転生者ちゃんがやってきた
転生者ちゃんがやってきた。
身の丈60cmほどのぬいぐるみボディ。ギリギリ三頭身に届かないデフォルメフォルム。ぴょこんと生えたアホ毛がトレードマークの、転生者ちゃんがやってきた。
森の中で遭難し、魔物に片腕をもがれて今にも失血死しそうな僕の前に、転生者ちゃんと名乗る謎の人型生命体がやってきた。
「たすけにきたよ! よろしくね!」
転生者ちゃんは地獄を落とし込んだような瞳を僕に向け、顔だけはにっこりと笑っていた。
*****
転生者ちゃんとは、この世界に突如として現れた謎の生命体だ。
人間をデフォルメしたような姿形をしており、一般的には愛らしい造形とされている。
意思疎通も可能で人間には極めて友好的。個体差はあるけれど、一般的な転生者ちゃんは人間が大好きだ。
と言うか、好きすぎて、ちょっと怖い。
「転生者ちゃん、転生者ちゃん、何してるの?」
「にんげんさん、うでないよ? わたしまだにほんあるから、いっぽんあげるね!」
転生者ちゃんは人間のためとあれば一切の自己犠牲を躊躇わない。
僕のように腕を失おうものなら、自らの腕を切り落として分け与えようとする。これはまだ平常な方のケースだ。街中で心臓の悪いおじいさんが発作を起こした時は、近隣に居た転生者ちゃんたちが一斉に自らの心臓を抜き出したと聞く。
「ううん、人間は腕を切ったり貼ったりできないんだ。転生者ちゃんと違ってね」
「そうなんだ? よろしくね!」
僕はデフォルメされた可愛らしい斧で自らの腕を切り落とそうとする転生者ちゃんを制した。
転生者ちゃんは死なない。腕を切り落とそうと、心臓を抜き出そうと、何をしても死ぬことは無い。ニコニコした笑顔が血みどろに汚れて、それで終わりだ。
欠如した部位も数日中に自己再生し、簡単に元の状態に戻る。過去に国の機関が細切れになるまで解剖したらしいけど、その時も平然といつもの笑顔のまま再生したらしい。さすがにこの噂は嘘だと思う、そう信じたい。
「転生者ちゃん、僕血が足りなくて死にそうなんだ」
「じゃあ、わたしのち、のむ? のむ?」
「ううん、そうじゃなくてね。血は飲まないから」
「ちゃんとのみやすいようにしたよ? ぶどうあじ」
僕が止める間も無く、転生者ちゃんは自らの頸動脈をかっさばいた。飛び散った血液が僕の顔に激しく降り注ぎ、一滴が僕の口に飛び込んできた。
……ぶどう味。看板に偽りは無いらしい。悔しいことに、今まで飲んだどんな飲み物より芳醇で濃厚な味がした。
「……血を止めてほしいんだ」
「うん、わかった! よろしくね!」
「僕の血もだけど、転生者ちゃんの血も止めてね。怖いからね」
頸動脈からだくだくと血を流しつつ、転生者ちゃんはにっこり笑ってどこからともなく薬箱を取り出した。
転生者ちゃんは手慣れた手つきで傷口を洗浄し、何かしらの薬品を塗ってから白い布を巻いてくれた。続けて筒の先端に針がついた器具を持ち出し、先端を僕の皮膚に突き刺す。
「おちゅーしゃ、おちゅーしゃ」
筒の中に入った薬剤が僕の身体の中に入ると、患部の痛みは消えていった。
転生者ちゃんが使っている器具や薬品の正体を僕達は知らない。彼女たちに頼み事をすると、時折この世界に存在しない謎の器具を使うことがある。
ギルドからは転生者ちゃんの使用する薬品を過信しないよう再三に渡り通達が来ていたが、命の危機とあっては頼らざるを得なかった。
「……ありがとう。楽になったよ」
「かおいろわるいよ? にんげんさん、おなかすいた? なにかたべる?」
「食欲は無いかな……」
「しょくよく、わく、おくすりもあるよ?」
「僕自然派だから」
「わかった! しぜんゆらいのおくすりだよ、よろしくね!」
「ちょっと待――」
ぷすり。
止める間も無く、何かしらの薬剤が針を通って僕の体内に入っていった。
途端に訪れるのはとめどない空腹。何でも良いから食べてしまいたいと思えるほどの、凄まじい飢餓。
精神力でこらえようとするが、すぐに思考は飢餓に塗りつぶされる。なんでも良い。今すぐにでも何か口に入れないと、僕は狂ってしまう。
「たべる? たべる?」
転生者ちゃんはなぜか服を脱ぎ始めていた。
いつもどおりの、目だけが笑っていない満面の笑みで。側にちょっとした焚き火と包丁とお皿なんかも用意してあって。
目の前の美味しそうなコレを、捌いて焼いて食べれば、とても美味しいんだろうなって。柄にもなくそんな感情が沸いた。
「……転生者ちゃん」
「わたし、おいしいとおもうよ? きゃー、きゃー」
「僕、ベジタリアンだから」
「そっかー。じゃあ、これどーぞ」
コンマ数秒で服を着直した転生者ちゃんは、手に持った何かの果実を僕に手渡す。ありがたく受け取って、生のままかじりついた。
小さな果実だったけど、不思議な事にそれを食べただけで僕の飢餓は落ち着いた。体力も異常なほど回復したように思える。落ち着いて周りを見てると、転生者ちゃんがどこかがっかりしたような、それでいて満面の笑みで焚き火と調理キットを片付けていた。
「いつか、たべてね。よろしくね!」
「遠慮しとくよ……」
転生者ちゃんは人間が好きだ。
中でも特別気に入った人に対して、転生者ちゃんは特別なアプローチをすると言う。そのアプローチがどういったもので、アプローチを受けるとどうなるかについては、調べても調べても出てこなかった。
余談だけど。僕は時折転生者ちゃんに肉体的なアプローチ(そのままの意味で)を向けられることがある。こうした例は他には無いらしく、ギルドから直々に箝口令と「何があってもアプローチを受けるな」というお達しを念入りに頂いている。
「にんげんさん、にんげんさん」
「どうしたの転生者ちゃん」
「まものがきてるよ。よろしくね!」
転生者ちゃんが指差した方向には、異形が立っていた。
2メートルを越えた巨大な人型。全身は黒く渦巻いていて、針金のような細い手足をギクシャクと動かし、不気味な4足歩行でこちらに近づいてくる。
口らしき部分にくわえているのは、僕の右腕だ。それを誇るように振り回し、異形の人型『ハリガネ』は、ケカカカッと不快な音で高くいなないた。
「にんげんさん。めをつむってほしいな?」
「なんで?」
「はずかしいから……」
転生者ちゃんが恥ずかしがってたから、僕はそれをじーっと見ることにした。顔を赤らめながら転生者ちゃんは服を脱ぎ始めた。
上だけをはだけた転生者ちゃんは、ぺったりとしたお腹を指で縦になぞる。すると、ベギっとひび割れるような音がして、転生者ちゃんのお腹が真っ二つに裂けた。
その奥に除くのは闇よりも深い深淵だ。無数の赤い瞳や牙の生えた口が浮くその空間に転生者ちゃんは手を突っ込むと、ずるりと巨大な何かを引きずり出す。
「みないでって、いったのにー!」
唇をとがらせながら、転生者ちゃんは取り出したそれを高々と掲げる。それは少女らしいデザインの施された、ピンク色の大剣だった。
既に腹部の深淵は閉じられ、上着もちゃんと着なおされている。ぶんぶんと大剣を振り回し、転生者ちゃんは果敢にも『ハリガネ』に突っ込んでいった。
「たやー!」
気の抜けるような叫びと共に、冗談のような質量の大剣が体長60cmの転生者ちゃんに振り抜かれる。いや、既に振り抜かれていた、と言うべきだろう。
僕も多少は剣に覚えはある。それでも、転生者ちゃんの一閃は見えなかった。後にはただ、2つに切り裂かれた『ハリガネ』の死体だけが残っていた。
「にんげんさん。おけがはない?」
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」
「どういたしまして! よろしくね!」
上機嫌にふんふんと歌い、転生者ちゃんは口を開けて大剣を飲み込む。ずるずると、明らかに身体以上の質量を持つ剣が、口から転生者ちゃんの中に戻っていく。
口の端を大きく斬り裂いてだらだらと血を流しながら、続けて転生者ちゃんは『ハリガネ』の死体を拾い上げ、それもまた同じように口の中に放り込んだ。
ボリボリ、ガリゴリ。硬質の何かを強引に噛み砕く音がしばらく響き、転生者ちゃんは満足そうににっこり笑った。
「おーいしー♪」
「……美味しいの、ソレ」
「すっごくおいしいよ! ひょっとして、にんげんさんもたべたかった?」
「いらない。絶対にいらない」
転生者ちゃんが食べたのは魔物だ。全ての生命の対極に位置するとされる、反生命的生命体の魔物だ。
本来なら倒すだけでも一苦労。死体ですら下手に扱えば大きな災害を招きかねないそれを、彼女は美味しく頂いていた。
「ごめんねにんげんさん。かわりなんだけど、もっとおいしいもの、たべる? たべる?」
「それもいらない。服を着て」
「でもでも、すっごくおいしいんだよ?」
「いいから。ほら、転生者ちゃん。帰るよ」
「はーい。よろしくね!」
突如としてこの世界に現れた謎の人型生命体、転生者ちゃん。
彼女たちは、一応、今のところ、おそらくは、人間に友好的である。
よろしくね!