前編
黒猫と弟子シリーズ第三弾となります。前作となります
黒猫と弟子
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黒猫と弟子・アフターライフ
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を読んでからだとより楽しめるかもしれません。なおアフターライフはこのもう一つの魔術の三年後のお話ですので、この後でも良いかもしれません?
パチパチと音を立てて炎の燃え盛る暖炉の傍で黒い毛玉が蠢く。黒い毛玉は口を大きく開いてあくびをした。土下座でもするかのように両腕の伸ばして伸びをし、再び両腕を体の下に隠して温かくなるように尻尾を体になるべく引っ付けている。
「お師匠、ミルクあったかくしたよー?」
「ん? あぁ、ありがとう」
毛玉の傍に人肌に暖められた牛乳の入れられた皿が置かれた。毛玉……真っ黒な毛並みの猫はミルクを持ってきてくれた人物に会釈をすると、猫らしく舌を使ってミルクをすくって飲み始めた。
ミルクを運んできた人物はまだ顔に幼さの残る可愛らしい顔立ちをした少女である。周辺地域では珍しい黒い髪と赤い瞳。しかし同時に彼らの居る地域では一般的な白い肌を持った少女は肉親というものが居ない。
「冬だねぇ……寒い」
「そうだな……今は雪が降ってないのが救いだが……それにしても寒い」
「そうは言っても、お師匠もこもこじゃん」
「毛皮はあっても寒いものは寒いんだ」
ぶるると一度体を震わせる黒猫は、ミルクの無くなった皿を丹念に舐めた後に抗議の声をあげる。少女は軽く呆れたように肩を竦めると、皿を食器洗い場へと持っていった。
時刻はもう夜。普段なら少女は眠たくなってきている時間なのだが、今日は珍しく仕事が無かったため本などを読みながらゆっくり過ごせたとあって、疲れはあまり溜まっていないことから多少の夜更かしも可能であった。
「寒い寒い……」
「……なぜそう言いながら俺を抱き上げるんだ。寒いだろうが」
「だってお師匠温かいんだもん……♪」
少女は黒猫を抱きしめ、暖炉近くのソファに座る。自身の膝に黒猫を乗せ、当の黒猫は嘆息しつつも少女の腕に顎を乗せてジッと目を瞑った。少女は昼間に呼んでいた本に手を向ける。本と少女との間は十歩ほど歩かねばならない程度の距離があるが、突如本がふわりと宙に浮いたと思えば少女の目の前に引き寄せられるように飛んできた。
「……何の本を読んでるんだ? 俺は昼間出かけてたから知らないが」
「んー? なんかドン・キホーテっていう本。なんかおじいちゃんがめちゃくちゃしてる」
「あぁ……昔読んだことがあるな……アロンソとサンチョの冒険小説だったか。嫌いじゃないがあまり好きでもないな……」
「そう? 私はちょっと好きかな。難しくて解らないところもあるけど。面白いおじいさんだよね」
「まぁたしかに、主人公は面白いが……本自体はお前にはまだ難しいかもしれんな」
わずかに嘲るようにくっくっと笑う黒猫の意地悪な言葉に、少女は頬を膨らませて黒猫の鼻に指を当てる。
「ぬが……! やむ……やめんか!」
「お返し!」
「まったく……」
少女に鼻を塞がれたおかげか、呼吸に違和感を感じてプシッと一度くしゃみをする黒猫。その様子にクスクスと少女が笑ったが、その後手元の本へと集中が映った。一般人より教養が高いとはいえ勉強の期間を考えれば、地の頭が良いのか教師の教え方が上手いか、はたまたどちらもと言えるかもしれない。
少女は膝の上に座った自分の“師”を撫でる。黒猫をもう一度あくびをして目を瞑ると、昼間に出掛けていた疲れからか微睡み始めた。
少女の名はエルフィオ。性はなく、たった一言の名前も生まれた時につけられた名前ではない。しかしその表情は明るく、決して悲嘆に暮れているようには見えない。
異能を操る者達、魔術師。彼女はその最高位の賢者と呼ばれる一人、黒猫を師事する唯一の弟子である。
「……ん? 雪、また降り始めた?」
「やれやれ……魔法を使っても雪かきはしんどいというのに……」
黄昏の町という別名を持つ田舎町スタッドベーソンに住む黒猫と弟子は、和やかに毎日を過ごしてた。
◆◇◆◇
翌日の朝。
「うわー……結構積もったねぇ」
「やれやれ……エルフィオ、とりあえずお前は食事でも作っといてくれ。俺は屋根の雪を降ろすが、下に居たら危ないからな」
「うん。わかってるって」
黒猫は玄関脇に置いてある両手持ち用スコップに顔を向け、ふわりと魔術を用いて自身の近くに引き寄せる。柄の部分に二種類の複雑な紋様が描かれた紙が貼りつけられており、水に濡れないように革を上にかぶせて巻かれている。黒猫ほどの賢者になればいくつもの物体を動かすことは容易であり、スコップを引き寄せながらドアの閂を外して外に出た。
昨夜の悪天候から打って変わって晴天そのものであった。しかしながら気温はまだあまり上がっていないため、雪が溶けていたりはしていない。
「お、大先生おはようございまさ!」
「おはようございます。雪かきですか」
「えぇ。この道の雪取っ払っとかないと、木材運ぶのが大変になりますからねぇ」
「薪用や建材なんかで夏より冬の方が需要が増えますからね。まぁ頑張ってください」
「はーい」
向かいの家に住んでいる髭面の男に話かけられ、にこやかに返事をする黒猫。寒い寒いと言いつつすぐに終わらせて家に入ろうと、玄関脇の柵に一度飛び乗り、その度 雨樋の端に足をついた。
「二センチくらいか……軽いから良いが……」
黒猫はスコップを器用に操り、自身が被ったりしないように気を付けながら雪をすくっては道路ではない場所の地面に降ろしていく。多少の雪であれば解けて生活水として雨樋から家の外にある水瓶に溜められる仕組みとなっているため、屋根に負担のかかる分の雪を降ろすだけで問題は無い。
普通の家であれば保温性の高い瓦などを使っているため雪を降ろしたりする必要はないのだが、魔術師という仕事柄、年中暖炉を使い続けたりすることもあって保温性が高いと暑さで死ねるレベルで室内の温度が高くなるのだ。
「な、長い……」
また本や保管物を大量に持つことがデフォルトな職業ということもあり、一般家庭よりも家の規模が大きくなりやすい。旅をして生活しているような魔術師には関係ないことだが、普通の魔術師は毎年の冬に寒さと戦いながら雪おろしと格闘するのである。
「もう……つらい……」
魔術を使うにも案外集中力が居る為、黒猫がひぃひぃ言いながら半分ほど雪を降ろした頃、黒猫達の家の前にふくよかな体型をした女性が立っていた。女性は屋根の上にいる黒猫に気が付き、大声で話かける。
「大先生! あの、ちょっとお仕事を依頼したいのですけれど」
「ん? あぁ、オリオスさん家の奥さん。ちょっと私は雪おろししないといけないので……エルフィオなら家に居ますから伝えてください」
「あらそうですか、すみませんねぇ」
そう言うと女性は玄関の戸を叩き、エルフィオが女性を中へと招き入れた。道路の雪かきをしていた髭面の男性はいつのまにか雪かきを終えており、早々に家の中へと戻ってしまっていた。
外に一匹だけ残る黒猫。どこかから雪かきの音は聞こえるが視界には誰も見えない。
孤独を感じてしまうとドッと疲れてしまうものである。黒猫は一度溜息をつくと早く家に戻ろうと雪おろしを再開した。
☆
「お師匠聞いた? なんか今日の朝に変わった行商人が来たんだってさ」
「変わった行商人? どんなものなんだ?」
「なんでも十人だか十五人だかで馬車を引いてやってきたんだけど、村長に広い敷地は無いか、あったら貸してくれって聞いてきたんだって」
「なんだ、ただの商隊じゃないのか?」
「ううん違うらしいよ?」
オリオス家の奥さんに依頼された傷薬の材料を刻んだりすり潰しつつ会話する黒猫とエルフィオ。最近やっと骨折が治ったと言うのに、また夫が不注意で腕をバッサリ切ってしまったらしく、その治療の為の傷薬を頼まれたのだ。
会話をしながらだが、黒猫があやつる包丁などが遅くなったりはしていない。
「なんかね? 奥さんの言うことだと、でっかいボールとか輪っかとか派手な衣装に大量の化粧品まで持ってたんだって」
「……女性が多いんじゃないか? あ、赤ミツバチの蜂蜜取ってくれ」
「いや、男の人ばっかりなんだってさ。 はい、お師匠」
「ありがとう。ふむ……あぁ、それってサーカスじゃないか? 聞いてる以上だとかなり小規模みたいだが……」
「サーカス? なにそれ」
黒猫の方を見てキョトンとした表情になるエルフィオ。手元のすり鉢で木の実を潰す手が全く動いていない。黒猫は空の皿で軽くエルフィオの頭を叩いて注意した後、暖炉の釜に材料を投入しつつ説明した。
「まぁいわゆる芸人ってやつらが集まって色んな芸をする団体だ。巨大な球体に乗りながらジャグリング……まぁ言っても解らんかもしれんが、普通の人じゃ出来んようなことをやって観客に見せることで収入を得てるのさ」
「……酒場でおじさんたちが腕相撲してお金貰ってるのみたいな?」
「いやそれとはちょっと違うが……お前は酒場の方はやっちゃだめだぞ」
「うん……? わかった」
自身の弟子の健全な育成のためちゃんと言い聞かせる黒猫。しかし弟子の見聞を広げさせるためにも見学した方が良いかもしれないと思い、黒猫はエルフィオの方を見た。
「いつ公演するって言ってたんだ?」
「公園? よくわかんないけど今日の昼過ぎぐらいから何かやるって言ってたらしいよ」
ふむと、今作っている薬が出来る時間を考え、昼前には終えられるだろうと目算を立てる。
「早いな。よし、じゃあこの傷薬を届けたら見に行くか」
「ほんと!? でも普通の人じゃ出来ないことって私達なら普通に出来るんじゃ……」
「俺はともかく確実にお前じゃ無理だからなエルフィオ。それに魔術じゃなくて血のにじむような練習の結果だからそう言うことも考えて見ろよ」
若干感覚や考えていることが常人とずれている弟子に大丈夫かと、微妙に心配を昼前に仕事を終える為に目前の仕事に集中する黒猫。エルフィオもそこそこの経験を積んでいるため、ここぞと言うときにしっかり仕事だけに向き合うことが出来る。
しばらく家の中には包丁とすり鉢でする音、釜で液体が煮込まれる音だけが響いた。
◆◇◆◇
「お、ここか。結構町の人も集まってるな」
「おぉ、大先生と先生もいらっしゃたんですか」
「これはこれは院長先生。仕事は良いんですか?」
「今日は休診日なんです。まぁこんな小さな町では毎日が休診日みたいなものですがね。まぁ今朝はオリオスさんが怪我をなされたようで応急手当をいたしましたが」
仕事上でかなり親密な関係にある魔術師と医者の一人と一匹は道端で談笑を始めた。エルフィオは黒猫が町に一つしかない医院の院長と会話しているため、やることが無くなり黒猫の隣で道路の端にあった雪を集めて団子にして遊んでいた。
「あ、先生だ! こっちおいでよ!」
「先生前の方で見なよ! 譲るぜ!」「おいなんだよ俺が譲るよ!」「うっせ! 出しゃばんなよ!」
「先生を見た途端色気づきやがって……このガキども!」
町のやんちゃ坊主たちがそれぞれの母親や父親に頭を殴られ、一様にうめき声をあげる。人前に出れるようになったとはいえ、まだ大勢の人と触れ合うのは苦手なエルフィオは手に持っていた雪を、思わず黒猫の背中に落としながらおろおろとし始めた。
話をしていて急に背中に冷たい雪を落とされた黒猫としては堪ったもんではなく、「ギニャッ」と謎の奇声をあげながら飛び上がってエルフィオの腕にぶつかった。
「おいやめんか馬鹿!」
「うぅ……だ、だって……」
「なんだって言うんだ……あぁ……一人で行って来い」
「えぇ……!?」
「たまには自分から行って社交性身に着けてきなさい」
「……はい…………」
黒猫に怒られてとぼとぼと先ほどのやんちゃ坊主たちが居る、一番前の席付近に歩いて行くエルフィオ。黒猫は若干可哀そうだったかなと細目になりつつ、苦笑いしていた院長と会話を再開した。
しばらくして、
「スタッドベーソンに住む皆様! 長らくお待たせいたしました。わたくし、ダイアン奇術団の団長を務めております。ダイアン・ジューダスと申します者です」
「そうですそうです、結構お金が厳しく……ん? ダイアン・ジューダスってどこかで……」
パネル等をはめたりするだけで簡単に組み立てられるステージの上で、片眼鏡を左目にかけた金髪に顎髭が薄く生えた男が、派手な色合いのスーツを着て一礼をしていた。黒猫の体の大きさでは町の人達にの背に遮られて男の声を聞くくらいしか出来ないが、その声が何か記憶の中で引っ掛かった。しかしその記憶はかなり曖昧模糊としており、どこで聞いた声なのか思い出せなかった。
「今宵御見せいたしますのは、世にも奇妙で奇想天外なショーで御座います。我が劇団は凡人。されどあっと驚くことでしょう。魔術師などという珍妙で怪しい奴らとは違う、まったく新鮮な驚きをあなたに!」
声高らかに思い切り暴れ牛の尻を蹴飛ばすような発言をするダイアンという名の男。エルフィオはムッとした表情になり、黒猫の方は呆れた表情になっていた。黒猫自体はこの町に来るまで気味悪がられたり、馬鹿にされたりしたことが数えきれないほどあったためもはや呆れる程度には慣れていたのだ。
しかし、純朴な者が多いこの町の住民は普段から世話になっている恩人が馬鹿にされたと受け取り、老若男女がそれぞれの形で激昂していた。
「ふざけんじゃねぇぞこの変な恰好した野郎が!!」「え?」
「お前みてぇな金持ちと違って俺らの大先生達は欲張らない最高の魔術師様なんだ!」「えぇ?」
「それをあんたは頭がおかしいとか変態だとかって……「そんなことまでは言ってませんから!」
もはや暴動一歩手前ほどの状況になる広場。ダイアンという男が思っていた町の人の反応と違っていたらしく、困惑した表情になっているが、襲われたりするようなことを想像して恐れているようには見えない。馬鹿なのかそれとも、屈強な護衛でも居るのか。
黒猫はまさか自分のせいで町の人が怪我をしたり、暴行によって捕まったりするならばあまりにも申し訳ないと、院長に断りを入れると立ち上がった人々の足元をするすると潜り抜けてステージの上へと飛び乗った。
「待ってください皆さん。何も私なんかの為に……」「あ、って、お前黒猫か!」
「あん?」
慌てて止めようとする黒猫に背後から合点のいったような素っ頓狂な声があがった。黒猫自身視線が低いため、ダイアンという男の脚しか見ていなかったのだが、自分の名前を呼ばれたことに反応して、振り向きながら見上げる動作をする。
特徴的な出で立ちと片眼鏡を見て、黒猫は記憶に眠る男の正体を掘り当てることが出来た。黒猫はダイアンの事を思い出し、口をあんぐりと開ける。
「ダイアンか! お前こんなところでなにしてるんだ!」
「えー……あー……」
「しばらく賢者集会にも顔を出して無いって聞いたぞ。まさかこんなところでサーカスなんぞやってるとは」
「え、賢者?」
黒猫達のことを馬鹿にされて怒っていた町の住民たちは、黒猫とダイアンが知り合いだったことに驚いて動きが止まった。黒猫の弟子で魔術師見習いであるエルフィオは、黒猫が口走った単語にキョトンとした表情になる。
黒猫は怒ったような苦々しいような声音でその場に集った者達に言う。
「あー……こいつはダイアン。最近まともに連絡も寄越さなかった自然魔術派の賢者の一人……つまり俺の仲間です」
「「えええ……」」
集った町の住人全員が呆れと困惑の入り混じった声を出す。訳が分からないことだろう。恩人の敵だと思って居たのが、まさか恩人の仲間だとは誰が思うだろうか。そしてエルフィオはというと、また違った驚きを覚えていたが。
当のダイアンは手で顔を押さえてうめき声をあげ、後ろにいる団員と思わしき男女達が若干おろおろとしているように見える。
「あぁぁ……もうなんでバラすんだよ黒猫ぉ! こういうのは魔術師だって言わない方がウケが良いもんなんだぜ?」
「うるさいな……お前がこの町に俺が拠点を構えてるって聞いとかないのが悪いんだろうが……」
「聞いたよ! だけど薬学派の魔術師共なんて大抵大金払わせるクズばっかじゃねぇか、ババァとか亀とかハゲとかよぉ! まさかお前だとは思うわけねぇじゃんか!」
「賢者だと言うのにツメが甘すぎるだろう……それよりもお前がちゃんと賢者集会に来ていれば確認できたことだ」
論破でもされたのか、「ぐうぅ」とうめき声を漏らすダイアン。黒猫は溜息をつき、観客席の方へと体を向けた。
「皆さん本当にすまない。こいつら自然魔術派の魔術師は人を楽しませるための魔法、っていうのを信条に魔法を究めることを信条としている連中でな……良い奴らではあるんだが何分楽しませる為なら嘘も平気でつく困った奴らでもあってな……」
「失礼な奴だな」
「本当の事だろう……気分を害した方もいるかもしれないが、こいつらの魔術は凄いぞ。俺が使うような魔法じゃ話にもならないぐらい綺麗だ。私の為に怒ってくれたのはありがとう。だが是非こいつらの演技を見てやってくれ」
黒猫が頭をペコリと下げる。
既に何人かの町の人が帰ろうと席を立っていたが、そんな黒猫の姿を見て少しくらい見てやろうと再び座った。
「おぉ……すまねぇ黒猫。皆様申し訳ございませんでした。我が劇団……というよりも俺の問題としてこの場で謝らせていただきます。ですが俺たちはエンターテイナー、ここで謝って終わらせはしません。俺たちの演技で皆様を感動に包みこんで差し上げましょう……イッツァショータイムッ!」
ダイアンが口上を終える前に黒猫はステージを降りてエルフィオの下へと駆け寄る。院長も後ろの方の開いていた席に座り、そこそこ歳がいってる割には少年のようにわくわくした表情をしていた。
掛け声と共にその場にいた全員を包み込むように団員達によって天幕や壁が黒い巨大な布で作られる。四方八方を塞がれ真っ暗になると、町の人々が思わず不安がり、ざわざわとし始める。
「それでは最初は道化師による玉乗りジャグリングであります!」
暗闇の中でダイアンの威勢の良い声が響くと、ステージの上で二つの松明に火がともった。細身の男が道化師の恰好をし、両手に火の燃え盛る松明を持っているのだ。そんなピエロの前に一個の一メートルはあろうかというボールと階段が運ばれてくると、ピエロは松明を持ちながら階段を上ってボールの上で立ち止まった。
不安定な球体を全然揺らすことなく静止し、階段がボールから離された後からはボールを足で器用に操り、ステージの上をぐるりと回ったり軽くボールの上でジャンプしたりまでする。そのたびに感嘆の声やビックリする声がそこかしこから聞こえるが、その程度では演技は終わらなかった。
ピエロは松明を持つ手を緩めると、わっかにした手の中で松明が地面に向かって落下し始める。つまり火が自分の手に触れるのだ。暗闇の中でも松明の周りは姿が良く見える為、勿論、恐怖する声が観客席から聞こえてくる。何気にエルフィオもであった。
しかし、炎はピエロの手の上で燃え続け、炎が無くなった松明の棒だけが地面に落ちて他の団員に回収された。
ピエロの手の中で炎だけが燃えている。観客のほとんどが度胆を抜かれる。
ピエロはクスクスと道化らしく笑うと両手の炎を中指で潰して半分にわけ、四つの炎を作り出す。そして、四つの火球を用いてジャグリングをした。
暗闇の中で怪しく尾を引いて回転する火球の美しさに観客は新鮮な驚きを感動を覚える。
ふと、そんなピエロの影からバケツを持った女のピエロが現れた。バケツの中には水が入っていて、玉乗りをしているピエロの横でバケツの中に手を突っ込むと手の周りにはぶよぶよと透明な水が纏わりついている。女のピエロは男のピエロと同じように水を四つに分けて球体をつくりだすと、こちらもジャグリングを始めた。
水の球体に炎が映り、さらに幻想的な光景を生み出す。
町の人達もだがエルフィオや黒猫に至ってもその光景に目を奪われていた。
男と女は向かい合うと、それぞれのジャグリングしているものをタイミングよく交換し始め、最終的には二人で八個の球をジャグリングし続ける。その間も男の方が乗っている球体を転がして距離を取ったり接近したりしているため絶え間なく水と炎のコントラストが変化し続けている。
町の人々からは歓声があがり、拍手喝采にすらなっていた。男と女はそれぞれ頷き合うと急にジャグリングをやめ、それぞれ片手に持っていた水の球体と火の球体を勢いよく打ち合わせて大量の水蒸気を生みだした。
水蒸気のカーテンとも呼べるほどステージの状態をたしかめることが一時的にできなくなり、町の人が何が起きるんだと驚愕と楽しみが入り混じった表情で見守る。
水蒸気が止んだころ、ステージの上にはバニー服を着た女性が松明と大きな水の球体を持って現れた。村の若い男達が女性の恰好を見て興奮した声をあげるのを周りの女性達が女性が諌めていると、バニー服の女性が松明を持った右手と水球を持った手でそれぞれ複雑な動きをし、最後に両手を天井に勢いよく上げる。すると、松明の炎と水の球体がそれぞれ空中で不規則に形を変化させ、炎は燃え盛る猛獣に、水は透明な羽が美しい巨大な鳥の姿となった。町の人やまだまだ勉強の足りないエルフィオでは知る由もなかったが、黒猫にはそれぞれライオンとタカという生物を模したものだとわかる。
女性は炎の猛獣と水の鳥を華麗にあやつり、老若男女を魅了した。再び田舎町には滅多にないほどの興奮が沸き起こり、尋常ではない数の拍手の音が鳴り響き続けた。