エピソードⅢ〈運命の人、三人目〉
白井ユリは今年の春、高校生になった十五歳の少年だ。
名前のせいでよく女に間違われる。だが、外見からもよく女に間違われた。
中世的な容姿のユリは母親の影響から幼いころからモデルをやっていた。身長百七十一センチのすらりとした体。小学生のころまでバレエ教室に通っていたので、女性のようなしなやかさがあった。
薄茶色の線の細い髪は絹糸のように艶めいた。穏やかな目元には泣きぼくろが一つ。口元はいつも笑みに作られていて、誰かは彼を『地上に迷い込んだ天使のようだ』と評した。
そんな彼がセイントマリア高等学校に入学を決めたのは、ひとえに芸能科があるからだった。
モデルの仕事は時に、平日に入ることがある。そうなってくると普通の高校ではモデル業を続けるのは厳しかったのだ。だが、芸能科ではそうした平日の仕事の場合、授業は欠席とならず、出席扱いになるのだ。
ユリにとってこれはありがたかった。
ユリはモデル業が好きだった。人と争うのは好きではなかったが、表現をするということが楽しかったのだ。
普段着られないような素晴らしい服に身を包み、カメラの前でポーズを取る。
その瞬間、ユリは何にでもなれた。
ある時はサラリーマン。ある時はスポーツマン。ある時は中世の騎士。またある時は花魁にもなれた。
年も、世界も、性別も超えて世界観を表現する。
それにユリははまっていたのだ。
だから、モデル業を優先するためにこの学校を選んだのだった。
そんなユリは入学式を遅刻した。
急な仕事が入ってしまったのだ。
朝の三時に起きて、スタッフと車で近くの海辺へ行き、晴れた砂浜で水着の撮影を行ったのだ。そして午前中で仕事を終わらせ、急いで入学式に駆け付けたのだった。
正門から中へと入ると、中はシンと静まっていた。それはそうだ。今の時間は講堂で式典が行われているはずだ。
時計を見れば、そろそろ式典が終わる時刻だった。
付き添いの母親が「折角だから、中に入る?」と聞いてくる。
しかし、ユリはそれに首を振った。
途中で入っていって、悪目立ちはしたくなかったのだ。
仕方がなく母親と連れだって、自分の教室へと向かった。
芸能科は一クラスしかないので迷わなかった。
定員四十名。
事務所に所属している現役の芸能人しか入ることができないクラスだ。
これはもちろん、芸能人目当ての一般生徒を除外するための措置である。
過去にフリーの芸人だと自称する生徒を入れたところ、見事、アイドルのストーカーにクラスチェンジしたためのやむを得ない事情があるらしかった。
教室内には机が綺麗に四十個並んでいた。
出席番号順に座るらしく、ユリは自分の席に荷物を置いた。
ユリは母親と仕事の話で時間を潰しながら時が過ぎるのを待っていれば、やがて廊下の方からざわめきが聞こえはじめてきた。
一人、教室に入ってきた。それから続いて、二人、三人、四人……と続く。
どれもこれも、雑誌やテレビで見たことがある顔ばかりだ。
中には同じ仕事仲間のモデルの女の子もいた。
軽く手を上げ挨拶をし、そうして最後に教室に入ってきたのはこのクラスの担任らしき男だった。
教室にはユリ含め四十人の生徒とその保護者がひしめき合っていた。
各人席に着き、保護者は自分の子供の近くに身を置いた。
それから教師からの入学の祝いの言葉が述べられ、今後の学校生活について簡単な説明がなされた。
教科書の販売、授業を休む場合の必要提出書類、保護者会においてのクラスでの役割分担などが伝えられた。そして来週の月曜日からの時間割についてが書かれた紙が全員に配られ、そしてその日は解散となった。
教室内は一気に騒がしくなった。
だが、ほとんどの生徒は飛び出すように教室を出て行った。
おそらく、この後、仕事があるのだろう。
仕事仲間の女の子も「仕事があるから行くね」と挨拶もそこそこに、教室をさっと出て行ってしまったのだ。
あとに残ったメンバーも今日はじめて会ったということで緊張している様子で、一緒に来ている親と話をしているのが主だった。
「あら、もしかして、涼子じゃない?」
そんな中で声を上げたのは、ユリの知らぬ女性だった。
しかし、ユリの母親は知っている人物だったらしく、「えっ、彩菜なの? うそー! 久しぶりー! こんなところで会えるとは思わなかった!!」と明るい声を上げた。
隣で話を聞いていれば、どうやら相手は母親の同級生で、昔、一緒に組んでアイドルをやっていたらしいということが分かった。
確かに、相手の女性は可愛らしい顔をしていた。
後ろにいる少女は娘だろうか。母親に似て愛らしい顔つきをしていた。それに思い返してみれば、CM でよく見る顔だった。
さすが芸能科だ、とユリは内心唸った。
母親たちの話は長かった。
延々と続くおしゃべりに、さすがのユリも呆れた。それから先ほどからトイレを我慢していて、ユリは辛くなってきていた。
「母さん、ちょっとトイレに行ってくるから」
母親だけに聞こえるように小さい声で言って、ユリはそっとその場を抜けた。
廊下はざわざわとしていた。
ユリの教室がある第三校舎は芸能科と音楽科、そして、スポーツ科のクラスが入っている。そうしたことから、音楽科やスポーツ科の生徒がまだ教室に残っているのだろうということが知れた。
芸能科の教室とは違い、騒ぎ声が聞こえてきて、なんだか楽しそうだとユリは単純に思った。
やはり科によってカラーがあるな、と賑やかな教室を尻目にユリはトイレのドアに向かった。
その時だ。
ドアが急に開いた。
中から人が出てきたのだ。
その人を見た瞬間、ユリは頭が鈍器で殴られたような感覚に襲われた。
「うぐっ!」
ユリはあまりの痛さに堪らず壁に寄りかかる。そうでもしないと立っていられなかった。
頭はズキズキと痛む。頭蓋骨はドリルで穴を開けられているのではないかというほど痛い。痛みに耐えるため、自然と歯を食いしばった。そのせいで顎が痛んだ。痛い。痛みが治まるかと思い思い切って壁に頭を打ち付けてみる。だが変わらない。頭痛は酷くなる一方だった。
もうこのまま自分は死んでしまうのではないだろうかと、ユリは思った。
しかし、ふっと痛みが止んだ。
突然だった。
ユリは驚いた。そして、ふっと視線を上げれば、先ほどトイレのドアから出てこようとしてきた人が先ほどの自分と同じように頭を抱え、痛みに苦しんでいるような様子でいた。
ユリはそれを見て、ハッとした。
思い出した。
自分は目の前にいる人物を知っている。
この人物こそ、前世で将来を誓い合った仲の人であるとユリは悟ったのである。
――前世。
そこではユリは少女だった。普通の少女。だが、頭に『病弱』と名称が付く。
一年の大半をベッドの上で過ごす彼女。
その彼女には幼馴染の男の子がいた。
男の子は毎日毎日彼女を見舞った。
彼女はそんな男の子のことを毎日毎日迎えた。
男の子は彼女が元気になってほしいと願い、足しげく通うのだ。夏の暑い日も、冬の寒い日も。
しかし、そんな願いもむなしく彼女はついに死の床につく。
眠るような穏やかな死の直前、彼女は男の子に言った。
『生まれ変わったら、今度こそ元気になるから、また遊んでね……そして、私をあなたのお嫁さんにしてね』
男の子はそれを了承した。
そうして彼女は、今世では男として生まれ変わった。
もしかすると、丈夫な体になりたいという思いが強すぎて、男性に生まれ変わったのかもしれない。
ともかくとして、ユリは彼女だった。
そして、目の前の人物は、前世での幼馴染の男の子だった。
ユリの体が熱くなる。
そっと手を伸ばして目の前の人物の手を取った。
「会えたね……」
ユリは言う。
「ブレイド……運命の人……私の……好きな人……」
あのころの記憶が鮮明によみがえる。
ユリはその記憶を懐かしく思いながら微笑んだ。
「――私をお嫁さんにしてね」
エピソードⅢ・END