5.あたしは役立たずらしい②
◇ ◇ ◇
館に移っててよかった。
広い廊下を駆けながら、あたしは館に住まわせてくれたタルタラ様に感謝した。
少し前までは、あたしが拾われた際のなんとなくの流れのまま、ずっと離れに住んでいた。
だけど男たちが侵入してきた翌日、あたしとパトリックのための部屋を、タルタラ様が屋敷に用意してくれた。
そのおかげで、こうして必要な物もすぐに取りに行けるのだ。
向かっているのは薬剤庫。戯れに調合した物から実用性の高い物まで、タルタラ様が創った薬がそろっている。
堕天使がなぜ薬を調合するのか不思議だったけど、なんでも擬人化期に質の悪い風邪にかかり、大変な目に遭ったのがトラウマで、万全の備えをしているらしい。
風邪におびえる堕天使様って、なんか面白いなあ……って思念を読み取られて、あたしの方こそ大変な目に遭ったっけ。
そんなことを考えているうちに、薬剤庫へとたどり着いた。無駄に重い扉を押して中に入る。
部屋自体は手狭だけど、棚には薬草や薬瓶がずらっと並んでおり、種類には事欠かない。
えっと、動物用の薬は……っと。
廊下からの明かりを頼りに、記憶をたどりながら薬瓶を探していると。
――がしゃぁぁ……ん。
「え?」
今、ガラスが割れるような音がしたような……
次いで、争うような物音。
「っ⁉」
間違いない、屋敷内でなにかがあったんだ!
あたしは持っていた小瓶を適当な棚に置いて、薬剤庫を飛び出した。
廊下に出てすぐ、左右どちらに進むか行き詰まってしまう。
と思いきや、再びの物音に方向が定まる。音がしたのは、あたしとパトリックの部屋がある方だ。
不安を感じて走りだす。
今さっき聞こえた物音には、タルタラ様の罵声も交じっていた。
もしかしたら、タルタラ様がご機嫌ななめで暴れているだけかもしれない。
それならそれでいい。片づければいいだけの話だ。
でもそうじゃなかったら……他の時期ならともかく、今は駄目だ。だって今日のタルタラ様は……
ぐずぐず遅い足に反して、焦燥感だけが先走っていた。嫌な予感がした。
「パトリック! タルタラ様!」
せめて声だけでも先に着かせたくて、あたしは走りながら声を張り上げた。
屋敷の広さを呪って足を動かし、ようやっと自分の部屋にたどり着く。
「タルタラ様⁉」
ばんっ、と扉を開け放つと。
予想通りの状況の中、希望していた結果と、あえて予想しなかった――したくなかった光景が溶け込んでいた。
窓。これは予想通り割れていた。外から降り込んだ雨が、室内を激しく濡らしている。床に散らばったガラス片の上で、血まみれの男が倒れていた。そばには血濡れの斧も。
例の三人組みの、最後のひとり。侵入目的は不明だけど、虫の息なのは分かった。割れた窓に絡めた状況としてさほど驚きはないし、死んだとしても興味はない。
部屋の隅のパトリック。あたしの希望通り無事のようだった。よかった。
そしてタルタラ様。男とパトリックの中間で、ぐったりと倒れている。
……あたしの希望かなわず、胸から大量の血を流して。
「タルタラ様っ⁉」
あたしは悲鳴を上げて、タルタラ様に駆け寄った。
抱き起こそうとするも、動かしていいのか分からず手が止まる。
素人目から見ても分かるくらいの致命傷だった。というより、普通の人間ならとっくに死んでいるのではないだろうか。
血まみれの胸が上下するたび、ひゅー、ひゅーと弱々しい風のような音が聞こえる。
どうしよう、どうすれば……
「! そうだ、治癒の力で!」
あたしはタルタラ様の胸の上に手をかざした。
しかしどれだけ念を送っても、回復の兆しが見えない。
やっぱり、あたし程度の力じゃ無理なんだ……
と。
「くぅん……」
すり、すりと這いずるようにして、パトリックがこちらへと近づいてくる。熱でつらいだろうに、少しでもこちらに――タルタラ様に近づこうと、身体を動かしている。
「……実に愚かしい」
タルタラ様は震える指を伸ばし、パトリックの鼻先に触れさせた。
「こんな白い毛玉のために、わらわが死ぬなど……」
「タルタラ様……」
やっぱりタルタラ様は、パトリックをかばってくれたんだ……
「ごめんなさいタルタラ様。あたし役に立たないどころか、タルタラ様をこんな目に……」
「無自覚に迷惑をかける……よいではないか。それでこそ堕天使じゃ」
タルタラ様が薄く笑みを浮かべる。
「ネフェリア。わらわが死んだら――」
「そんなこと言わないでください!」
「わらわが死んだら、御使いの後継は――」
言い終える前に、タルタラ様の身体が光に包まれ始めた。
……いや違う。タルタラ様の身体自体が、光を発している……?
「やだ! やですタルタラ様! 待って!」
終わりを感じたあたしの叫びむなしく、タルタラ様は光の中に消えて――




