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そうして、あの日から一年以上経った、夏の日に。私は、故郷の海へと来ていた。
まっさらに何もない大地。月日は確かに過ぎていて、摘まれた瓦礫はそこから移動されていて。
あるのはただ、何もない大地とほんのわずかに残った建物だけ。
鉄筋コンクリートの建物はほんの少し残ったけれど、多くの家は木造だった。
大地は深く沈んで、道路を嵩上げしないと高潮の所為で車も走れないという。
それでも、久しぶりに訪れた。故郷は、海は、懐かしい香りがした。
抜けるように青い空。静かな鏡のような海。
砂浜はほとんど消えてしまったけれど、面影を残した海岸線。
「祝お兄さん、貴方はまだ、この海のどこかにいるの?」
一年経っても未だ見つからない貴方。共に流されたおじさんはすぐに見つかったのに、貴方だけが見つからない。
おばさんは遺体安置所を回っているのだと聞いた。もう、生きてはいないだろうと。
もしも。どこかで記憶を失ってでもいい、生きていてくれれば。
そう希望を持つにはあまりにも、あまりにも津波が大きくて。
手を伸ばしても届かなかったのだと、遠くを見つめておばさんは言っていた。
これだけの時間が経っても地上で見つからないのなら、波と共に海へと旅立ってしまったのだろうか。
「それはそれで、いいのかもしれないね」
あれは天災だった。誰もどうしようも出来なかった。あの時は驚異でしかなかったけれど、ここの人々は結局海なしには生きられない。
海と共に寄り添い、生きていく。もしも貴方が海にいるのなら、それは共に寄り添って生きていけるという事ではないだろうか。
そう思うのが、ほんの少しだけの慰めだった。
けれど、それはほんのわずかな時間の夢でしかなくて。
そのすぐ後に訪れた、元々貴方の家があった、その場所で。
私は、貴方に出会ったのだから。
ぽつり、と貴方はそこにいた。少し俯くように、途方にくれたように。
誰か、なんて考えるよりも先に。
「祝お兄さん」
その名前が、私の唇から零れ落ちていた。
「弥生ちゃん?」
「ごめんなさい、少しだけここに一人にして貰えませんか?」
心配そうな親戚を振り切って、私は貴方に近づく。
高潮の所為でぬかるんだ地面が粘着のある音を立てるけれど、貴方は気づく様子もない。
「祝お兄さん」
もう一度名前を呼べば、やっと気付いたのかゆるりと振り返る。その顔は、全く知らない男性のもので。
「……誰だ?」
それでも、聞こえた声は、確かに聞き覚えのあるものだった。
実の所、祝お兄さんと直接会ったのは、物心つく前だけだ。だから、訝しげな視線を向けられても不思議はない。
むしろ、私自身がどうしてこんなにも貴方だと確信を持っているのか、これほどまでに心を向けているのかわからない。だけど。
「弥生です。末の娘の」
「弥生……?」
記憶の中の私はきっと幼子。今の私と結びつかないのだろう、小首を捻られて。
でも、私は大きく頷いた。
「はい、そうです。お久しぶりですね」
触れようと伸ばした手は、確かに届いているのに宙を虚しく掻くだけ。
わかっている。一目見た時から、わかっていた。
確かにそこにいるのに、その体には存在感がなかったから。
「……あの日、やはり亡くなっていたんですね、祝お兄さん」
吐息と共に呟いた言葉は、小さく震えていた。
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