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晴れた日には  作者: kei
39/53

昭和63年10月29日 北工祭文化の部 3

文化祭編の3回目です


*過去に似たようなことがありましたが、この物語はフィクションですので。

生徒会室 定時ミーティング


「並木さん、本日の状況確認をしたいのだが」

「今のところ、入場者数は昨年の初日を5%ほど上回っている模様です」

「了解。ほかになにか問題点とかは?」

書記の千石陽子が挙手し

 「文実委員長がバンドの飛び入り認めました」

やりやがったな落合、、というか守谷ぁ~

「それもしかして相模大井の落合とか?」

「そうです、、」

「あとで守谷に言っておきます。まあ仕切りは文実さんなので。われわれ生徒会はサポート役ですから。以上なければ引き続きお願いします」


文化祭のしきり役は文化祭実行委員会だからね。

生徒会があーだこーだ介入するのはなにかと問題でるからねぇ。

いいのよこれで。


腰に付けているICF-33Fに付けているイヤフォンから門谷の声がした。

「こちら特設局門谷です 高橋君どこ?」

無電・・

「高橋君どこ?」

「生徒会室です 門谷先生通符丁忘れています。 どうぞ!をつけましょう そうぞ!」

無電状態

「門谷先生 こちら高橋、どうぞ」

「門谷です 至急特設局に戻って来てください ど、どうぞ」

「了解」

戻ると、西湘ネットワークのみなさんがそろっていた。


「佐伯!久しぶりだな!今日じゃなくて明日だろ?落合は?」

「バンド飛び入り・・・あいつやりやがった・・・」

「本来ならば事前登録申請のはずなんだけどな。まあ、文実委員長が許可したのなら問題ないでしょ」


「あ、門谷さん戻ってこいというのはこれのことですか」


「そお!戻ってこい!はこれのことやで。ラジオの製作編集部の人もなぁ。」


 チーフデスクの通称影さんが来ている。

「高橋さんですね、私ラジオの製作編集部のチーフデスク 通称影こと大原と申します」

名刺を渡され、

「あったしか去年のハムフェアでの影さんは宮下さんだった気が・・・」

「宮下は異動で他の編集長やっています。」

なるほど、、「今回は、佐伯君のですか?」

「そうですよぉ~ さらに高校の文化祭でCBを取り上げたのはここが初めてなんです。先ほど校長にインタビューしてきました。電子工学で博士号持っている川西校長。川西校長も無線愛好家というよりも、宗像先生と大学で同期だそうです。」

「それは知りませんでした。宗像先生には例のドラマでいろいろ恩があります。それで今回ですか」

今年春に癌で亡くなられた宗像先生の川西校長への遺言であった。


昭和62年12月


都内のとある大学病院の個室。外は今にも雪が降りそうな暗く重い空であった。

付き添いの看護婦は退室してもらっている。


「 確かに、CBブームの火付け役は俺だがマスコミとメーカ主導の人気になっている。知り合いの郵政族議員 もちろん電波系のな 動かしたことは認める。そんなのが長続きすると思うか?BCLの時もそうだ。無線好きで日本電気にいたのになぜか学校の先生になり校長になったおまえも知っているだろう?本当に日本のCBが支持を受けているのか?単なる俺とメーカーが作り上げた俺の趣味か?」

 「あ~それは言えるなぁ。俺もたまにやるけどさ、なんかアマチュア無線みたいでさ。気になると言えば気になるな」

「なあ、川西の学校の文化祭かなにかで試してみてくれないか?」

 「引き受けてもいい、、が宗像、おまえらしくないな」

「余命3ヶ月だ」


宗像は民放テレビ局出身の放送作家で大元は無線技士だった。ある子供向け番組企画で社内応募したところ企画が通り制作部に移った。

その後独立し番組プロデューサーとなった。趣味が無線で昭和51年に手にしたCB無線機に着目。興味があるが敷居が高すぎるアマチュア無線より免許申請だけでお手軽に出来るCBを広めた方がよいだろう。そう考えた宗像は昭和52年、前年の『列島縦断交信作戦』からつきあいのあるラジオの製作誌に話をもちかけた。

 CBブームの火付け役は宗像氏であることは皆承知していることだが、ソニーとの関係。一般的に、メーカーとしての火付け役はソニーということになっている。これは後のラ製主催による移動作戦にてソニーが全面協力したことによる物と考えられる。

宗像氏は松下電器と組んで昭和52年に行われたアマチュア無線『列島縦断交信作戦』にて、限定的に松下製CB無線機(2chハンディー機。当時は8ch実装機は存在しておらず、8ch実装機は昭和54年の改正を待つまで存在していない)を使用。あくまでも限定であり、当時の公式資料を見ても具体的なCB運用についての記述はほとんどない。翌年も松下電器協賛による同イベントが行われ、一部松下社員有志によるCB運用が行われある一定の成果が得られた。その翌年、昭和54年8月ラ製主催のCB移動作戦が行われる。昭和54年1月より8ch実装機が認可されたが、それをいち早く市場投入したのがソニーであった。ソニー広報部は宗像ではなく直接ラ製編集部と交渉開始。

ラ製と宗像の関係はあくまでも編集部とライターという関係であった。

 それに対して松下電器は『協力を行う用意がいつでもある』と非公式に発表するにとどめた。

それが後のSC88での協賛参加である。



 さらに昭和52年に少年向け実写30分番組の中でCBを用いたドラマを手がけた。身の回りで起きる怪奇現象を、CB無線を使い連絡を取り合い解決する内容だ。


昭和58年に再放送されそれをきっかけにリバイバル作品が作られ放映された。しかしリバイバル作品を手がけた年にいわゆる内部告発にて、宗像がアマチュア機によるCB帯海外交信を行っていたことが発覚。当時の編集部は慰留を求めたが、宗像が潔く「事実は事実ですし、いつまでも古い人がいるのは良くない。若い人たちに譲ります。それに、本業がまたいそがしくなりました」と自分を告発した三槇に席を譲り引退した。 


「そういえば・・川西の学校に高橋とかいう生徒がいたな。」

「いるな。あったことあるのか?」

「ああ。たしか5年ぐらい前に秋葉原のカクタX1でのイベントだよ。それに彼はあのリバイバル作品にもでている。1話のみのちょっとした役だったな。父親がもっているナガオ27を持ってきた。舞台が彼の家の近所のダム湖だったからね。」

「ナガオ27か、、自分も小田原無線倶楽部役員だけど、忙しくて会合すら出ていないので長尾さんとは最近会っていないですね。で」

「撮影側が用意したのはソニーの物だったけど、彼はそれじゃダメだと言う。

確か家の中からのシーンだったんだけど。よく考えるとナガオ27なんだよね。。ウルトラ警備隊っぽくって。彼が出たシーンは全部で1分もなかったけどいい感じだねぇ」

「高橋は確か旧帝ねらいのクセして無線で遊んでいる。それでいて英語は帰国子女並みでドイツ語までできる。たまに僕と会うとドイツ語で話してくる。なんでまた?」

「彼ならやってくれるだろう。それに、跡を継いでくれそうな気がするんだ。」

「それはどうかはわからんなああいつじゃ。それよりも、杉崎っていうのがいいかもな。だがわかった。なあ宗像・・」

「なんだい?」

「もう一度一緒に無線やりたいな。。」

「ああ。11mbで海外SSB通信だろ?」

「だな。あれは後ろめたい気持ちはあるけどもなにかアマチュアとは違うな。

あれを告発したのは三槇なのか?彼の性格からしたらできないと思う。」

 三槇は川西の教え子である。

 宗像は窓の方を向き

「川西の想像にまかせるよ」



その数ヶ月後に宗像氏は永眠された。まだ55歳であった。末期の胃がんであった。


 「それでね高橋さん、明日なんですが朝日新聞の小田原特派員が取材に来るんですよ。すでに校長の許可はもらってあります。対応して欲しいのですが、、」

今度は朝日か、、、


 その数年後、夏休みで実家に帰省し、佐伯とあう機会があったので聞いた話では、宮下氏はその年の正月に行われた新年オンエアデイにてアマチュア無線機改造運用をし内部告発された井山ライターの責任をとりデスクを解任され異動になったという。CBについては影こと宮下氏の担当であった。

「佐伯君、内部処理ってやつ?」

「そうみたい・・ただ、、、」

「ただ?」

「井山を川本さんの後に押したのは宮下さんじゃないんだよね。。井山っていろいろ噂あったからね。」


「そういえば、、川本さんに半年ぐらい前に神戸で会ったときに、後任は別の人を推薦していたみたいだけど?」


 確か、昭和62年の10月ぐらいだったか?『かんとう広域』投稿記事の

『強力な関西局?』・・たしかにコンディションはいいけどEsでもないのに

やたらと強い電波が全国各地にて確認されているが、こちらから呼びかけても応答がない「もしかしたら?」オーバーパワーそれも100W以上の出力? 

当時あまりこの手のネタは『かんとう広域』では米軍基地内運用同様取り上げない方針だったらしいが、あまりにも同様な投稿があるため取り上げたという。

名古屋にある『ロータス無線クラブ』 ある意味幅の広い無線クラブで、いわゆる違法CBについても、合法帯ででなければ常識の範囲で目をつぶる というリベラルなスタンス の会報『ロータス』でも『強い電波がでているけど?」という記事が載った。

『かんとう広域』の読者は関東地方に限らず東海方面でもかなりの読者がおり特に愛知・岐阜・三重の常連投稿者達が連絡を取り合い方位を調べたところ、やはり西日本からの物であったことが判明。

 新年オンエアデイにてアマ機改造機による運用が発覚したのは、『関西CBネットワークグループ』による告発であった。このグループが発行している『かんとう広域』と提携がある『CB西日本』(後に産経新聞大阪支社から刊行されることになる)さらにクラブ員外でも有償配布されている『ロータス』では事が事だけに記事にはせず、ラ製編集部に運用証拠写真(内部告発による)、受信スペクトル分析を提出。

  直ちに井山ライターを東京に呼び編集会議が開かれ、井山ライターの解任ならびにデスクであった影こと宮下氏も他部署への異動措置をとった。

受信スペクトラム分析を出したのは、川西市にある新明和工業の有志たちであった。

「川本さんにあったのか! あの噂だからねぇ。どうも編集部の話では刑事事件らしいよ。本人は主犯じゃなく不起訴処分だったけどね。それはおいとして・・井山推薦したの誰だと思う?」

「だれ?」

「噂だよ、ナニワの林さんっていう話。」

「ええ~?関係ないじゃん!電子工作だし」

「よくわからないわ、、ナニワさんも僕がライターになる直前に退職したから真相はわからないし、その事件のあと編集長がかわったしさ。当時の人は残っていない。全体の内容も結構かわったでしょ?やたらとおしゃれな内容になったし。たしか、その事件の2ヶ月後ぐらいから。それと、僕がライターになる半年ぐらい前に不買い運動あったでしょ?ぼくがライターになるのはその前から決まっていたことだけどさ。東日本担当ということで。三槇さんのサブで。

井山の後任の一ノ瀬とかいう浜松のヤツが意味不明なことして・・あれもナニワさんって説がある。」


 88年4月号より、当時大学生だった一ノ瀬というライターが『いっちーの移動大作戦!移動はたのしい』というコーナーを作り、移動を繰り返していたのだが最初のころはさておき、9月頃から暴走開始。毎回同行する人物は同じメンバーで(どうやら浜松にいたときの取り巻き)移動時のギョウザパーティーの報告、読者コーナーも担当していたため読者から「移動の時におでん缶をもって行きました!うまかったです!」というお便りに一ノ瀬は「CB移動はギョウザという ことになっているんです。ギョウザの好きな、いっちーろっくにいまるっ!」と返事をした。

毎回あまりにもふざけた内容のためCB愛好者以外も激怒。「あの内容でカラー含めて4ページも使うな!」「なんか一ノ瀬とかいうライター、私物化していませんか?同行者いつも同じ」「買うのやめました。ミニコミの『かんとう広域』で十分!」「宗像先生に謝れ!」と読者から編集部宛ではなく編集長ならびに三槇氏に苦情殺到。


比較的おだやかな論調だった『かんとう広域』ですら「読者の投稿記事ならばともかくとして紙面であのような内容を展開するのはどうか?」批判記事を掲載。時々過激な内容を展開する『CB西日本』にいたっては「なにやってんねん!?最近のラ製?」と書き立て、決定打となったのは89年1月号に掲載された同移動作戦にて前任者の井山が同行していることがわかり、さらに一ノ瀬が井山擁護ととられる言葉をのべ、その記事に激怒した読者が不買運動を起こした結果、正式スポンサーとなった松下電器広報部がSC89スポンサー参加を見合わせる表明をし、親会社である朝日新聞社が『天声人語』にその事態を皮肉ったお言葉でる始末。

事態を重く見た編集部はその年の4月に一ノ瀬を解任。


当時、受験追い込みであったため『ラ製』も『かんとう広域』、『CB西日本』『ロータス』もほとんど目を通す程度だったのであまりよくわからなかったのだが、その話を聞いた後に読み返すと、そういうことだったのか・・と事を理解した。


「確かそのとき一ノ瀬って大阪の大学生だよね。たしか大阪電気通信だった?」

「ちがーう。金沢工業大学。あいつごまかしていた。まあ・・大学に関しては高校の時無線と山登りばっかりやっていたからあんまり人のこと言えた義理じゃないけど・・君はすごい!

実は井山も金沢工業大なんだよねぇ~もしかしたらナニワさんも金沢工業大かもしれないね。それとね、一ノ瀬のやつライター解任された翌年のたしか6月だったか?電波法違反で捕まって」

「知らなかったねぇ~」

「まあ三槇さんの後を継いでメインライターになってしまったので、あっちの方は自粛してます~」

 国際周波数と呼ばれるチャンネルでのアマ機改造SSB運用か。佐伯は帰国子女のため、英語が達者である。

「まあ、、君ふくめて大人がいないなぁ~三槇さん悪く言うと生徒会長ってイメージだったけど、それでよかったんだろうね。まあそっちのほうはやらんけど・・」

「まあそうだなぁ~ってウソをいいなさんな高橋さん。あの当時たまーに上の方でモガモガやっていただろ?27.805MHzだったか?」

 専用チャンネル、、聞いていたか。アナログ警察無線の通称10番Aに近い物を使用して(これも理香の祖父に作ってもらった。長尾電業にはたまに官庁から変な仕事が舞い込む。電設部門で公共設備のアンテナ設置も業務の一つだが、噂では公安からの依頼で過激派の無線傍受用の秘話解読装置を作っているとか)仲間内と交信していた。

「知っていた?」

「ああ・・復調できなかったけどな。こりゃあ・・たぶん高橋さんじゃないか?と。あの装置・・やっぱりナガオ工房さん?」

 「まあね、、、」とつぶやいた。



まいど読んでくださってありがとうございます。

ようやく900アクセスですね。ユニークも400こえました。

ありがとうございます。

本来ならば今日は『いいわけのようなもの』の取材だったのですが、諸般の事情により延期です。

困った物です、、前倒しで取材しておけばよかったかな。旬ネタなんですけどね。

この騒ぎが収束したら行ってきます。

引っ越しは完了しました。本宅の片付けがまだ終わりません。


ということで ではまた

アシガラAB11 こと kei でした。


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