魔族
魔族。それは人とは異なる異形の姿が特徴の種族。個々の姿は違えど種族間には共通する思考を持っているという。
"人間を良く思っていない"
それ故に人と魔族は長い間―昔読んだ教会の歴史書によればその二種族がこの世界に誕生したその日から―友好的な関係を築いた事は無いのだと言われている。魔族、所謂悪魔は人を襲う人類の敵と言ってもいい相手。現に私の両親は悪魔に殺されてしまったのだ。それが、なんで。
「私が……ま、ぞく?」
目の前の鴉は確かにそう言った。私シンディ=バウムガルデンは魔族に生まれ変わったと。
「そうだ小娘当然だ。あの傷で人として生きられると思ったか?」
そう言って鴉はからからと笑う。笑い事ではないのに。私は改めて自分の腹部に視線を落とし衣服を捲る。そこにある筈の"見るも無残な傷痕"は、全くと言っていいほど見当たらなかった。あの時確かに死傷を受けていた筈の私の身体は今、完全な健康体だった。何故?
"魔族に生まれ変わった気分はどうだ?"
本当に?
「私は……人ではなくなってしまった……」
声が震えた。また泣きそうになった。恨む対象の筈のものに私がなってしまったというのだろうか。
「そうだ、貴様は誇り高き魔族の端くれにその名を連ねたのだ。俺との契約によりな」
「……契約?」
流暢に喋るこの鴉が、あの時私の目の前に降り立った影だとしたら……私に生きたいかと問い掛けてきたあの意味はこの鴉の言う"契約"の事だったのか。私はあの時確かに強く生きたいと思った。何よりも強く……両親の死を悲しむ事も忘れて。迫り来る死から逃れたいと、何者かも分からない声に答えたのだ。
「貴様の身体にはその証がある筈だ、我が従僕となったその証が」
自分の身体に視線を巡らせる。それはすぐに見つかった。左の手の甲にそれはあった。痣にしては人工的な何かの紋様の様なものが、まるで元からそこにあったかの如く浮かび上がるように赤く刻まれていた。
「これが、証?」
「そうだ"そこ"からこの俺の血を分け与えてやったのだ。貴様はそのお陰で魔族に生まれ変わり、生き長らえる事が叶ったのだ」
「……」
つまり、この鴉もやはり悪魔なのか。仇である筈の悪魔の仲間がこの小さな鴉で、私に馴れ馴れしく語りかけているのか。……それは一応理解出来た、したくはなかったけれど。しかしそれよりもさっきこの鴉は何か変な事を言っていなかったか。
「じゅう、ぼく……って」
「なんだ、そんな事すら理解出来ないのか」
鴉は本当に呆れたようなわざとらしい声色でカァと鳴いた。
「私の血を分けたのだから貴様は私の管轄下、私の従僕、私の使い魔に決まっているだろう」
頭が本当に頭が割れそうだった。
「貴様の事は既に調べてあるぞ。セジの森に登録されている人間共に名を連ねていた、ごく一般家庭のごく一般的な人間の間に生まれたごく一般的な純血の人間。年は十六の餓鬼」
「……」
「つまらんな。ついでに全く使えそうにない」
(だったらなんで助けたりしたんだろう)
「聞いているのか?小娘」
相も変わらず目の前の鴉は流暢に言葉を紡ぎ、私を小馬鹿にしたような態度を取る。当然なのかもしれない、彼にとって私は自分よりも下級の悪魔……使い魔なのだから。
(悪魔、か)
そう改めて自分が人ではなくなってしまった事を実感する。頭の何処かではまだ信じられない、信じたくないと主張している私もいるが、目の前の鴉の様な悪魔と自身の左手の甲がこれでもかと"現実"を私に突き付ける。
「おい」
突然低く空恐ろしい声に思考を遮られ反射的に顔を上げる。藍色の鴉は鋭い嘴を私の鼻先に突きつけてきた。
「小娘、貴様下僕の分際で俺の話を聞いていない様だが……屍に戻して欲しいのなら俺は一向に構わんぞ?」
「あ、い、いえ……すみません」
何故か敬語で返答してしまう自分の気弱さが自分で嫌になる。鳥に頭を下げる私のなんと滑稽なことか。
「まぁいい……貴様はまだ魔族になって間もない、一度は許そう」
「はぁ」
「いいか小娘、従僕である貴様にとって主人の俺の言葉は絶対だ。それはもう頭に入ったはずだ、次はないと思え」
「は、はい……あの」
「何だ」
何だか流れに逆らえる気が、反抗心というものが殆ど無くなっていた。私はこれからこの鴉に扱き使われる人生を歩んでいくのかもしれないと、何故か人事のように受け入れそうになっている自分がいた。どうせ帰る場所も無いのだ。自暴自棄の状態なのかもしれない。
今、現状はこの鴉に付き従うのが一番な気がしてきていた。
「小娘ではなく、シンディです」
「ああそうか、そうだったな。ではそう呼んでやる」
「はい」
だからとりあえずは、私が悪魔になった事も鴉の下僕になった事も納得した……したと自分に言い聞かせる様務める事にした。かなり無理矢理に。
「おい、主人を前に顔を逸らすな、無礼だぞ。こちらを見て受け答えろ」
そうしなければ現在半泣きで情けない顔をしているであろう自分は心が折れてしまうだろうから。