選択
足手纏いになるなと言われても、私に一体何が出来るというのだろうか。
自分の家があった場所をぼんやりと見つめる。予想通り全て焼けてしまっている、黒く焦げた木の残骸。
石造りの壁からかろうじで家の名残を感じられる、それも所々崩れてはいるが。父さんと母さん、この崩れた屋根の下なのかな。出来ればきちんと埋葬してあげたい。
「何をぼんやりしている」
「……両親のお墓を作ってあげたいと思っていました」
こうやって直接見て、改めて自分の状況を再確認させられる。麻痺していた胸の痛みを再び感じ始める。
「私以外、弔ってくれる人なんていませんから」
父と母と私。私たち家族は人の集落から隔絶されていた。だからこうして家は燃え尽きるまで放置されていたし、あの夜だって誰も助けには来てくれなかった……いや、助けには来てくれたんだ、魔族の彼が。
「人間というのは魔族と違い、群れて集落を作り生きているものだと思ったのだがな」
「ご主人様の調べた中には無かったんですね。私達は"聖贄"だったんです」
「……なるほどな」
聖贄は遥か昔に神に選ばれたとされる一族。それらは教会に生活を保証される代わりに他者との交流を禁じられている者達。教会から家を貰い、食糧を貰い、伴侶を貰い、剣を貰ったその時は喜んでその身に突き立てなければならない。選ばれたなんて言われているけど然程珍しい訳でもないのだ。ご主人様が調べたこの森の人間登録情報と言う奴には表記がなかったのも仕方が無い。
「もしかしたら、お前たちの"穢れのない匂い"とやらをあの犬は嗅ぎとったのかもしれんな」
俺には違いなど分からんが、そう付け加えてご主人様は私の肩から離れた。そして近くの、少し焼けてしまった木にとまる。
「どちらにせよ、少数の集まりでしか無い貴様らは恰好の獲物だったという訳だ。どうやら悪魔の存在にも疎かった様だしな」
「なんで悪魔は人を襲うんですか」
「殺して喰らう、殺す事自体に快楽を見出す、多種多様だ。あれらに理性など無いに等しいのだから理由を突き詰めるだけ無駄だがな」
「……」
理由なんて無い、そんなきまぐれな感情で私の人生は踏みにじられたんだ。やっぱりあの夜に見た黒い人狼は恐ろしかったし、二度と会いたくないと今でも思う。でも、憎い敵なのも事実で……もし私に力さえあれば、と思うのも正直な気持ちだった。
「さてシンディ、ここで選択肢をやろう」
「……」
「ここには黒犬の痕跡がある、俺が場所を突き止めるのは容易だ……どうする?」
「……」
「土の下で家族仲良く川の字で眠るのを選ぶのならそれもいい。俺と共に仇に一矢報いる気があるか?答えろ」
「私は」
「貴様が選んでいいぞ、シンディ=バウムガルデン」
力さえあればと思った。今の私にその力があるのだろうか?
あるのならば、私は
「連れていってください」
そう口にした瞬間、私は生まれて初めて明確な殺意というものを抱いた。
「それでこそ血を分けた甲斐があったというものだ」
再びご主人様が私の肩にとまる。そして私の耳元で何やら呪文のような、上手く聞き取れないような言葉を呟いた。
「!」
途端、私の足元から青白い光の筋が発して森の奥へと蛇行しながら伸びていった。ご主人様が詠唱を止めてもそれは消えること無く、薄暗い森を地面から淡く不気味に照らす。
「これが黒犬の痕跡、要は足跡だ」
「足跡……」
「これを辿れば黒犬が居るが……この光は奴の足元まで伸びている」
当然、相手も気付いて警戒しているだろう。そうご主人様は言った。なぜか少し楽しそうに。
「不意打ちは難しい。真正面から殴る気でいろ」
「……いろっ、て」
はんば呆然と説明を聞いていた私はその言葉に数テンポ遅れて反応した。まるで私が殴るみたいに聞こえる、ご主人様の楽しそうな声色は観戦者のそれに見えて、寧ろそうとしか聞こえない。
「俺は貴様が選べと言ったぞ。そして貴様は選択した」
「……」
目眩がする。
確かに私は黒犬と呼ばれる悪魔に殺意を抱いた。一矢報いる事を選択もした。しかし直接対決をする事までは考えていなかったのだ。ご主人様に同行して、仕事の一部始終を見守るか良くて補助するか位にしか考えていなかった。
「わ、私が全部やるんですか!?」
気が動転して声が上擦る。右肩の鴉を懇願するように見つめる。
「そうだお前が浄化しろ。つまりは殺せ」
そうきっぱりと返されてしまう。楽しそうではあるが冗談には聞こえなかった。
「言っただろう?お前が使えるか試すと」
僅かな光を浴びて闇に浮かぶセジの森は故郷の筈なのに見慣れない場所に思えた。こうやって夜の森に足を踏み入れることなんて一生無いと思っていたのに。
「ご主人様……」
なるべくゆっくりと、辺りを伺うように光の道を辿る。出来れば永遠に辿り着いて欲しくはないが。
「なんだ」
肩の鴉は少し間を置いて、少し面倒臭そうに返事を返した。
「私、あの夜まで魔族なんて見た事もなかったんですよ」
「だろうな、この辺りは俺以外の魔族は居なかった。そして俺は近所付き合いをする趣味はない」
森は相変わらず暗く、古代語で光を意味するらしい名前とは裏腹の顔を見せている。獣の気配は今のところ感じられない。
「だから浄化なんて言われても、どうすればいいのか分からないです」
不安に思っていることを口にする。もっと早く言うべき事だった筈だ。流されてしまうのは私の悪い所だと思う。
「それはそうだろう」
「……」
あっさりと肯定され歩みが止まる。肩の主人を見やれば視線は森の先を見ているようだった。
「大抵の人間は方法など知らんだろう。教会兵や俺の様な専門家でなければ」
「だ、だったら!」
思わず大きな声を出してしまい慌てて声を潜める。こちらが不意打ちされては元も子もない。
「……知識もない私にどうしろと仰るのですか」
この魔族は私になんの助言もしてくれない。ただ黒犬を浄化しろと言うのみで、知識もなければ抗う力もないのは助けてくれたご主人様が一番分かっている筈なのに。
「不安か?」
「当たり前です」
「怖いか?」
「だから、当たり前です」
当然の質問……というよりは煽りに聞こえる。返す言葉に隠し切れない苛立ちを含んでしまう。
「それは、貴様に自覚がないからだ」
「……えっ?」
こちらの態度を咎めると思ったが、思ったより静かな返しに苛立ちが萎む。
どういう意味ですか、そう口に出そうとした。
「わざわざ迎えに来てくれたようだ」
しかしそれは遮られる。ご主人様の言葉に戦慄して、彼の視線の先を追う。
黒く大きな人狼が佇んでいた。唸ることもせず、唯静かに。