末期の始まり
「それは癌ね」
向かいに座っていたたけるが一瞬、顔を歪めた途端、遠くからガシャン、ガシャンという音が聞こえてきて、列車がガタンと揺れ、やがてゆっくりと動き出した。勢いで頭を垂れたまま彼は言った。
「そう言うなよ」
自分でもひょっとすると、と思っていることがはっきりわかるような言い方で、あたしが冗談でほおった石が不吉な予言のようにコンパートメントに転がったのだと気づいた。ニースからマントンに向かう列車の中で、人間ドックで膵臓だかなんだかが引っかかって、戻ったらすぐに再検査なんだそうだ。
ふと、という素振りで、窓枠に肘をついて海の方を眺める。海は見えないけれど、ニースの大きな石ころだらけのすとんと落ちる海岸を思い出す。
「組織を採って検査するんだけど、それが痛いんだってさ」
そんなふうにいろいろと病院のことや医師のことを喋る。周辺的なことを話題にしていれば、渦の中に吸い込まれずに逃げられるとでも思っているかのように。
彼とは年格好からすれば軽く親娘で、この二年くらいの間にあたしにいろんなことを教え込んだ。少なくともあっちはそう思っている。だからどこに行っても面倒くさい視線がまとわりつく。バカな男ではないから、埃っぽい東京を自慢げに連れまわしたりしないけれど。でも、ヨーロッパに限らず、大抵の外国ではあたしたちがキスをしていてもほうっておいてくれる。せいせいする。たけるは日本の男らしくここぞとばかりにあたしに甘えてくる。
昨日行ったシャガール美術館にゴロゴロいた日本人は、お互い顔を背けあっていた。日本人なんて目障りなシミだもんね。輝くようなオレンジや目に染みとおる青の色彩の海に身体を浸している間に、彼は外でタバコを吹かしていつまでも待っててくれる。あたしがちょっと涙ぐんでいると、気づかない振りをして、「うどんでも食いたいな」と言った。
…小さなヨットを舫ったヴィラが右手の車窓を何度も横切る。いつもどおり手を握りあっているだけで感情がせき上がってきそうで、窓をにらんでいると、入り江の形が同じようで違うのがわかる。でも、それ以上想像は広がってくれない。
ふと見ると黒い大きな瞳の女の子が足元に来ていた。通路にいる家族連れの一人のようだ。
「ここに座る?」
女の子が了解を求めた先の暗灰色のスカーフを被った母親が微笑みながら、かぶりを振る。
「どこまで行くの?」
ナポリまでと母親が応える。なるほど子沢山のわけだ。
どこから?日本から。……お互い拙いフランス語で話す。イタリア語を混ぜてもいいけれど、際限なく喋られそうであたしの手に負えなくなってしまう。途切れ途切れの会話が立ち入り過ぎなくていい。子どもたちはあたしを保育士でも見るような目で、次々とにぎやかに質問をする。たけるは英語が少し話せる程度なので、黙っている。典型的な出稼ぎ労働者のようだ。パリで掃除婦かなんかしていて、イースターの休暇で列車を何回も乗り継いで帰るのだろう。
マントンはそう遠くない。旅は人への感じ方を露わにする。降りるときに感謝の気持ちを込めて、「アリヴェデルチ!」と言うと、元気な声が四つとたくましい声が一つ帰ってきた。ずっと腕を組んで黙っていた、若いオリーヴの木がパリの憂霧を纏ったような十四、五の娘は、目を上げただけで挨拶した。