大切な人 1
気持ちがないのに何故婚約を破棄できないのか。
リーシアがローレッタに話せることは無かった。
気まずい沈黙が流れ、リーシアはローレッタと目を合わせることも出来なかった。
嫌いと公言して冷たく無視をと考えた時もあったが、中々その一線を越えられないでいた。
叶うならばエイゼンと供に歩みたい、そんな願いを完全には消しきれなかったのだ。
ローレッタに問われ、リーシアは自分の弱さを再確認した。
「私、エイゼンと合いませんの」
「合うって?」
「彼は今ですら素敵なのだし、魅力的な男性になるでしょう。
そんな完璧さがダメなんです」
「完璧さが駄目って、それはちょっと」
確かにローレッタから見ても、エイゼンは良い男になるだろう少年だ。
逆に今はまだ至らぬところがある子供だし、実際にどう育つかは断言出来ない。
完璧などと言われれば、ローレッタの耳にはリーシアの認識の甘さが浮きだって聞こえた。
ローレッタにはリーシアが、大人びたというよりも知識だけ詰め込もうとした子供にしか見えなかった。
もしリーシアが変わってゆく未来を何度も見続け、どの未来に置いてもエイゼンが優秀で誠実な人間だったとローレッタに告げられていれば違ったかもしれない。
しかしリーシアは話すことは出来ず、ローレッタが知るはずもないことだ。
「ねぇ、リーシアさん。
エイゼン君は完璧なんかじゃないのよ。
支えてくれる女の子が、あなたが必要なんだと思うわ」
「いいえ」
「それは彼に失礼じゃないかしら」
「先生、私もっとダメな人に惹かれるの」
「……」
「私がいないと生きられない人に」
エイゼンを否定するために口から出たデマカセだったが、その言葉はリーシアの中にすとんと落ちた。
(そう、これは彼に抱く不満として正当な事だわ。
でもまだ起こっていないもの。
誰も納得してくれない)
今までのリーシアはずっと、愛されない女に育つ自身に、また運命に、諦めや嫌悪、自責の念を抱いていた。
だがどうあがいても愛されないのは、婚約者への不満として抱いて良いことなのだと、少しだけ自身を許せる気がした。
「平民ならそれも許されるけれど、爵位のある家で男性が弱いのは厳しいわよ?
守らなければいけないものが多いでしょう」
「私は家を継ぎませんから。
従兄弟が継ぐ事になっております」
「まぁ」
ローレッタは驚いて大きく開きかけた口を手で隠した。
リーシアは一人娘だ。
そういう場合は娘に婿を迎えるのが一般的な習わしだが、両家は話し合いを重ねて娘が継がない方向へ持っていっていた。
リーシアの父は親戚の男子を義理の息子として迎え、仕事を引き継げるよう教育している。
エイゼンは三男であり、かつ家自体は位も低く領地も広くない。
しかし代々教育に力をいれており、優秀な人材を産み出して国の中央に食らいついていた。
領地経営よりも国を動かすことで富と権力を保持してきた実力派の家系だ。
親兄妹、親族を始めとしたコネを利用し、またその実力で以て、次男三男、四男でもしっかりとした役職に付き、職によっては当代限りの爵位すら賜り出世していた。
一方でリーシアの家は中央の政治に関わることを好まず領地経営に力をいれる家だった。
領地に関わること以外は無関心に、ただ領地を富ませ整備して、領民から信頼と敬意を集めていた。
資産が大きく沈黙をまもる一族で、ゆえに稀に発言する時は影響力が大きい。
そんなリーシアの家系は城勤めで領地を誰かに任せるなら領主を代えるというのが暗黙の了解だった。
そこに中央政治の利権や一族の感情も絡んだ。
代々宰相やそれに近い高官を出すような家の息子が、富をもったリーシアの家を継ぐことを危険視する貴族は多かった。
かつ領地を第一に考えたいリーシアの家の一族は、そんな婿を迎えて後に領地を放り出されり、派閥争いに利用される事を危惧した。
エイゼンが将来的に要職を得るならば領主としての仕事は厳しくなり、当然妻も領地経営を代理ですることなどできず、高官の夫を支える事になるだろう。
これは婚約を破棄できた時に家が跡継ぎに困らないメリットもあり、後継者絡みから外れるのはリーシアには良い話だった。
ローレッタはお家騒動の気配を感じて戸惑った顔を見せたが、リーシアはローレッタの言葉に新しい可能性を見いだした。
「そう、平民になれば良いのですね。
ううん、平民じゃなくても、貴族じゃなくなれば」
リーシアの言葉に答えるように、ガチャンと何かが壊れる音がした。
閉まった扉の向こう側からだ。
扉を見つめる二人がじれた頃、ようやくノックの音がした。
二人が返事をする前に扉はそのまま開かれた。
「ごめん、今聞こえて」
扉を開けたのは二人の予想通りエイゼンで、珍しく困惑をあらわにしていた。
そしてその後ろにもう一人立っていた。
「リーシア様、平民になるなんてお止めください。
もう会えなくなってしまいますわ」
エイゼンの後ろには、ユレアノが悲しげに顔を歪ませて立っていた。