3.移動運用
第一級陸上無線技術士の従事者免許来ました。使い道はないんですけどねぇ
そういえば、週末はハムフェアですねぇ。
歯医者とか防災訓練とかあるのでいきませんけどねぇ。
高校に入りはじめてこのメンバーでの運用となった。
5月の連休中なにをしていたかって?家業のお手伝いですよ。
一人エンジニアがやめてしまい、父と社長である叔父から「どうにかしてくれ」
って、高校入ったばかりのやつにたのむってどういうことよ?危ない会社だねぇ~
まあ地元では優良企業なんだけど。。
小学校4年ぐらいから古い旋盤借りて廃材削って遊んでいましたから。。
日曜祝日のみでいいという話で10万円で引き受けたわ。。マシニングセンターで試作物を製作。ジグ関係は職人さんに手伝ってもらい、マシニングセンターのプログラムと加工。数千万円するマシニングセターを高校生に使わせるって。。
そのうち3万を姉にピンハネされましたよおいこらねーちゃん!
なーにが「よっ!おつかれちゃん!いっただきぃ~」だよ。。
高松山
週末・・・自分は西島の父親の車で一緒に来たが、太田は無線機を担いで上まで上ってきた。ご苦労さんなやっちゃ。
現地到着後、無線機自慢が始まる。
「おっ西島、FT690Mk2買ったのか?」
「おう!入学祝いで買ってもらった。洋介は、おう!RJ-580Eじゃん!」
「とうとう買ったぜ!春休みの時のバイト!あと、、これ・・ICF-2001D」
ICF-2001Dはこの前の報酬でゲットなり。
「今回アマでないのか?」
「CBメインと言うことで。太田は?」
「IC-2NとICB-707T軽量装備」
さて、アンテナ設営しよう!
西島と太田は6m用の自作ヘンテナを建てる。自分は、ICF-2001D用CB帯受信用のロングワイヤーを張る。
ここからだと相模湾が一望できる。
設営と言ってもCBの場合は、適当なところに無線機をぽん!と置いてアンテナ伸ばせばそのまま電波発射!なのですが、、
日本の市民無線いわゆる合法CB無線は外部アンテナ接続はできないことになっており(PTTマイクについては許可された)合法的に”もっと遠くに飛ばしたい!”ということで、三脚にアルミ板を張りその上に無線機を乗せることにより”受け”がよくなる(一種のカウンターポイズ効果)という。
あと田んぼ等の湿地で運用するのもいいといわれている。
今回、太田は三脚にアルミホイルを張り付けたべニア板を取り付け、その上に ICB-707Fをバンドで固定。
太田いわく、よく飛ぶ気がするんだぜ! ということだ。
ようは気持ちの問題じゃねえか?
”CQ CQ,こちらカナガワAD220 高松山移動 どなたかおられますでしょうか? スタンバイ”
”カナガワAD220、こちら伊勢原大山移動のいせはらRA120 RS48 高松山は山北町ですかどうぞ”
”いせはらRA120 こちらカナガワAD220 RS47 移動地は山北町の高松山です。お久しぶりです。”
通称大山主いせはらRA120局は免許制度が昭和59年12月末でなくなった以降の開局組だ。
免許制度廃止は本来ならば昭和57年12月末でなくなる予定であったが、
ラジオの製作誌を執筆していた宗像氏が働きをかけて(郵政族議員にパイプがあったらしい)2年間免許制度延長となり、昭和57年に簡易業務無線から業務の文字が消え、通信相手に関する規定も撤廃されたことにより、長距離通信および海外との通信が合法化された。
海上での0.5W運用ならびに外部PTTマイクの認可が昭和58年より認可。さらに、昭和60年より2波増波(27MHz帯の2波にFM方式)が認められた。
外部アンテナ認可はオーバーパワー運用の懸念から見送られた。
これによりメーカーに活性化がみられた。相次ぐ新機種投入。
昭和58年1月からの機種については検定制度から技適制度導入となった。
免許制度時の検定機種に関しては、昭和60年からの新制度での運用にて、免許制度が切れる時点で有効な免許状の携帯もしくは、有償にて新制度検定シール(通信機名称、免許番号、コールサインを記したバーコード付きシール)を貼ることにより免許状の携帯義務がなくなった。これは昭和65年度末までの措置であった。メーカ在庫検定機に関しては、新制度技術適合シールを貼ることにより出荷可能となった。(ただし価格改定で数千円高くはなっている)
北米向けFCC規格機(というか規格無視)の国内販売に関してはなにか妙な紳士協定が結ばれ、
AM帯FM帯(将来割り当てられるであろう予備周波数含む)の隣接周波数をはずした仕様の機種を国内に出すことで、『特定通信機販売規制法案』を廃案に持ち込んだという。一説によれば長野のNASU通信等が運輸族を使い圧力をかけたとも言う。産業保護というのもあるのだろうけど。
だからといって電波管理局がそういった不法局に対して目をつぶっているか?といえばそうでもない。出力5w程度でやっていて電波検問に捕まった場合は最悪無線機没収あるいは、しばらく警官立ち合いで説教だが、けた外れの高出力かつ過変調バリバリ汚い電波を発射している違法局は、かなりの確率で検挙されていた。
”お久しぶりです。当局、ICB-707Tを使用。新チャンネルでテストをしてみたいのでFM1chにQSYできますでしょうか どうぞ”
”了解。当局RJ-580E使用のためQSY可能。では切り替えます。どうぞ。”
“CQCQこちら小田原市成田のカナガワTI822です。”
“こちら山北町高松山移動のカナガワAF350です。カナガワTI822局どうぞ。”
これが市川との初めてのコンタクトであった。
夕食は、瀬戸美由紀の家で出してくれたジンギスカン鍋だ。瀬戸の家は乳牛の他にめずらしく羊毛をやっている。一部は肉として出されている。
「洋介、この前の3年の美人、、長尾さんだけど?」
その話か・・・やめてくえぇ~
「ああ・・ねーちゃんの友達ね。開成町の長尾電業の娘だよ。お父さんアマ1級もってるらしい」
ジンギスカンを自家栽培のニンニクたっぷりつけてむさぼり食っている太田が、 「それさぁ、、小田原アマチュア無線クラブの副会長だよ。CQ誌にもたまに記事書いているよ。たしか、、最近は自作機・・しかもQRP機の製作に凝っているらしいよ。しかも真空管で」
「おおお~そうなんだぁ~CQはあんま読んでいないからしらん。。
西島!知っているか?」
「太田それ爺さんの話だぞ。確かに長尾さんも1級もっているが、、副会長と記事書いているのは爺さんのほうだ。で、洋介もっているナガオ27はその長尾電業でかつて出していた無線機!あっ、いまでもあるのか。俺もCQはたまにしか買わないから、というかウチのオヤジも会員だし」
おい太田!肉ばっかり食ってないで玉ねぎ食え!頭良くなるぞっ!
「洋介ちゃん、せっかくおつきあいしているのだから行くぞな!ミス北工高の超美人!身長175ぐらいぞな。バストもそこそこ~超きれいなおねーさんな感じぞな!うらやましいぞな~」
「してないちゅーの!」
「あ、高橋君年上の彼女できたの?」
「ねーちゃんに入校式のときに紹介されただけだよ。。。でもなぁ~今度行ってみよう。」
西島が「叔父さんこの肉うまいですね~ 」と美由紀の父に言うと
「そうだろ?にいちゃんビールどうよ?ここのは自家製だ・・っていっちゃダメだろ~」と言いながら自家製ビールを出した。
正確には自家製ではなく、地元農協・酒蔵・農家等の共同で地ビールの開発を行っている。その試作品。
「あ!すみません~ もらいます」
「ちょっとお父さんダメ!」
「いいじゃないか美由紀だっていつも飲んでいるだろ?え?美由紀も飲めよ!」さすがは酪農家。美由紀の父は一時期ビール会社に勤務していた。
そのため、地ビールプロジェクトに参加している。
事業化にはかなり時間がかかったが、平成の世になった平成4年に初出荷となった。
その後、夜10時ごろまで運用しその晩は終了。
翌朝、太田が千葉鋸山移動局とFM周波数で交信。
こちらはICF2001Dで八丈島移動局をとらえてRJ580Eで応答したのだが取ってもらえず。
瀬戸美由紀の家で朝ごはんをいただいたあと撤収作業に入る。
太田がなにかぶつぶつ言っている。
「どおしたよ?」
「どうもこうも、、、牛くさいわ美由紀のところ。」
はあ!
「「おいおい!太田お前が言ったんじゃねえかあ!」」
精度高めるため、資料入手してみます。。80年代の資料ならいいんですけどね、、
ちなみに、27MHz帯はかつてはアマチュア無線で使ってたそうですよ。
名機八重洲FT101に11mがあるのはその名残、、というか11mがアマに割り当てられていた国が当時あったし。