通り魔に殺されてしまった恋人
私の恋人が死んでしまった。
通り魔に殺されてしまった、らしい。
今分かっているのは殺されたのは昼休憩の時間だという事と、場所は会社の正面の公園だという事。
警察が調べているけれど、私はそれより前に犯人を見つけたい。警察が捕まえたら私には復讐が出来ない。
だから私は、我が家に代々伝わる秘法を試そうと思う。
直系の女にのみ伝わる時間飛翔能力、人生で一度だけ全てをやり直せるチャンス。
母は試した事すらないと言っていたし、私も信じてはいない。けれどもうこれくらいしか術がない。
彼は私の全てだった。彼を取り戻せるなら全てを失っても構わない。
過去に戻るのに必要なのは、覚悟と鍵となる道具。現在に追いつくまでは道具を肌身離さず持って、時間の座標にする……のだとか。よく分からないけれど、彼を守る武器にもなるかと包丁を選んだ。
次に覚悟。覚悟は出来ているけれど、この条件は難しい。
『戻りたい時間(3600秒を1として)×30.3cmの高さから飛び下りる』
恋人が死んだのは三日前の昼。隣のマンションの最上階から飛べば、高さは足りるはず。
私は包丁を握り締め、それを背に隠して隣のマンションに向かった。しばらく待って住人について行きオートロックを突破、共にエレベーターに乗って、最上階へ。
包丁は見られていないはずなのに不審者を見る目を向けられたけれど、気にしていられない。
私はその住人が部屋に入るのを見送って、止めるような人間が居ないことを確認して、柵を乗りこえた。
いざ飛ぶとなると怖くて怖くてたまらない。
あの力が嘘なら私は地面に叩きつけられて死んでしまう。けれど、彼に二度と会えないなら生きていたって仕方ない。
私は半ば自殺するような気持ちで、手を離してトンと柵を蹴った。
浮遊感がゆっくりと終焉を迎え、私はドスンと落ちた。目を開けると真っ暗で、けれど私はそこが自宅の寝室だと気が付いた。
寝ている時によくある階段を踏み外したような感覚、投身の夢はそれに似ていた。
「……どうしたの?」
飛び起きた私の手に、大きな手が重ねられる。
「怖い夢でも見た?」
優しい声は聞き慣れた、恋焦がれていた彼のものだ。
「…………ええ、とても、怖い夢」
貴方が死んでしまう夢を見た、とは言わずに彼の胸に額を寄せた。抱き締められて、背をぽんぽんと撫でられて、私の意識は闇に落ちていった。
朝、目が覚めてすぐにリビングに走った。
彼はソファで出社までの時間を潰しながら、ボサボサの頭をした私を見て笑った。
「おはよう」
「ぁ……おは、よ」
「……その服着て寝てたの?」
私が着ていたのは寝間着ではなく、黒いワンピースだった。彼が死んでしまった夢の中で、喪に服す為に着ていた、普段は絶対に着ない黒い服。
「黒、嫌いじゃなかった?」
「…………今日、会社休んで」
「どうして?」
カレンダーを見て、テレビニュースを見て、新聞を見て、確信する。彼が死んだのは夢ではない、私は過去に戻ってきているのだと。
見覚えのある事件、聞き覚えのあるコメント、それら全てが証明していた。
「お願い! 今日は一緒に居て欲しいの」
「君だって仕事があるだろう?」
「私も休む!」
「どうしたの……」
彼は心配そうな顔をして私の額に触れる。熱を測ろうとしているらしい。
「うーん、悪いけど、急には休めないよ。なるべく早く帰ってくるから」
「…………なら、お昼は絶対に会社から出ないで」
「どうして?」
「会社に食堂はあるでしょ? お昼はそこで食べて、絶対に出ないで」
彼は困ったように笑って私の頭を撫で、もう時間だからと玄関に向かった。
「君も早く支度しなよ、行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
額に優しくキスをして、彼の姿が扉の向こうに消える。私はすぐに支度をして会社に電話を入れながら彼を追った。
彼の会社の場所は分かった。私はその前で彼を見張る事にした。何時間かして私の集中が切れてくる頃、昼食の為に出ていく社員の群れの中に彼を見つけた。
出るなと言ったのに、と叫びたくなる衝動を抑えて彼の後を追う。今行っても彼を会社に戻せない。偶然会った振りをして昼食は店に入り、公園に寄らせずに帰せばいい。私はそう考えていた。
彼は私の予想を外れて、会社のすぐ隣の百貨店に入って行った。こんな所で昼食を取っているのだろうか、そんな話は聞いていない。不審に思いつつも人混みの中彼を追うのに必死になって、その理由を考えられなかった。
彼が止まったのはオモチャ売り場。店員に券を渡して、プレゼント包装がなされた大きな箱を受け取った。
両手で抱えても前が見えない程の大きさだ、いくつかのオモチャを詰め合わせているのだろう。何の為に、誰の為に、私はそれは聞いていない。
彼はそのプレゼント抱えて百貨店を後にした。昼食はまだなのに、彼の足は会社に戻る──いや、その前の信号で止まった。公園に行く気だ。
止めなければ、なんて言えば良いだろう、そんな事を考えていると肩を叩かれる。
「すいません、簡単なアンケートにご協力を……」
「そんな暇ありません」
「すぐに終わりますから……」
「彼が死んじゃうでしょ! そんなくだらないことやってる暇は無……っ!」
青になったと知らせる音が鳴る。彼が公園に向かう。
私もすぐに後を追った、けれど彼に走り寄った子供を見て声をかけられなくなった。
彼に笑顔で走り寄って、彼に笑顔で抱き上げられた子供はどこか彼に似ている。あのプレゼントはその子供に渡すものだったらしい。でも、あの子が誰か、私は知らない。
子供は彼に似ている。もしかして、まさか──
「ありがとう、ごめんね? こんな大きいもの……」
嫌な想像を振り切れないままでいると、子供の母親らしい女が彼に話しかけていた。あの女も私は知らない。
「いやいや、詰め合わせだから」
「じゃあ、たくさんありがとうだね」
「こっちこそごめんね、お腹大きいのに来てもらって。家まで行ければ良かったんだけど……」
女は妊娠しているようだ。誰の子だろう、まさか──そんな、いや、彼に限って有り得ない。
「こんな大きいもの持ってウチまで来るのは大変だもんね、私は車で来たから気にしないで」
彼が浮気しているなんて、有り得ない。
妻も子供も居るなんて、有り得ない。
私の方が浮気相手だなんて、有り得ない。
「そうそう、彼女とはどうなの?」
「えっ……ど、どうって……別に」
…………私の話?
「そろそろ結婚の話とか出るんじゃない?」
私の話だ。女の方も私の存在を知っている。その上私を馬鹿にしている。私はこの後で彼に結婚式の費用だとか言って金を取られるのだろうか、彼はその予定を笑っているのだろうか。
「まだだよ……」
「あら、そう? じゃあそろそろ私は行くわね。オモチャありがとう。ばいばい、愛してるわー!」
ああ、もう間違い無い。私は浮気されていた。
「その挨拶やめてよ……」
私は彼の背後に忍び寄って、先程アンケートをしつこく求めてきた女と同じように彼の肩を叩いた。
振り返った彼は私の顔を見て笑顔を浮かべる。今やその笑顔も憎らしい。
私の恋人は通り魔に殺された。私はそう思っていた。それは違っていた。私の恋人を殺したのは私自身だった。
わざわざ過去に戻って最愛だった人を殺したのだ。
彼の腹に沈んだ包丁を引き抜きながら、過去に戻ったことを後悔する。こんな力が無ければ彼は死ななかったし、私は人を殺さなかった。浮気されていると分かっても、結婚詐欺に遭っても、彼を殺せるチャンスなんて無かっただろう。
「……どう、して?」
彼は私の服にしがみついて、崩れ落ちる身体を支えている。私はその手に何度も包丁を突き立てる。
腕から力が抜けて彼の身体が地面に横たわる。
「…………私を裏切ったからよ。せっかく、助けに来たのに……」
弱々しい呼吸をするだけになった彼の隣に座り込む。このまま彼が死ぬまで傍に居れば、最期だけは私のモノになる。
そんな考えでロマンスに浸る私に子供の声が響く。聞き取りにくいその絶叫は「おじちゃん」と聞こえた。
こちらに来ようとする子供の腕を必死に引きながら、あの女が私に叫ぶ。
「どうして……どうして弟を!」
…………弟? 誰が?
「あなた誰なのよ!」
私は、彼の浮気相手。彼の妻は……私が彼の妻だと思っていた女は、彼を弟と呼んだ。彼の子だと思っていた子供はおじちゃんと呼んだ。
彼に姉が居たなんて聞いていない、甥っ子が居たなんて聞いていない。彼が家族の話をしたことなんて一度も無い──あぁ、いや、それは確か、片親の私を気遣った結果で……話そうとした彼に私が「やめて」と言ったからで。
「…………どうして」
彼の身体を揺さぶる。指の先も動かない。呼吸で腹が動くこともない。
手を握っても握り返してくれない。温かさもない。私を二度と見てくれないし、私が大好きだったあの笑顔ももう二度と見れない。
私は自らの手で私の全てを奪った。