知らない未来 2
リーシアは選ぶ道を決められないまま寝台から抜け出す事にした。
寝込んでいる内にこれ以上事態が変化するのを不安に思ったためだ。
エイゼンとの婚約解消が円満に近く確定した未来はこれが初めてだ。
しかも解消を終えた先にいる。
リーシアはそれがどんな意味を持つのかしっかりと理解していなかった。
解消が決まってから行った未来視は、エイゼンとの婚約解消を目指していた時より、年数も回数も少ない。
解消後に足元に延びた未来は、解消前には全くあり得なかったものだ。
今までの可能性はほとんど消失し、知らない可能性が幾重にも延びている。
その芽は本当は以前から生えていたのだが、婚約と言う大きな覆いが邪魔をして伸びる事はなかった。
邪魔が無くなった芽は大きく成長し、新たな種も風に運ばれて地に撒かれている。
授業に戻れるようにリーシアは、友人らと放課後に集まった。
理由があってもなくてもつい集まる、そんな友人らだ。
体調を確かめたり、休んでいる間の出来事を話したり、楽しい時間を過ごした。
一人、また一人と用事などで別れ、残るのはいつもの特に仲の良いメンバーだ。
五人になって少し経った所で、カチュアが居住まいを正して空気を切り替えた。
「さて、大事な話するわよ」
「何だよ面倒くさい事か」
「うるさいカイ。
ユレ、そっちの状況は?」
「はい、大丈夫でした。
直接関りが無いのに急に接近すると問題が起こるとお伝えしたら、すぐ納得してくださいました」
「ふぅん……」
「何の話だよ」
「ルクレイス様とお茶会の話があったのです」
カイは微妙に目を逸らし、カチュアは読み取って補足を入れた。
「自分の仕える対象の名前くらい覚えなさいよ。
この国の第三王子でリィのもと婚約者の親友よ」
「お、覚えてたからな」
今思い出したと言う方正しかったが、カイはそう主張する事にした。
「どうして王子殿下とお茶会なんて話に?」
マロッドが目を瞬かせて質問した。
ユレアノが申し訳なさそうに眉を下げ、カチュアが呆れたように溜め息をついた。
「エイゼン君に婚約者を見繕いたいってユレちゃが声かけちゃったのよ」
「へぇー」
「……そんな事しちゃったのかい?」
カイは何も分かってなさそうな相槌を打ち、マロッドは珍しく深刻そうにユレアノを見た。
「ごめんなさい。
そんなにおかしい事だと思わなくって」
「ユレアノさんは時々すごく思いきりが良いよね」
「ルクレイス様はこのくらいで怒る方ではありませんし、友達についての話をしたいだけで、王族だからとか、そういうのを考えてなくて……」
ユレアノはしゅんと落ち込んでして説明した。
カイはどちらかと言えばユレアノよりだった。
「たまにこっち見て面白そうな顔してる人だろ?
良いんじゃね?
お茶会とか面倒くさいし、むしろここに呼べば?」
「さすがに失礼よ?あんた」
「人をあんたとか呼ぶ御令嬢様に言われたくねぇな」
「私は切り替え出来るもの。
あんた癖で口が滑っても知らないわよ」
ふざけあう二人に、リーシアは躊躇いがちに尋ねた。
「ルクレイス様が、カイ様を見てるんです?」
カイとカチュアは顔を見合わせた。
その後カイはマロッドを見て、マロッドが不思議そうにしているのが分かると困ったように頭を掻いた。
自分とカチュア以外は気付いていないと分かったからだ。
「俺じゃなくて芝居な。
多分見てるのはリーシア……様だろ」
カイは呼び捨てにしかけて、敬称を付け足した。
カイはリーシアと目が合うと、すっと目を逸らした。
元々カイとリーシアが直接掛け合いをするのは少ない。
仲は良くても性格や勢いが違いすぎて、間にユレアノやカチュアが入る事が多かった。
しかし最近カイがよそよそしいとは、リーシアも何となく気付いていた。
指摘されるまでは敬称を忘れるのがカイだ。
リーシアには聞いた後の反応を確かめないまま理由を尋ねる勇気はない。
未来視をするなら優先すべき事があって、後回しにしていた。
「カイ様は末の姫様ともうお会いした事があります?」
「何だよ急に」
ついリーシアの口をついて出たのは話の流れとは全く関係ない質問だった。
リーシア以外にとっては、だが。
末の姫はまだ幼い五歳の子供である。
口にしてからリーシアも戸惑った。
自分しか知らない未来に基づいての質問で、説明しようが無かったためだ。
――リーシアはカイと姫の間に浅からぬ縁が作られていくと知っている。
何とかそれらしい説明をひねりだした。
「カイ様は、小さな子から好かれそうなので。
優しくて頼もしくて、面白い方ですから」
「おも……」
カイは頬を少し赤くしながら、面白いと言う表現には不服を表した。
リーシアは頬を染めるカイに違和感を覚えた。
カチュアが首を傾げたリーシアの代わりかのように、それらしい事を言った。
「確かにカイは小さな子に与えるおもちゃとしては面白いかもね。
頭の中は子供と一緒だし、良い遊び相手になるかもしれない」
「てめ……」
「あら淑女にてめぇなんて下品な言葉、聞かせないで頂けるかしら?」
「てめえ?」
「何だいそれ?」
「リィとマロ君は分かんなくて良い言葉よー
リィちゃんはルクレイス様が第二王女の遊び相手に連れていきたくてカイを見ていると思ってるの?」
「あ、はい」
リーシアはカチュアの助け舟に乗った。
リーシアの失言から上手く何かを導き出してくれたようだと尊敬した。
そしてカチュアは出した可能性を自分で否定した。
「第三王子はリィちゃん達の演技が気になってるんでしょ。
第二王女の遊び相手とかは関係ないと思うわ。
第三王子に限らずエイゼン君の友人連中は一緒になって見てるし」
「いや、あいつ……」
カイは何かを言いかけて、注目を集めて口を閉じた。
気まずそうに、何でもないと顔を逸らした。
リーシアはカチュアを窺ったが、カチュアも分からないようで不審そうな顔をしていた。
リーシアはカイの変化と態度のおかしさに、少しの興味が沸いた。
その後はルクレイスから接触があるかもしれないとお互いの意思を確認しあった。
リーシアとカチュアは関わりたくない。
マロッドも目立ちたくない質なので、断れない事態にならない限りは近付きたくないと言った。
しかし珍しくマロッドは、迷うような素振りも見せた。
どことなく、会ってみたそうだった。
ユレアノは避けずに単身で会話はすると選んだ。
ユレアノとカイは異能者であり、親しくなっても言い訳がたつ。
カイは気構えなかった。
積極的に避けたり近付いたりはしないが、相手に合わせると言った。
そのままお喋りを楽しみ、解散する時間になると、カチュアはリーシアを呼び止めた。
「ユレちゃん、リィちゃを借りるよ」
「お二人で内緒話ですか……?」
不安そうなユレアノに、カチュアは意地悪そうに笑んでみせ、ぎゅっとリーシアを抱き締めた。
「リィが寝込んでる間はユレしか会わせて貰えないでしょ。
私もリィと二人きりで話したいの」
「寝込んでる間は話せてないですよ」
「ユレは部屋に帰ったら二人じゃない」
「うぅ……」
リーシアはカチュアの意図が分からなくて困って皆を見回した。
ユレアノはすがるようにリーシアを見ている。
マロッドはふざけあっていると思っているのか、微笑ましそうにリーシア達を見つめている。
カイは気まずそうに、ほんのり頬を染めて目を逸らしていた。
リーシアはカイの反応がよく分からなかった。
背後のカチュアを振り返ろうとすると、腕に力が込められた。
「じゃあユレちゃももう一回お説教ね。
ユレちゃを止められなかったリィを今からお説教なんだけど、一緒にもう一回お勉強する?」
「訓練に行ってきますね」
ユレアノは顔をひきつらせてすんなりと引いた。
訓練と言うのは異能を使う訓練だ。
「カイ様も行きます?」
「あぁ、行く。
治癒がムズい」
「ムズい?」
「ムズイ?」
リーシアとマロッドに聞き返されて、カイは息を吐いた。
「大変に難しくございます」
「合う合わないはあるそうなので、カイ様は水の訓練に集中しても良いかもしれませんよ」
「出来ねぇとムカつ……腹が立つからやる」
「なら一緒に頑張りましょう」
ユレアノはカイを連れて先に部屋を出た。
水の魔石が入った事で、二人の訓練は火ではなく水に移行していた。
ユレアノが燃え上がる未来はあれから見えないため、リーシアは安心している。
残ったマロッドはにこにこしながら教室を出る挨拶をして、思い出したように足を止めた。
「リーシアさん、家の方からヴィジット伯爵様に手紙を送らせて貰ってるんだ」
「お父様にですか?」
未来視で見たことがない話で、リーシアは驚いて口元に手をやり首を傾げた。
マロッドはおかしそうに笑んだ。
「伯爵様の話を聞いてから興味が沸いて、皆に話を聞いたらもっと興味が沸いたんだ。
私は継ぐ領地もないし、家のつてでどこへなりとも収まれるから、今まで深く先の事を考えた事はなかったのだけど」
「マロ君のんびりすぎでしょ」
リーシアの後ろからカチュアが呆れた声を出した。
「そうかな?
焦る必要ないし、普通だと思うよ」
「これだから名前の大きな家の坊ちゃんは……
で、それがリィのお父さんと何の関係があるの?」
「伯爵様の下で勉強してみたいなって」
「え?」
「へぇ?」
カチュアの笑みを含んだ声が頭を素通りするほどリーシアは驚いた。
マロッドがヴィジット領で勉強している未来など見た事がなかった。
「仕事もだけど、伯爵様の人柄をこの目で勉強したいと思って。
伯爵様はすごい方だよね」
「え?はい。
お父様は、私の自慢のお父様です」
マロッドとカチュアから幼子でも見るような柔らかい眼差しを向けられ、リーシアは逆に身を縮めた。
「身内贔屓ではないんです。
お父様の……お父様とお母様の素敵さを知ってほしくて、つい」
異能を知っても変わらず愛してくれた父母。
リーシアの言葉を信じて必死で守ってくれて。
まるで普通の子のように、身に持つ力を頼ってもくれた。
頼られ役に立てる嬉しさはリーシアを孤独感から守った。
リーシアが少しでも無理をして体調を崩せば、父は無理をするなと叱り、母は頑張りを誉めて休みなさいと撫でてくれる。
――リーシアが先に死ぬと、父母は嘆き悲しんでやつれていく……後を追う事すらある。
リーシアは二人の娘への愛を疑う事なく感じて生きてきた。
マロッドは優しい顔で頷いた。
「私もそう思うよ。
話を聞けば聞くほどお会いしたくなって。
大分先の話だけど、もし許可して貰えれば卒業後も縁があるかもしれないからよろしくね」
「こちらこそ。
私からもお父様に話してみます」
「ありがとう。
実はそれが頼みたかったんだ」
マロッドはいたずらっぽく笑った。
それは珍しいもので、マロッドの心境の変化をリーシアは感じとった。
変化した後の未来を視ていないからこそ、リーシアはマロッドが滲ませる変化に気付いた。
「ヴィジット領とお父様がマロッド様にとって良い縁となりますように」
「ありがとう。
まずは受け入れて貰えるよう頑張る所からだけどね」
マロッドは彼らしい柔らかな笑みで退室を告げて出ていった。
また一つ、リーシアに気になる事が出来た。
マロッドはヴィジット領に来るのか。
来て何をするのか。
それは悪い結果にならないのか。
マロッドの変化は吉なのか、凶なのか。
領地や父が関わる以上、それを確かめなければいけない。
リーシアはまだ自分を抱き締めているカチュアへ声をけた。
「カチュア様、お父様に手紙を送りたいです。
お話は今度にして頂いても大丈夫でしょうか」
部屋に戻って未来を視なければと、リーシアは考えていた。
カチュアは強引に人を動かす事はしない。
頼めば引いてくれると考えていた。
「だめ」
「駄目、ですか?」
だから強く断られるのはリーシアには予想外だった。
カチュアはリーシアを腕から離すと、振り返ったリーシアをじっと見つめた。
「大事な話があるから手紙は後にして。
人に聞かれたくないから部屋にいきましょう」
「はい……」
よく分からないままリーシアは頷いた。
カチュアの目は真剣だった。