コーヒーの幽霊
お久しぶりの方はお久しぶりです。にとろんと申します。放置してしまっていた連載ものが腐ってしまう前に執筆リハビリを兼ねて短編を投稿です。幽霊と題名にありますがホラー要素はないのでご安心を。
なお、あとがきにガッツリネタバレを含む解説があるので先にあとがき読む派の方は気をつけてください。
それでは、どうぞ。
長らく世話になった会社を定年退職して、私は趣味だったコーヒーとクラシックの知識を活かして小さなカフェを営むことにした。妻も賛成してくれて、「これまでずっと誰かのために頑張ってきたんだから、あなたの好きなことをしても何もバチなんて当たらないわよ。」なんて言ってくれた。少し寂れた商店街の本屋の2階の空きスペースにお気に入りのコーヒーセットやコンポを持ち込んで、私の小さな老後生活は静かに始まった。
特に何か珍しいものがあるというわけでもなかったし、あまり目立つ店じゃなかったから客なんて私か妻の知り合いがほとんどだったが、それでも好きなものに囲まれて過ごす時間は心地よいものだった。
開店から数ヵ月経った頃、私の店に一人の常連客ができていた。濃い紺色のセーラー服に朱色のリボン、肩に届かないくらいで黒髪を切り揃えた女の子。制服からして近所の中学校の子だろう。美少女というわけではないが整った顔立ちで、どことなく若い頃の妻に似ていて初めて会った気がしなかった。ここ数日彼女は決まってカウンター席に座ると「おじさん、コーヒーひとつ。」と言って一杯のブラックコーヒーをゆっくり時間をかけながら飲んで帰るのだ。私はこんな若い子が私のコーヒーを気に入ってくれたのが嬉しくて毎日この短い注文を聞くのが楽しみになっていた。
「ねえ、おじさん。」
ある日、そんな彼女がいつも通りコーヒーを飲んでいる途中に声をかけてきた。もともと友人でもない限り客との会話はしてこなかったが私も彼女のことは気になっていたし会話に応じることにした。
「なんだい。」
「私が幽霊だって言ったらびっくりする?」
「ははは、幽霊か。それはびっくりだなあ。」
「む、信じてないな。まあ、当たり前かあ。」
突然幽霊だなんて、勝手に静かな子だと思っていたが意外とおちゃめなのかもしれない。
「私ね、何十年もずっとこの辺りをさまよっていたの。でも、ある日このお店を見つけて、それでここのコーヒーを飲んでお店を出ると気がついたら次の日の近くの交差点に立ってるのよ。」
「へえ、不思議なこともあるもんだねえ。」
「うん、すごく不思議。それでね、もしかしたら私成仏できるかもしれないって思って…毎日ここに通ってるの。」
「キミはお話を思いつくのが得意なんだね。」
「嘘じゃないんだけど…。どうしたら信じてもらえるのかな。」
「うーん、私に霊感でもあればキミが幽霊だってわかるのかもしれないけれどそういうのはさっぱりだし、それに成仏できるかもって幽霊なんだったら自分のこの世への未練だとか分かっているんじゃないのかい?」
「そうだったら楽だったんだけどね。私がなんでこんな風に幽霊になっちゃったのか何がしたくてこの世に留まっているのかどうしても思い出せないんだ。」
「この世にずっといられるんだったらいいんじゃないかい?」
「違うんだよ、生きている人と違ってね、幽霊って成仏するために存在してるんだ。他のどんなことよりもその何かを達成するために、ひたすらまっすぐに。この世にずっといたいだなんてそれは生きているからこそ思えることだよ、おじさん。」
彼女は少し寂しそうな顔をしてそう言った。その真剣な瞳を見ていると本当なのかもしれないと思ってしまう。だが、幽霊だなんて今まで見たことがないし、私のコーヒーだってこだわっているつもりだが普通のコーヒーだ。
「あ、飲み終わっちゃった。ごちそうさまでした。それじゃ、おじさんまたね。」
私が考えていると彼女はコーヒー代をカウンターに置いて店から出ていった。
「えっ、ちょっと…。」
まだ話の途中だったのに、やっぱり冗談だったんだろうか。他に客もいたので追いかけるわけにもいかず、結局その日はモヤモヤしたまま帰路についた。
「ただいま。」
「おかえりなさい、あなた。」
家に帰ると妻といつものやり取りをして着古した部屋着に着替える。リビングに戻ると食事の準備がされていた。二人で過ごすには少し広い家だ。
「前に話した新しい常連の女の子がいるだろう?」
「ええ、たしか若い頃の私に似てるんでしたっけ。」
席に座りながら今日あった話をする。妻には既に彼女の話をしていて、それを覚えてくれていたのですぐに本題に移る。
「その子がな、今日も来たんだけど自分のことを幽霊だって言ったんだ。」
「へえ、幽霊ですか。」
「うん、私も嘘かなと思ったんだけど話した後の寂しそうな表情がどうも気になってね…。」
妻から茶碗を受け取りながら彼女との会話を説明した。私の話を聞き終えた妻は楽しそうに答える。
「ふふ、コーヒーの幽霊だなんて、可愛いらしいじゃありませんか。」
「コーヒーの幽霊ねえ…。」
「何も難しく考えなくとも悪さをするわけじゃないんですし、あなただって幽霊ちゃんが嫌なわけじゃあないんでしょう?」
「たしかに悪さはされたことないなあ。」
「それに、話を聞く限り幽霊じゃないって証拠もないんですから本当にそうなのかもしれませんよ。」
「…そうだな。キミに話して良かった。『またね。』と言っていたし今度来たときに聞いてみることにするよ。」
「どういたしまして。さあ、今夜はかぼちゃが上手に煮えたんです、食べてくださいな。」
自信作のかぼちゃは確かに美味しくて、本当に妻と結婚して良かったなと改めて思う。今まで何度もくじけてしまいそうになったときにも助けられたかわからない。
気分も落ち着き、食後にコーヒーを二杯淹れる。私と妻で一杯ずつ、二人とも何も入れずブラックのまま飲む。結婚してから朝食と夕食の後の日課だ。幽霊によってもたらされた非日常はコーヒーでゆっくりと薄まっていった。
次の日、やはり彼女はいつものように
「おじさん、コーヒーひとつ。」
と言って
「昨日は突然帰ってごめんなさい。」
と付け加えた。いいんだよ。なんて言いながらコーヒーを出す。一口だけコクンと飲んで彼女は話始める。
「ええと、何て説明したら良いのか…。私ね、おじさんのコーヒーを飲んだらすぐに出かけないといけない気分になるの。本当は昨日だってもう少しお話したかったんだけど、なんでかな。」
昨日は不思議に思ったが、普通に考えれば彼女にだって門限や予定があるだろう。
「キミがウチのコーヒーを飲むと不思議なことばかりだねえ。それとも幽霊だとそうなるのかな。」
「おじさん私が幽霊だって信じてくれたんだ。」
「完全に信じたわけじゃないけど違うって根拠もないしね。」
「ふふ、嬉しいかも。幽霊だって誰かに信じてもらえたのおじさんで二人目だよ。」
「おや、一人目じゃないのか。」
「うん、おじさんの前におばさんに会ったんだ。」
「そうか、霊感のある人だったのかな。」
「わかんない。それよりおじさん、私考えてみたんだけどやっぱりコーヒーに秘密があるんじゃないかなって。それでね、私にコーヒーの淹れ方を教えて欲しいんだ、何か分かるかもしれないから。」
「いいよ。私もコーヒーが好きだからこの機会にコーヒーに興味がある人が増えてくれるのは嬉しいからね。」
「やった。それじゃあ、お願いします。」
彼女は嬉しそうにカウンターに少し乗り出す。私も嬉しくなってゆっくりコーヒーのいろはを教えていった。毎日少しずつ…その時間はとても楽しくて、自分の趣味の話を興味津々に聞いてくれる相手は私の心と口を弾ませた。彼女がコーヒーを飲み終えてしまって帰ってしまうのが惜しかったが彼女にだって予定があるのかもしれないし止めることはできなかった。
そんな日が続いたある日、いつものように話していると私の左手を見た彼女が質問してきた。
「あ、おじさん結婚してるんだ。」
「ん、まあね。」
「へー、一人でお店やってるからしてないのかと思ってたよ。」
「ああ、妻は『私はあなたが淹れてくれるのを飲むのが好きなの。それに、コーヒーのことはあなたが自分で全部やりたいんでしょう?』なんて言ってさ。」
「おお~ラブラブじゃん。」
「おいおい、からかわないでおくれよ。本当私にはもったいないくらい良い妻だよ。」
「いいなー。それじゃあお子さんは?」
「…えっと、いる、いや、いた。が正しいのかな…。」
「あ…ごめん、そうだ!コーヒーの続き教えてよ!」
「…。よし、ここは少し難しいからゆっくりやるぞー。」
「はーい。」
子供。私の子供は何十年も前に交通事故で亡くなった。登校中に居眠り運転の車に追突されたそうだ。運転手もその後電柱に激突して即死。今はもう大丈夫だが当時は妻にだいぶ迷惑をかけてしまった。
その後彼女とお互いに気を使って明るく振る舞ったが、その日のコーヒーは少しだけいつもより苦かった。
しばらくして、彼女も一人で一からコーヒーを淹れることができるようになった。練習の甲斐があってかなかなか美味しい出来である。
「うーん…コーヒーじゃなかったのかなあ。」
しかしながら彼女が納得する成仏の理由は見つからなかったようだ。
「まあそう焦らなくともいいさ。この店を今日明日突然閉める予定はないしゆっくり探せばいいよ。」
「うん、ありがとうおじさん。ごちそうさまでした!またね!」
そう言うと彼女は店を後にした。
…しまった。明日は臨時休業だと伝え忘れてしまった。まあ開いてなければ彼女も帰るだろう。申し訳ないけど日をずらすわけにもいかない。明日は娘の命日なので墓参りに行く予定だ。
翌朝、私は家で探し物をしていた。
「あなたー、見つかったかしら。」
「いや、ごめん。もしかすると店に忘れたかもしれないなあ。探してきてもいいかい?」
「あら、まあ一度お店に寄って帰ってきても全然間に合うでしょうし大丈夫よ。」
探しているのは免許証などを入れた手帳大のカード入れで、墓地へは車で行くので必要なのだがどこにやってしまったかな。
妻にもう一度謝って店に急ぐ。昨日は他にどこにも行っていないから落としたとすれば店かそこまでの道中か。階下の本屋の主人に聞いたが見ていないと言われ、店の中を見に行く。慣れた階段を上がり、店のドアの前に行くと、
彼女が立っていた。
「あ、おじさんちょうどいいところに。今日お休みなら言っといてよー。」
「ああ、ごめんね。今日はどうしても予定があって。」
「そっかー、それでどうしたの?」
「実は落とし物をしちゃってね…手帳くらいの大きさで黒色のカード入れなんだけど見てないかな。」
「もしかして、これ?」
彼女は学生鞄から私が探していたカード入れを取り出す。
「おお、それだよ。拾ってくれてありがとう。」
「どういたしまして。ちょうどお店の入り口で見つけてお客さんのかもしれないから今度おじさんに渡そうかと思ってたんだ。」
彼女がカード入れを私に渡そうとしたとき、一枚の写真がヒラヒラと落ちる。
「あ、ごめんなさい。」
ゆっくりと宙を漂い落ちた写真には
若い頃の私と妻
その間に
彼女
「えっ。」
その写真を見た瞬間彼女の手から学生鞄が滑り落ちる。
「うわあ…私成仏する方法わかっちゃった。」
驚いたような笑ったような不思議な顔をした彼女…私の娘はゆっくり私を抱きしめる。
「ダメだ…やめてくれ…また私の前からいなくならないでくれっ…。」
声が震える。最初から気がついていた。忘れるはずがなかった。
「ううん…私言わなきゃ。そのために幽霊になったんだもん。」
違うと信じたかった。幽霊だなんて、また消えてしまうだなんて。
「コーヒーのこと、教えてくれてありがとう。」
どうにか理由をつけて、必死に違う証拠を探していた。
「私は幸せだったから、大丈夫だよ。」
涙が止まらない。だんだんと娘の体の感覚が消えていく。
「パパ…」
「ただいま。」
魔法瓶からコーヒーを3つのカップに注ぎ、1つを妻に渡し、もう1つを墓前に置く。コーヒーはいつもの味がした。
お疲れ様でした。これよりあとがきですが前書きにも書いた通りネタバレを含みますのでできれば先に本編を読んでいただきたいです。
では、まず始めに作中の幽霊の変な行動の数々に関してです。幽霊ちゃんはお父さんのコーヒーを毎朝飲んでから登校していたわけですが、生前の行動に縛られる幽霊としては事故の直前の、それも習慣になっていたコーヒーの味は強い影響があるものでした。自然と体は事故現場へ向かい、気がつけば事故の時刻(幽霊になった時間)の現場にいたというわけです。コーヒーをブラックで飲んでいたのは両親がブラックで飲むのが羨ましくて小さい頃から真似していたんです。可愛いですね。作者もコーヒーはブラックが好きです。そしてもうひとつ、幽霊ちゃんがお父さんの前に幽霊だと認めてもらった相手は妻、主人公の奥さんです。奥さんは自分のことを幽霊だという幽霊ちゃんを見て本当だとすぐわかります(主人公は別れが怖くて否定しようとしていましたが)そして幽霊ちゃんにコーヒー代を渡し、主人公のカフェを紹介します。幽霊ちゃんが成仏できるように仕向けたわけですね。幽霊ちゃんがちゃんとコーヒー代を払えていたのはこのためです。主人公には少し厳しい選択かなあとも思いますがまあ過去を引きずるよりは良い結果になったのかなあと。
というわけで解説もどきは以上です。久しぶりに書いたので色々読みにくかったところも多かったかなと思いますがリハビリということでご容赦ください(キャラの名前とか謎設定とか…)
それでは、頑張って連載の続編を書いていこうかなあと思います。
また見かけたときにはよろしければお付き合いください。
ではでは~。