僕は1度目の扉を閉める
長い長い沈黙。
目の前の少女の長い真っ黒な髪が、開けた窓から入ってきた風に何度も揺らされた。時折、顔にかかった髪を振り払いながら、薄い唇をぎゅっと結んでいる。
自分から声をかけるのは面倒だけれども、こちらから声をかけなければいつまでもこの時間が終わらない気がした。あのさ、と切り出すと目の前の女子生徒はびくっと肩をすくめた。
「ここに来る途中とかで、先輩見なかった?」
へあぁっ、と腑抜けたことを言ってから、もしかして、と続ける。
「聞いてないんですか、いや、私も、さっき、知ったん、ですけど」
「何をさ」
えらくもたついた話し方に僕はイライラする。走ってきたにしても息が上がり過ぎだ。目線が定まっていなくて神経質な印象を受ける。
「そこで顧問の先生、あ、長谷部先生に、会って。あ、顧問かどうかは分からなかったんですけど、遊戯部の部室の場所を聞いたら、顧問だよって教えて下さって、あの、ここに来るのが遅れてしまったのも迷子になっていたからで、あと、それから」
痺れを切らした僕は「結論から、というか、結論だけ話してくれないかな」と伝える。
彼女は一瞬目を見開いて話すのを止めた。頬が赤く染まっていく。ふーっと息を吐くと僕の方をじっと見る。
「遊戯部の部員は現在3年生が一人、その一人は休学中です」
背筋を伸ばし、毅然として、淀みなく話す彼女は、さっきまでとは別人だった。例えではなく本当に違う人みたいだった。そのことに驚いて、話した内容が頭に入って来るのに時間がかかる。休学中、と言ったか。何かやらかしたんだろうかと考えたが、僕には関係のないことだ。
「てことは、今日は顔合わせはおしまい。これ出してさっさと帰るから。」
入部届をぴらぴらとさせて、僕は席から立ち上がる。彼女がそれを言ってくれたら、もっと早く帰ることが出来た気がするけれど、まぁ良い。想像以上に楽が出来そうだ。この部、絶対に活動などない。
「ま、待ってください」
バネがのように彼女は立ち上がる。さっきまでの毅然とした印象はなかったけれど、あまりにも勢いがすごかったから迫力はあった。
自己紹介を、と彼女が言うから僕は「1-B雨澤葵」と告げる。名前を聞いても聞かなくても、どうせ彼女に名前を呼ばれることも、呼ぶこともない。今日が僕の最初で最後の部活動なんだから。
「私は、1-Aの棗いろはです」
よろしくお願いしますと少しだけ頭を下げてくる。髪がゆれる。ぺこりというか、ぴょこりというか、とにかく落ち着きのなさそうなお辞儀だった。
それじゃあと僕が鞄を持ち上げたとき、活動日なんだけどねと彼女の声がする。
「週に2、3回くらいでいいかなって思ってるんだけど、どうかな?」
あー、と僕は言ってから彼女に告げる。「僕、もう部活来る気ないよ。幽霊部員志望だから。」
「それは…」か細い声がする。「申し訳ないけど」と心にも思っていないことを言って、部屋のドアに向かって歩く。彼女はたった一人になってしまうけれども、しばらくすれば休学していたという生徒も戻ってくるだろうし、だいたい真面目に部活したいやつはこんな部になんて入らないだろう。
何かを言いたそうな彼女を置いて、僕は扉を開けて、そして閉めた。
この扉を開けることはもう二度とないだろう。
フラグがね