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side:jacob

 ヤーコプ・フォン・エストーラは安堵感と共に、軽率な弟へ対する軽蔑の余りに笑みを零した。

 力の象徴である猟銃や、動物の頭の剥製が並ぶ彼の部屋には、ほんのりとなめし皮のにおいがし、監視魔法で外の様子を映す水晶は、如何なる不穏をも見逃さないように美しく澄み切っていた。


 町へ良く抜け出す第三皇子エルドが、彼にとってそれほど警戒すべき相手ではなかったために、意外ではあったが、ともあれ政敵が一人減ったことは彼の負担を大いに軽減させる。


「なぁ、お前。また毒殺でもされないように、もう一匹猫をこさえてこい」


「畏まりました、ヤーコプ様」


「しかし、愚か者もいたものだな!あれはもう、殺してくださいと言っているようなものだ!」


 ヤーコプの豪快な笑い声に、使用人は苦笑いで返す。彼にとっては口うるさく陰険なヤーコプの方が、余程殺してほしそうに映ったためだ。


 ヤーコプは複数ある水晶の一つを持ち上げる。それはもう一人の弟、シーグルス・フォン・エストーラの部屋を映したものだった。

 ヤーコプにとって、永遠の政敵は自分を殺せば帝位を勝ち得るシーグルスの方であった。ヤーコプの陰険な猜疑心は、弟の一人が失われた今、この男に集中する事は疑いない事だ。


「ヤーコプ様……先日の部屋への侵入者の件ですが」


「うん?あぁ、扉下の藁の件だな」


 ヤーコプは二つに折れた細い枯草を持ち上げる。扉の下にこうした侵入者の痕跡を残す仕掛けを仕込む事は、ヤーコプの日課になっていた。必ず部屋の前に屈み込み、まずは自分の不在のうちにこれを調べる事で、自分へ対する悪意ある干渉をいち早く対処するのである。久しく安寧であったこの部屋では、ヤーコプが喧しく喚きたてる事もなかったのだが、昨日の晩、丁度エルドを拘束したその日に、藁に侵入者の痕跡があったのだ。これに気を悪くしたヤーコプが、この使用人を呼び出して調査をさせていた。


「洗濯屋のカッファが侵入した痕跡で御座いました」


「なんだ?それじゃあいつもの通り服を外に置いて行かなかったのか……?」


 ヤーコプは肘掛椅子から身を乗り出す。仄暗い部屋でいくつもの水晶が不敵に輝いている。


「左様でございます。彼女は、どうやらヤーコプ様不在の折に部屋着を仕舞おうと考えたようです」


「何でそんな……」


 ヤーコプは何かを閃いた顔をすると、不敵に笑みを零し、「ははぁん?」と笑って見せた。


「見えて来たぞ、今回の一件……。妙だと思ったんだ。あのエルドが毒殺なんて大胆なことをするか?」


 ヤーコプは指を何度も弾き、リズムを取る。エストーラバロックの美しい調べが、単調な指の擦れあう音で表現された。使用人は、静かに首を振る。それと同時に、ヤーコプは指を弾くのをやめ、最後に音を立てた人差し指で、使用人を差した。


「つまりはそういう事だ。こいつはシーグルスの間接的なクーデターさ」


「成功すればなおよし、失敗してもよし。よく考えやがるね、全く」


 そこまで言い終えて、ヤーコプは真剣な表情を作る。再びシーグルスの水晶を見つめ、そして、片眉を持ち上げてみせた。


「妙だな……?何故部屋の様子が変わっていない……?」


 彼は瞳孔を開き、使用人に振り返って叫ぶ。


「おい!鍵は閉めてあるか!?」


「二重扉二つとも閉めて御座います」


 水晶はそのままの景色を映し続ける。まるで静止画の如く、正確に、光の筋さえ抜き取ったように。


「例の法陣を敷け!奴が抜けてくる前に……!」


 侵入者を拘束する法陣術を縫い込んだ絨毯を使用人が手に取った刹那、ヤーコプの首筋に冷たい鉄の感触が触れる。血の気が引き、青ざめた顔を持ち上げると、その首筋に鈍色に輝く刃には、爽やかな笑みを浮かべるシーグルスの姿があった。


「……へっ。まずは父上を殺すべきじゃあないか?俺を殺すのはお門違いだ」


 ヤーコプはひきつった笑みを浮かべる。脂汗を顔全体にかき、滴り落ちる滴は普段のそれよりも一段と大きい。


「兄さん。エルドを解放するか、この首を失うか、どちらがいいだろう?」


「分かった、エルドを返してやる。だからいいだろう?お前は大蔵大臣か、宰相か。どちらかを……」


「正解は、『どちらも選ぶ』ですよ、兄さん」


 爽やかな微笑、貼り付けたような白い歯がギラリと輝く。ヤーコプの瞳孔が大きくなる。使用人に救いを求めようと視線を必死に送るが、使用人はこの男を殺せる力など持っていない。首に一筋の傷跡が出来る。情けない声を上げたヤーコプは、首を横に振る。シーグルスは涼しい笑顔のまま、ヤーコプのつむじを乱暴に押さえ、そのまま首を刃に押し付けた。


「やめろ、やめろ、やめろ!そんなことしても、お前は終わりだぞ!終わりだ!父上は信仰に忠実だ、こんなことは許さない!いいポストは約束する、それが望みだろう!?わかった、分かったから!」


「兄さん。僕が欲しいのは、頭だけですよ」


 耳をつんざく悲鳴が部屋にこだまする。思いきり切り上げた刃が、首を半分切り、骨に歯が当たる鈍い音が反響する。


「それで……?君は、どうするんだい?兄さんの所はいづらかっただろう。」


 シーグルスが目を細める。噴き出した鮮血で手を汚して尚、彼は涼し気に口の端で笑う。後ずさりした使用人が、自分が仕掛けた法陣術にかかり、体中に流れる電流に悲鳴を上げた。

 色を失っていく主人の顔が、怪しい水晶たちの輝きに乱反射する。鉄の香りが漂う室内で、ぐったりと力を失った彼の主人を放り投げた男は、使用人の前に斧を放り投げる。その際に法陣術を描いた絨毯が割けると、彼の体の痺れは嘘のように鎮静化した。


「さぁ、その首は、苦しめられた君の手柄に相応しいものだと思うよ」


 未だに細い声を上げる主人の見開いた瞳孔が、斧に反射して使用人の瞳に映る。唾を飲み込み、使用人は斧、シーグルス、ヤーコプを見回す。そして、斧を恐る恐る手に取ると、シーグルスに視線を送った。


「このクーデターが成功したのは、君のお陰だね」


 目の前の男はそう言って目を細める。使用人は静かにヤーコプに近づき、斧を思いきり振りかぶった。


「うわぁぁぁぁぁ!」


 脊髄が断ち切られる嫌な音が響く。噴き出した鮮血が彼の顔に飛び散ると、ハンカチで返り血を拭ったシーグルスは、使用人の肩に手を置いて微笑んだ。


「宜しく、僕の新たな右腕……」


 妖しく光る水晶は、同じ景色をずっと映し続けていた。

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