第一話Bー3「血肉を啜る道徳の証明」
店の様子は外からでも解った。いくつも大穴が空いているのだ。
残った壁や店内に血液がブチ撒かれ、中の椅子や酒瓶は粉々だ。店の外に用心棒の棍棒が転がっていた。
ポンティコスが中に入ると、血の臭いでむせ返りそうになる。嗅いだことが無いわけではない。だが、これだけ大勢の血液が流される場はそうそうない。
ここに居た自分の仲間達が死んだのは明白だ。恐らく何かの襲撃を受けたのだろう。
店内を進むポンティコスの足に何かが当たる。
人骨だ。そこら中に多くの人間の骨が散乱している。
それらはヌラヌラと真っ赤に濡れており、骨付き肉もいくつか有った。
そしてどうしてか、死体がない。まだ温かい頭蓋骨の数が、多くの仲間の死を物語っていた。
ポンティコスが地下に続く階段にたどり着くと、階下から大きな悲鳴が。
下りた彼は武器庫に寄り、愛用の斧を持ち出した。
奥から聞こえる命乞いの声を頼りに、暗い地下通路をろうそくも無しに歩んでゆく。敵に悟られぬようにだ。
地下通路と繋がっている部屋の配置は記憶している。一番奥の部屋に着き、中を伺う。
部屋の天井近くに敵が魔言で出したのか、光球が浮かんでおり、視界には困らなかった。ゆえに襲撃者の姿もハッキリと見えた。
奇妙な形の緑色の全身鎧。
まず兜。トサカのような意匠が付き、宝石が如く透き通った青い部品で目元を覆っていた。その中からは爛々と光る黄色の尖った眼差しが、世界を覗いている。口元は別の銀の部分が被せてあり、獣の牙のような装飾がなされていた。
次に胸鎧。上胸と下胸に分かれた四枚の装甲版からなるそれには、緑の鱗のような材質に、人の唇と見紛う不気味な装飾が一つずつ付いていた。
大きな肩鎧は四角く緑で、横に空いた穴から空気を出している。複雑なデザインの脚甲は銀と緑。膝と踵と足の甲に円形状の刃のような形。赤いマントも装備している。
腕甲は爬虫類の鰐を模した形で緑。右腕は左より大きい装甲になっている。
黒い縄のような物が防具間を巻きつき繋いでいた。
大柄な鎧に泣きながら懇願するのは、倒れたポンティコスの子分だった
「た、助けてくれぇ! ここにある金も武器も全部やる! だから」
「――言われなくても、金も命も頂いて行く。貴様の許しを欲していないのだ」
緑鎧の声は男で、彼は右腕の武器を戦意を失った弱者の胸に押し付けた。
右腕甲に装備された大きな剣、いや二枚の板だ。鰐の口から生えたような板の間には金属の小さな風車が三つ、ぶつからないように挟まっている。
全身鎧は武器と一つになっている腕甲に付いたレバーを左手で引く。取っ手は伸びて伸縮性のあるパーツで繋がっているようだ。
腕甲から起動し始める『機械』の音。中の風車が回転する音。板の隙間から生まれた風が回転する音。激しく回転する空気の刃の音が聞こる。
「いやだ! あんな死に方したくないぃ! いやだいやだ! いやだががが……」
鎧男の主武装『グロ・ゴイル』が頭から床へ振り下ろされた所で、出血多量で死に、口が無くなったので、子分は悲鳴を止めた。
グロ・ゴイルとは風を殺傷力に変える、非実体の回転刃装置に似た武器である。
緑昇が得意とする風属性の魔力で風を流し、モレクの『空間を回転させる力』によって、回転に触れた敵性個体の空間をねじ切り破壊する武装。
歯向かう者の一生を終わらせ、殺しを見た者に一生忘れられない恐怖を教える。
かつて龍を殺したと言われる『七罪勇者』が持つ、対龍兵装の一つだ。
チェーンソーとは緑昇の世界では固い木を切るために必要な物であり、決して人に向けていい物ではない。
グロ・ゴイルとは大きな龍を殺すための兵器であり、その殺傷能力は対人の域を飛び抜けている。
緑昇の武器は悪人を切り刻み、原型を留めない程に破壊した。
すると緑昇の胸部装甲に有る唇が涎をたらしながら開き、勢いよく息を吸い込み始めた。
死体の肉が骨から外れていき、まるで『風』に分解され、胸の口に吸い込まれてゆくのだ。
「――ま、この中では美味い方ですわね」
奇怪な唇は舌なめずりをし、女の声で人肉をそう評価した。
あとは血溜まりとそこに添えられた骨が残るだけである。
「お前は……一体何なんだ?」
ポツリと一つ言えるまで、精神が回復したポンティコスに、緑色の殺戮者はすぐ答えた。
「――勇者だ。俺は人々の法と命を脅かす、全てを殺すことを生き甲斐としている。
街に来たときに盗賊に襲われてな。拷問したところ、ここの傘下と知り、予定もつけずに訪れた次第だ」
「勇者だと! そんな者が本当に……?」
ポンティコスも聞いたことがある。異世界から勇者が来て、悪者や怪物をやっつける本の童話なら。
少年がそうなりたいと夢を見て、抱き続ける者は騎士を目指し、いずれは現実に適応するために捨てていく英雄譚。
本物ならば止められるはずと、ポンティコスは最小の動きで斧を振るう。
ゴトリと刃の部分が落とされ、握っているのがただの棒になる。勇者の武器は速く、呆然と斧でなくなった得物を見るポンティコス。
「――孤児院と一緒になっている教会に、シナリーという修道女がいる」
ポンティコスは俯き、抵抗を諦めながらそう言った。緑昇は構わず、もう一度武器のレバーを引き、チェーンソーに殺意を込める。
どうやら殺されるようだ。だが自分にはまだ話さなくてはいけない人が居る。
「叶うなら彼女に伝えて欲しい。申し出は受けられないと。それでも君と神父様は無駄なことはしていないのだと! 感謝していると言ってくれ。もし俺のような半端者が生き迷っていたなら、無理やりにでも救ってやって欲し」
男の遺言が止まる。ゆっくりと進められた勇者の得物が、腹部に侵入。破壊を始めたからだ。
ポンティコスはある意味、思い描いていた通りの結末になったことに笑った。
悪党の終わりは、こうでなくては。今まで盗賊の頭として、多くの人々の人生を壊してきた己が、今更幸せになってはいけない。
もし善の神様がこの世界に本当に居るのなら、この身に下るのは天罰であるべき。
騎士団に自首しても良いが、なるべくなら超常の、例えば勇者なんてのがいい。
悪者が勇者に討たれる。道徳は成立した。正義は……有ったのだ。
刻まれた死体を胸の唇が吸い込むのを見ながら、緑昇は男を見直していた。
あれだけ残酷な死に様を見せられながら、逃げずに目を見開いていた、悪人の度胸にだ。
「この男の言う教会って、今日ワタクシ達が立ち寄った場所ですわよね?」
「――その修道女が全くの無関係なら良し。だが少しでも関係あるのなら……殺す」
胸からの問いかけに緑昇は、身構えた闘志を消さずに答えた。
「あらあら、容赦のないことですこと」
「だが不確定な事案より、有害だと確定している奴らが居る。先程親切なここの者が、他の役員の家や予備の隠れ家、周辺盗賊の存在を数多く教えてくれた。こちらを優先して潰していくぞモレク」
かくして、このアリギエでも、勇者が行動を開始してしまうのであった。