにじむ。
「ばう!」
先頭の男に、パトリックは飛びかかり――
「邪魔をするな」
横薙ぎの一撃に、その身をはじき飛ばされた。