side:sacré
村は収穫を終え、新たな団栗探しの時期に入っていた。家畜たちを持つ多くの農民達は、一様に山の入り口に集まり、自分達の豚にたくさんの餌を食わせている。そんな毎日が、ザラにはとても退屈で楽しく思われた。
あの豚は乾してやれば保存がきくし、そのまま一匹食べてもおいしい。贅沢な食べ方を農村の人々が出来るわけでもなかったが、そうした妄想をするだけでも、機織りの手が捗った。
籠を編む仕事もまだ残っている。日の落ちる前にそれらを終わらせなければ、今日の食事に間に合わないだろう。ザラは一生懸命に、機織りを進めていった。
外からシチューのにおいが漂う夕刻、穏やかな村には決まって狩人が帰ってくる。彼らは賑やかに談笑をしながら、フォクトネックや逸れラートナーの戦果について思い思いに話している。
ザラの手元にあった仕事はその時要約終わりを迎えた。彼女は大きく伸びをすると、天井の低い家の極高い所を見上げる。そこには、彼女が旅人から貰った贈り物が飾られていた。
自分がよく見た夢の景色、少女ザラにとって、その贈り物はまるで自分の昔の出来事が今に蘇って来たかのようであった。
かけっこ遊びをする猫と小鳥、二匹の姿が目の前にあるという事実は、彼女の胸をときめかせる。この、木造の、小さな茅葺屋根の部屋に彩が添えられたような気がしたのだ。
「お父さん、まだかなぁ……」
ザラは足をぶらつかせながら、父が小麦の蔵の鍵を開けるのを待った。しかし、夕日が沈んでもなお外が騒々しく、また父も帰ってこない。徐々に不安が込み上げてきた少女が、父の言いつけを破って小屋から顔を覗かせると、煌々と炎を上げる松明を手に持った、錦糸の服を身に纏った男が、村の男達に何かを話している。その中の一人、特別に厳つい顔の武人と少女が目を合わせると、その男は少女に向けて片眉を持ち上げる。必死に首を垂れる長老を押し退けた鎧の男は、ずんずんと鈍い音を立てながらザラの元に歩み寄る。
ザラは恐ろしくなって小屋に身を引っ込めた。しかし、古き良き平和領域は既にこの場所にはなく、険しい森林に囲まれた片田舎の戸を、鎧の男が蹴破った。
そして、松明で小屋の中を照らすと、ザラへの贈り物、つまり小鳥と猫の戯れる姿を描いた贈り物を見つけ、片眉を持ち上げる。鉄の擦れる音を立てながらそれに近づいた男は、よくその絵を精査し、そして、満足げな笑みを零した。
男はその絵を強引に壁から引きはがすと、満足げに頷き、踵を返す。
ザラはその時、咄嗟に彼の片足にしがみついた。
「まって!それは、私の!」
「黙れ、小娘。これは我々にこそ必要な物だ」
「駄目、駄目!それは私がもらったの!」
そう言って駄々をこねる少女の頭を鷲掴みすると、男はそのままひょい、と部屋の中に放り投げる。簡単に放られた少女はそのまま尻餅をついたが、再び小屋を後にしようとする男の片足にしがみついた。
何度も駄目、駄目と叫ぶ少女に、ついに男の堪忍袋の緒が切れる。茅葺屋根が吹き飛ぶような豪風と共に、彼の唾が処女の顔に飛び散った。
「えぇい、だまれ黙れ!こいつと、命と、どっちが欲しいか!」
鞘から月光を映す美しい刃が覗く。背後には、部屋を取り囲むようにして斧槍を持った武人が立つ。鉄の擦れる子気味の良い音と共に、怪しい月光が茅葺屋の真上を通りがかった。
「おやめください!どうかこの子をお許しください!」
「お父さん!!」
武器を構える男達を何とか押し退けて、男の前に膝をついたザラの父親は、すぐさま彼の軍靴を舐めるようにして頭を下げた。丸まった背中にはぼろきれに覆われており、指先の半ば露出した靴がくるぶしを歪に持ち上げている。ザラはそのような前傾姿勢を見たことがなかった。揺れる瞳の奥で、父親と、「紙切れ」
とが交互に揺れ動く。
男は彼女の父親の丸まった背中に足を乗せる。鈍い悲鳴が父親の喉から漏れる。
「お嬢さん、君の父親は愚かだな。武器を持たぬからと身を丸めても、敵に急所を見せるだけだというのに」
男は目的は達した、そう言う笑みを見せながら、手元の紙切れをひらひらと見せびらかす。
「お父さんをいじめないで!」
「だったらこいつは私達のものだよなぁ!?」
鋼鉄を纏った足が父親の顔を蹴飛ばす。脳の揺れる鈍い音と共に、父親が聞いたこのない悲鳴を上げた。
すまし顔の斧槍兵達は柄を地面につけて休憩中の見世物でも見るように、父親を観察する。冷ややかで他人行儀な笑みが、少女の中に怒りと恐怖とを湧きたてる。父親は頭から血を流し、それでも小さく「お願いします」とだけ呟いている。
「それは、貴方達にあげるから、もう痛い事しないで!」
「ほう、聞きわけのいい子だ。だが、大逆罪は既に成立していると、そうおじさんは思うのだがな」
男は紙切れ一枚に血痕が付いているのを指さす。ほんの数滴、点々と血が付いたその絵を持つ男の足には、べっとりと血糊が付いている。
少女はその時に初めて、男のマントに鷲の紋章があることに気付く。少女にはそれがどのようなものかわからなかったが、それが「偉い人のものだ」という事は分かっていた。
「エルド様は望んでおられる。お前達、この男の首を断て」
「はっ」
一斉に部下と思しき者達が前進する。それと同時に絵を持った男が交代し、背後の絢爛な服の男と話し合い始めた。ザラはその時、自分がしてしまったことに気付き、月光の空が覗く小屋の外に駆けだした。
ザラの父親につかまり、涙を流しながら懇願する少女を引きはがした鎧の男達は、何の感情も抱いていない無表情でザラの父親の首をすぱりと斬る。どくどくと流れる血が音もなく広がり、鉄の臭いが充満すると、無表情の男達が彼女の父親の首を、悲鳴を上げるザラの背後に放り投げた。血飛沫が止まない変わり果てた父親に縋りつく少女の事を見る村人の表情は酷く冷ややかで、彼らは武人に頭を下げて見送りをする。
月光は相変わらず澄んでおり、盤石なままで空で瞬いている。少女の声が、その空に届く事は決してなかった。