昭和63年10月30日北工祭文化の部 6
お久しぶりです。小田原北工業高校 昭和63年度『北工祭』続きです。
そこでは、毎年恒例のミスコンテストが開催されていた。
今年の一番人気は建築科1年の岩田美枝 2番手はデザイン科3年千石陽子
あ、岩田美枝って大田の従姉妹だろ??
毎年、ほぼ全校で教員巻き込んだ『賭け』が行われる。
正直どうか?と思われるが、我が校の伝統的行事のため誰もモンクは言わない。
掛け金である食券の枚数は最大10枚に限られている。
なぜか特別審査員席に座らされた。その隣はなぜか姉の真紀がいた。
特別審査員は毎年いろいろ変わるのだけども、基本的には生徒会長、前年度あたりの生徒会長、教員代表、ゲストとなっているが、今年の場合
生徒会長・高橋洋介 前々年度生徒会長・高橋真紀 教職員代表・山口司書 ゲスト
南足柄高校生徒会長 布川 という陣容。
あれ?相模大井どうした? 欠席かよ、、
司会はあの守谷だ。頭に赤いハチマキ巻いてピンク色のはっぴを着ている。
おまえはピンサロの呼び込みか!
正面にはテレビカメラが設置されてこのステージを撮影している。
昭和61年度に運用した場内テレビ中継が復活。
電波法的にまずいのではないか?という議論があったとかなかったとか。。だけども、市販品で見通しさえ良ければ1km以上良く飛ぶビデオトランスミッターがでているからという、いいわけのようなもので押し切ったという。送信はヘンテナを使用。
今回は記録を取るため、VHSビデオに収録。
使用ビデオカメラ同様に、、、実習用に購入したジャンク品。
こういうときになぜジャンク品を使うのかよくわからないよね。ここんとこ毎年1億単位の予算ぶっ込んで設備導入しているっていうのに。。。えなに?研究予算は・・お察しください?
教員が
いいのかよ。。。やばいだろ。
「どうも~進行の守谷だぁ~城北際名物ミス城北コンテスト~!もりあがってるかい!」
お~
観客は守谷の出で立ちにあきれているのか反応は小さい。
「んん~~~声が小さいなぁ・・・んん~~ニューヨークに行きたいかぁ!」
おおー!
突然守谷と同じはっぴを着た女子が乱入し守谷にドロップキックをかました。
マイクを奪い「まじめにやりなさい!これより昭和63年度ミス城北コンテストを開催しまぁす!今年は諸般の事情により一部省略!。そ~れでも~!もりあがれぇ~!いぇ~い!」
お~~お~~!
守谷のバカ。。。変な演出しやがって。ありゃ建設2年の藪田美紀だろ?
「審査員は投票権もっている君たち!そぉ~れぇでは投票権持っている特別審査員紹介するねっ!!昭和60年度ミスコン2位の高橋真紀さん!あとは略!」
「ちょっと~なにその略って!」と山口司書が藪田にモンクを言う。
「ええっ~?言わなかったですか?今年は諸般の事情で省略ですって!」
「なにいってんの!高橋君さておき私を紹介しないってど~いうこと!私はここの初代よ!」
はあ??真紀と顔を合わせる うそ!
あとで調べたことだが、それは事実だった。昭和45年度卒業生。昭和44年の文化祭で初めて開催されたミスコンで一位となったのが旧姓瀬戸靖江、、電子科瀬戸先生の妹。卒業後大学に入り司書の資格をとり昭和49年神奈川県職員採用され出身校である城北に司書として赴任。ある意味・・生き字引。
瀬戸和幸は電子科卒業後、昭和42年神奈川県職員採用技術講師として城北に赴任。大学は幾徳工業大。途中、研究員として2年間国立静岡大学出向。
D棟4階のデザイン科展の窓からそれを理香がオペラグラス越しに見ていた。
「真紀が来ているのね。洋介ちゃんが特別審査員席って??門谷さんもなにを考えているのかなぁ?真紀は好きみたいだけど私はちょっとキライなお姉さんだからね」と独り言を言っていた。
「長尾先輩?」
それを見ていたデザイン科3年橋本みきが理香を不審に思い声をかけた。
「橋本さん?だったよね?私が2年の時にミスコンで1位になったの知っている?」
「ええ。長尾先輩ある意味伝説ですから。」
「うん。たぶんこれが城北ミスコンの歴史になると思うわよ。みておきなさい。」
そういい、彼女にもオペラグラスを彼女に渡した。
ミスコン候補者が壇上に上がり、最後の候補者が壇上に上がった。
ライトグレースーツの門谷だった。
「うそ、、ラストって・・門谷せんせいなの??」
「ありゃまあ~光恵ちゃん最後の最後でやってくれちゃうじゃん!」
、、、、あとは頼みましたよ。。門谷せんせっ!
ご無沙汰です。あっちの方にかまけていてこちらがおろそかになっていました。。
読者さまごめんなさいです。。
3大おねえさまと三人のめぐみ でも無線ネタ展開してますが、結構リアルネタ入れてます。
相模金子駅での運用やNanoVNAネタですね。
ということで、、kei でした。




