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 ◆◆◆◇◇◇◇


 


 リヒトの母の心づくしの見舞いの品は無事に祖母のもとに届けられた。

 しかし、リヒトが帰らない。

 リヒトの捜索が行われた。

 しかし、リヒトの行方は杳として知れない。 

 日々が無為に過ぎるうちに、村人たちに諦めの色が現われ始めた。

 声に出しては言わないが、リヒトは森で迷って死んだのだろう――――――と、そう思っているのが見え隠れするのだ。

 諦めきれないのはリヒトの両親と祖母、それに幼馴染みのカールだけだった。

 しかし、カールには町での仕事がある。いつまでもリヒトの捜索に関わっていられない。そうして、後ろ髪を引かれる気分はたっぷりとありながらも、町に戻っていったのだ。



 ◆◆◆◆◇◇


 


「あのな、ディートマル」

 テーブルについたリヒトは、テーブルを隔てて正面の位置に座っているディートマルに呼びかけた。

 きらきらとシャンデリアの灯を弾く銀食器と玻璃のグラス。

 真っ白なテーブルクロスの上に、これでもかというほど豪華なフルコースが並んでいる。

 気のせいではなく、美味しそうな湯気が「食べてくれ」と主張している。

 いつもならその主張に真っ先に飛びつくリヒトだったが、居心地が悪くて食べる気にならないのだ。

「なんです」

「これ、あんたの趣味なのか」

 ビラビラしたレースの襟飾り。

 袖口まわりにも、同じ趣向の蜘蛛の糸で編んだようなレースがついている。

 そう、リヒトは、まだ、女装のままなのだ。

 しかも、レベルアップバージョン。

 赤ずきんが飾りといえば飾りの、シンプルとはいかなくてもかろうじて許せるだろう範囲の民族衣装が、レースにフリルにリボンがこれでもかとつけられたクリーム色のドレスになったのだ。

 絹の海におぼれるような、壮絶な布の質量。それに、貴金属類。

 指輪くらいなら、まぁ許容しよう。しかし、腕輪に首飾に耳飾。胸元のブローチに、結ってもいない髪に挿されたダイヤのピン。

 おまけに化粧ときたひには、リヒトは乾いた笑いをこぼすよりなかった。

 ピンクの口紅、アイシャドウ、チーク。わけのわからない化粧品のビンや用具が、ドレスや装飾品と同じくひとりでに飛び上がり、逃げるリヒトを追いかけて、最終的にマニキュアまでもほどこしたのだ。

 もちろん、自分の姿が怖くて、鏡なんか見てはいない。

 細く華奢なヒールの靴は、足の甲にストラップを渡して留めるようになっていた。

 足を捻りそうな踵の高さ。一歩を踏み出すのがこわくて、それでも恐る恐るどうにか階段までたどりついた。そうして、次は階段をどうやって下りようかと、マジで悩んでいるリヒトだった。

 ドレスの裾を踏みそうだし、踏んでしまったら、高い階段を転がり落ちそうで。

 靴を脱いでしまえばよさそうなものだが、靴のストラップに手が届かない。なぜならコルセットをつけられていて、動きも自由にならないのだ。

(これって、拷問だよ~)

 靴が脱げないなんて理由で死にたくなんかない。

 それでうなっていたリヒトに背後から声をかけたのが、ディートマルだった。

『これはこれは』

 その感想をどう受け止めればいいのか、リヒトはしばらく考えた。

 この格好をさせたのはどうせディートマルなのだ。気色悪くても我慢すべきだ。

 このときは開き直ったリヒトなのだったが………。

 すぐに後悔した。

『うわっ』

 ディートマルに横抱きにされたのだ。

『なっなっ…た、ディートマル』

 なさけなく上擦った声。

「お、おろしてくれ」

『だから、おろしてあげるのでしょう?』

(こ、こいつ性格、悪い………)

「下ろしての意味が違う」

『どうちがうのです? 階段を下りられない君を助けるためには、こうするしかないでしょう』

『な、なにもこんな抱き方をしなくても……』

『ああ、これですか。いいじゃないですか別に。どちらにしても重いめをするのはわたしなのですから、抱き方くらい好きなようにさせてくれてもかまわないでしょう』

 なんというか、変な理屈をこねるディートマルに、リヒトはどう答えればいいのか混乱したのだった。

 そうして、今だ。

「女装は、君の趣味でしょう」

 ディートマルはワインの入ったグラスを一旦テーブルの上に戻して、そう返した。

「ち、ちがうっ」

 ふるると震えるリヒトに、

「冗談ですよ。ただ、ここには女もののドレスはあっても、男ものはわたしのしかありませんから」

「そうなのか? なら、おまえのを貸してくれ」

 がたんと椅子から立ち上がり詰め寄るリヒトに、

「サイズが合わないと思いますが、試してみますか?」

「う~」

 力はディートマルには適わない。それは、さきほど体験済みだ。身長もディートマルのが高い。しかし、自分のほうが横に大きいような気がする。

(気のせい…じゃ、ないよな)

(どーせ………) 

 むくれてしまうリヒトを、

「そうむくれないで。そのうち、君のサイズにあった男物の服を用意しますから、それまで我慢してください」

「……そのうちって、いつだよ」

「…さぁ、それは………。まぁ、ここにいるかぎり、君のその姿を見るのはわたしだけですから。今更恥ずかしいこともないでしょう。我慢してください」

(いまだって、じゅーぶん恥ずかしいわっ)

 怒りを食欲に転換させて、皿を取り上げるリヒトだった。

 自分とディートマルしかいないはずの広大な城。

 しかし、食事はもとより家事一切は、自分が知らない間に終わっている。

 美味い食事に文句はないが、気にならないといえば、嘘になる。

 ディートマルに遊ばれるのはイヤだったが、相手になるのはディートマルしかいない。

 うんざりするほど膨大な蔵書。だからといって独りで静かに本を読んだりする趣味はないから、宝の持ち腐れである。 あまりにすることがなくて、暇で暇でたまらなくて、結局ディートマルを探して遊んでもらうことになる。

 ディートマルの性格が悪いのは最初の日に知ったが、決してそればかりでないこともわかってきたリヒトだった。

 薔薇の手入れはディートマルの趣味らしく、一日も欠かさない。

 約束どおり男物の、リヒトにぴったりと合うサイズの服ができてきた。

 目が覚めれば、枕元にあったのだ。

 そうして、動きやすくなったリヒトもディートマルの薔薇の手入れを手伝うようになっていた。



 日々が過ぎてゆく。

 少しずつ少しずつ、リヒトはディートマルにうちとけた。

 もともとが、さして他人を嫌わない性格である。

 そうして気に入ってしまえば、一方的にでも友達と決めてかかる。

 それは、リヒトの憎めない一面でもあった。



 ふと気がつけば、二週間近くが流れていた。

(みんな心配してるよな)

 豪華な広い寝室。

 天蓋つきのベッド。

 リヒトが五人はゆうに眠れるだろう。

 あっちにコロンこっちにコロン。

 眠れない。

(オレがいないあいだに家が火事になったり、ドロボウに入られたり、おやじやおふくろやばーちゃんが病気になったり死んだり………)

 不安ばかりがふくらんでくる。

(あいつらも元気だろーか)

 拾って育てた犬や猫。

 ちょっとばかり苦手な、幼馴染み。

(あ、そうだ)

 ぽんと手を打つ。

「確かこの辺に………」

 ベッドから下りたリヒトは、何かを探し始めた。

 以前ディートマルがくれた、銀の鏡。

 細工はみごとだが鏡を見て喜ぶなどという趣味はないので返そうとした自分に、ディートマルが言ったことば。

『ご両親に会いたくなれば、これを覗きなさい。君が望むものを見せてくれますよ』

「あ、あった」

 木製のチェストの中に放りこんで、そのままわすれていた。

 ディートマルのことばを疑ったわけではない。

 ただ、何故だかためらわれたのだ。

 見て、家族が普通どおりの生活をしていたら―――そんな不安があったのかもしれない。

 考えてみれば、そんなことなどありえないのだが。

 引っ張り出した鏡の鏡面に息を吹きかけ、袖で拭う。

「みんながどうしているか、知りたいんだ」

 呟く。と、リヒトのことばを待っていたかのように、刹那の間もおかず、鏡面から光が迸った。

 リヒトは硬直してそれを見つめている。

 やがて、様々な光の乱舞はおさまり、なめらかな凪いだ湖のような銀色の中に現われた映像。

「おやじっ、おふくろ、ばーちゃんっ」

 まるでそこにいるかのような、三人。

 彼らの足元にいる犬や猫。

 泣いている母親を、父と祖母が慰めているのだろう。

 みんなが、自分のことを心配しているのだ。

 目が、喉が、鼻の奥が、熱くなる。

(やべっ)

 思った時には遅かった。

 リヒトは、枕に突っ伏し、声をころして泣いた。



朝食の時間だった。

「リヒトくん、どうしました?」

 ディートマルが顔を覗き込んでくる。

「なんにも」

 淋しい、家族に会いたいなんて、恥ずかしくて言えない。

 どんな顔をして言えばいいのだろう。

 わからない。

 あれから毎晩、リヒトは鏡を覗き込んでいる。

 そうして、切ないまでの恋しさに、声をころして泣いてしまうのだった。

「熱でもあるんですか」

(げっ)

 額に、ディートマルの先細りの優雅な手が当てられる。

 思わず身を退こうとするリヒトだった。



 ◆


 


 薔薇の手入れも終わり、泉水のほとりに腰かけて、リヒトはぼんやりとしていた。

(いい天気だよな)

 木の間ごしの琥珀色の陽射しが、地面に琥珀色の模様を描く。

 そこここをリスや野鼠トカゲなど、色々な生きものが駆け回っている。

 寝不足もあって、あくびばかりが出てしまう。

 そのたびに、彼らはビクンと怯える。

 それでもこの庭から逃げ去ってしまわないのだが。

 彼らにとっては、ディートマルよりも自分のほうが恐ろしい存在らしい。

(性格は悪いけど、やさしいとこあるもんな………)

 あの獣の顔だとて、馴れてしまえばなんということもない。

 友人とすれば、上等の部類に入るだろう。

 そんなことをなんとなく考えているうちに、いつのまにか居眠りをしていたらしい。

 何が、自分を起こしたのか、わからなかった。

 ただ、突然、心地好いまどろみから引きずり出された。

 その理由がなになのか、ぼんやりと霞みがかったような頭で懸命に捉えようとする。

 目の前にある、欝金色の闇。

 この色には記憶があった。

(え…と、…………たしか)

 はっと、なった。

 がばっと立ち上がりかけて、膝が砕ける。

『だいじょうぶですか』

 ディートマルのいつもと変わらない声。

 それが、リヒトの感情を昂ぶらせた。

『ばっ、なんで、だいじょーぶなんだよっ! あ、あんなことしといてっ』

『そうですか? 別段変なことではないでしょう。わたしは、君を愛していますよ』

 何気ないふうに告げられた。

 ディートマルの思いもよらないことばに、リヒトは刹那硬直し、真っ赤になる。

 欝金のまなざし。

『そーゆーんじゃないだろっ。オ、レ、はっ、男なんだっ!!! 男どーしでキスしてどーすんだよっ』

 息があがる。

『愛している相手にキスをしたい、抱きしめたい、それ以上をしたい。自然なことだと思いますが』

 きっと血圧が上昇しているにちがいない。

『男どーしでどこが自然なんだよっ』

 息があがる。

『わたしは、別段気にしませんけど』

『オ、オレが気にすんだよ』

『そうですか?』

『そうだよっ!』

 しかたありませんね、君の気が変わるのを待ちましょうか。などと呟いてディートマルが城に引き返してゆく。

 その背中に向かって、

『ぜったい変わんないからなっ』

と、リヒトは叫んだ。

 それが、昨日のことである。

 リヒトが思わず身を退いたとして、しかたがないと言えるだろう。

 どくどくとリヒトの心臓が鳴る。

 自然顔が熱くなるが、

「熱はありませんね」

 発熱にはいたらなかったのだろう。

「だから、なんでもないんだって」

 払いのけようとして、手をつかまれた。

「なんでもないはずがありませんよ」

「なんでだよ」

 睨むリヒトのまなざし。

 目元が赤い。

「どうしてって、見てごらんなさい」

 リヒトの背後をディートマルが示す。

「?」

 振り向くリヒトに、

「以前の君ならこれくらいペろっと平らげていましたよ」

 食器の上ですっかり冷めてしまった食事。

「あ…」

(もったいない……)

 罪悪感。

 思ったものの後の祭り。

 胸がふさがっていて、これ以上食べられそうにもない。

「まるで餓えた獣のようにみごとな食欲でしたのにね」

「ご、ごめん」

 しゅんとしおたれたリヒトに、

「何も怒っているわけではありませんよ。心配しているだけです」

 少ししゃがんで覗き込んでくるのは、欝金のまなざし。

 とろりと溶けた、黄金色。

 いつもの皮肉っぽさがなりをひそめ、真摯なまでの光を宿している。

 そんなふうに感じた。

「…………」

「何が君をそんなふうにしたんです? 喋ってごらんなさい」

 静かなトーンの声。

 それは、リヒトの心を動かした。

「…そ、の……なん、だ、ホーム・シックってやつ?!」

 自分で言っていて、気恥ずかしい単語。

 つい語尾が跳ね上がる。

 我ながら、不似合いな。

 ディートマルが笑うのではないかと思えば、自然視線が揺れる。

 だから、ディートマルがどんな表情を瞳に宿したのか、リヒトは知らない。

 欝金のまなざしが、揺れる。少し淋しそうな、何かを決意するような、色を宿して。

「では、お戻りなさい」

「え?」

 思いも寄らないディートマルのことば。

 てっきり、返してくれないと思い込んでいたのだ。

 大きく瞠らかれたリヒトの褐色の瞳。

 今にも眼窩からこぼれ落ちそうだ。

 ディートマルが笑いをこぼす。

「帰さないと思っていました? わたしは、鬼ではありませんよ」

「でも………」

「もちろん、ずっと戻っていていいとは言いませんけどね」

 片目をかるくつぶり、くちびるの前に指を三本立てる。

「三日です。君は、三日後にはわたしのところに戻ってこなければいけません。わかりましたね。これさえ守れるなら、わたしは君を家に戻してあげられます。たった三日ではなおさら里心がつくと思うなら…」

「いいっ。三日でも帰れるならっ」

 焦るリヒトに、何かを懐から取り出す。

 それは、金の鎖に通されて、ディートマルの胸元にぶら下がっていた。

「では、これを」

 それは、深い緑の小さな石が嵌めこまれた指輪だった。

 細かな彫金がほどこされている金の指輪を、偶然なのかわざとなのか、左手の薬指に通されて、

「ちょ、ちょっとこれは…」

 リヒトが狼狽える。

 抜こうとして、

「そのままですよ」

 ディートマルに止められる。

「どーゆーことだよっ」

 食ってかかるリヒトに、

「それは、魔法の指輪ですから。君が次に指から外して枕もとにおいて眠れば、翌朝にはこの城へと戻っています。しかし、それ以外で抜いてしまえば、君はどこへ行ってしまうかわかりませんよ。それは、月かもしれないし、ことばも通じない異国の地かもしれません。そういう呪文をこめていますから」

 恐ろしい台詞だった。

「じゃ、じゃあ、これは、この城に帰る前の晩まで抜いちゃダメってことだな。……まったく、そんなぶっそうなもんをなんだってこんなややこしい場所に入れんだよ」

 ぶちぶちと呟くリヒトに、

「わたしの気持ちですからね」

 しれっとして言ってのけるディートマルだった。

「!!…………」

 二の句を継げないリヒトは、真っ赤になったまま口をパクパクと開いたり閉じたりしていた。

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