第一話Bー2「受理されない懺悔」
教会施設の裏側には数本の木が立っているだけで何もない。敷地を囲う塀と近く、狭い場所だ。それゆえ訪れる者といえば、掃除に来るナバロ老人くらいである。
その人気の無い場所で、緑昇とモレクが一人の男を脅していた。
緑昇に胸倉を掴まれているのはデニク。彼は教会を出たところで、二人に声を掛けられ、逃げようとし、あっさり捕まったのだ。
「ちょ、ちょっといきなりな挨拶じゃないですかぁ? あっしが何したってんで……」
「久しぶりだなデニク」
デニクは仁王立ちする二人から離れようと後退り、すぐ木と背が接触した。
彼はアリギエで、このコンビの本性を知る数少ない人間だ。三年前に出会ったときから二度と会いたくないと願っていたのだ。
「俺はアリギエが初めてだ。ちょっと道を聞きたいと……考えていたら、貴様を見つけた」
「な、なぁんだぁ。旦那は観光で来たんすか? それだったらあっしが良い所を案内し」
「銀獣の会のアジトへの道を聞きたい。お前の命と引き換えに案内しろ」
(ライピッツ決勝レース会場)
会場は横長い円のコースとそれを囲む観客席、建物周辺の祭りの露店からなっていた。
階段状になっている観客席には多くの人が駆けつけ、コースのスタートラインには賞金と名誉を手に入れんとする、三人の選手達が既に並び終わっていた。
「ついに来たか!」
エストーセイ地方のレースを勝ち上がってきたドントンは入場ゲートを見た。
いや、彼だけじゃない。会場内の全ての人間が、五分遅れてやって来たその『真打ち』に注目する。
観客達の多くは彼を見る為に足を運び、選手達は噂通りのその姿と乗り物に度肝を抜かれた。
客の一人が遅刻者の名を叫ぶ。
「黄金騎士だぁぁっ!」
金の防具を身に付けた騎士が、金の獣に乗って参上した。
昨晩とは違い黄色から、目に痛いくらい光を放つ黄金の武具を身に纏ってる。彼は槍は持たず、金獣を優雅にスタート地点まで進ませた。
ライピッツには複雑なルールがない。円状のコースをいかに速く、乗り物に乗って周回するか? それだけだ。乗る物は陸を走る物なら、何でもいい。大抵は馬である。
ドントンはなるべく軽く、しかし晴れ舞台に相応しいシャレた服装。馬にも最低限の装飾しか付けてない。
(何なのだ? このふざけた奴は……)
彼の隣に並ぶ金ピカの変人。わざわざ防具を付け重くし、兜で視界を狭くする意味は何なのか? こんな選手見たことがない。
さらに謎の金の鹿? どう見ても普通の生物に見えないそれは、ドントンには恐ろしい魔物の類に見える。
「魔言『SHOT』」
このレースの主催者、そのお供の魔言使い(スペラー)が言葉とともに、持っていた杖を主に向ける。
唱えた『SHOT』は魔力広域化の技術。本来は魔力その物を砲弾にして、遠距離に飛ばす使い方をする。今は主催者の声を増幅し、会場内全てに届くようにしたのだ。
勿論そのままでは近くで聞いた者にはうるさ過ぎるので、聞こえ方も魔力で調整してある。1の階級。
「これよりぃ! 決勝レースを始めるっ!」
主催者の宣言により、ライピッツ決勝レースが始まった。
(会場周辺の露店街近く)
デニクは二人の『旅行者』を連れ歩いていると、ライピッツ会場の近くを通りかかった。
この辺りはお祭りムードに便乗して、多くの露店がある。客はレースの行き帰りに立ち寄る者、店が目的の者。席に座れず、せめて会場の近くに居たい者と様々だ。
会場の外にも聞こえる大歓声が三人の耳に届く
「お、ちょうどレースが始まったんスかね? あーあ、あっしも行きたかったな~」
「……」
「アレ見てくださいよー。美味そうなモンが売ってますよー?」
「デニク、注意を逸らそうとしても無意味ですわよ?」
『旅行者』の緑昇はダンマリ、モレクは冷たく言い放った。対して、デニクは笑うだけである。
移動中、ずっとふざけた態度でおどけてみせるデニク。どうにかアジトに着く前に、二人を撒けないか? もし拠点に連れて行ったら、自分達にとって不利益が起こるに違いない。
デニクが苦笑いしながら思考していると、緑昇が聞き取り辛い声で話しかける。
「そういえば貴様……なぜ神になど祈っていた? あそこは邪神など祀ってないはずだが?」
緑昇の何気ない疑問に答えるのに、デニクは少し時間を置いてしまう。
それは彼にとって、告白に近い吐露になるからだ。
「なんか、その、恥ずかしい話しなんスけど……最近妙に思い出すんスよ。見殺しにした女とガキのことを」
デニクが語ったのは、二年前の出来事だった。
彼はそのとき組織からある重要な品を、アリギエからピンスフェルト村まで送り届ける仕事に任されていた。輸送は秘密かつ絶対に成功させろと仰せつかっていたのだ。
デニクは普段の商いをしながら、誰にもそれを喋ることなく、己の馬車で村に向かっていた。
普段通りを装う為に、連れの女と召使の子供、護衛の傭兵を連れていた。デニクは女好きで知られていたからである。
だが運の悪いことに、銀獣の会の息が掛かってない盗賊に襲われてしまう。とても強い賊の者達に護衛も殺されてしまい、デニクはある選択をする。
このまま殺されるか、盗賊の望みの半分を置いて仕事を果たすか。
組織の人間であるデニクは、自我よりも合理性を優先した。
そして、なんとか大事な品を届けた彼は、今もここに居る。
「アイツら天国行けたかなーとか考えちゃってでスね。そしたら変な神父に強引な勧誘受けちまって、色々あって今じゃアソコに通うのがノーマルになっちまったわけですよ」
「虫のいい話しですわね。本当は己の保身も、神様に祈ってたんじゃありませんの?」
卑しく笑む悪人に、後ろを歩くモレクは半眼になる。そんな会話をしながら街を進んでいく。
「別にあっしは今更神の加護を頂こうなんざ思っちゃいませんよ。自分で外道だって理解してやす。
でも誰だって有るっしょ? 神様にでも頼りたいときが。
無茶なこと、有り得ない物事を叶えてくれる相手は、それこそ居るかも解らなねぇ奴ってモンじゃないっスか?」
「ならその無意味さも……解っているのだろうな?
存在しないモノは、一切人間に関与しない。見えもしない神が、願いを聞き届けることはない」
「へへ、こいつは手厳しい。ま、自己満足っス。でもその満足がないと、やっていけないような気がするんスよ。
心が安定しない。こんな重い腹ん中を抱えてたら、仕事でヘマしそうでね」
そう語るデニクはいつもと違う表情をしていた。
ふざけた笑い顔ではなく、重しが取れたような、労働から解放されたような、乾いた微笑み。
語る言葉以上に、彼がどれだけ宗教に傾倒しているか知れた。
デニクの心の平穏は、もはや人の認識の埒外でしか得られなくなっているのだろう。
「お、ここっスよ」
さらにアリギエの奥まで歩いた後、三人は狭い道の左右に怪しげな酒場や、一見して何屋だか解らない店が立ち並ぶ、裏の界隈までたどり着いた。
一行がある店の前まで行くと、高揚した男達の下品な笑い声が聞こえてきた。昼間だというのに、酒が入っているのだろう。
「このティーナって酒場が、銀獣の会の役員達の集まり場所になってやす。奥に地下に続く階段があって、そこがアジトっス。『真面目な』騎士様が探しているような、ヤバい薬や奴隷売買の会計記録や、現物があるんじゃないスかね?」
「そうか……案内感謝する」
「あの~御二方が何しに来たか、聞いてもいいッスか? 勇者だから悪者を懲らしめて報奨金ゲットーとか?」
ヘコヘコと媚びるデニクは、この二人が正義と称して悪人を捕まえ、魔物を退治して回っているのを知っていた。
ゆえに今、彼らに出会ったときから、どうそれに巻き込まれずに済むか算段していたのだ。
だが『今の』緑昇とモレクの答えはそれと異なる。
「殺しに来た」
「へ? でも旦那程の力があれば、生け捕りに出来るんじゃ?」
「ワタクシ達、前とは路線を変更していまして、悪に類する者は全て殺すことにしていますの。
教会に行くまでに情報収集をしました。聞けばこのクスター地方、騎士団の腐敗は酷いとのこと。強い権力による不当な徴収と罪被せ。犯罪組織から賄賂を貰い、関係者の即時釈放。
そんな所に預けるくらいなら……ねぇ」
緑昇はポツリと一言。連れのモレクは肩をすくめながら嘆く。
彼らもまた公的権力を信用してないらしい。どうやら行く先々の街で、数多くの悪徳騎士団を見てきたのだろう。
「俺は芸のない男だ。素手で殴り殺すこと。モレクの餌にすること 。
連れ帰って拷問に掛けることしか出来ない男だ」
そう言って大きな体の男は、横に居たデニクの頭に左手を置く。
「俺は勇者だ。真面目に生き、誰も傷付けず、平和を愛する人々を守る。その人々の生活や理性を脅かす存在を許さない。
貴様も含めてな」
緑昇はデニクの頭を掴み、持ち上げた。地に足が着かない高さまで掲げられた本人は、慌てふためきながら、必死に弁明の言葉を探す。
「ちょっとちょっと! 教えたら見逃してくれるんじゃなかったんスか?」
「――望まれてないのだ。貴様らの改心など」
「へ……?」
「誰が貴様の心変わりを願う? 誰か神に祈って欲しいと頼んだか? 仲間を売って、今までの悪行から手を切れたつもりか? どこに向けて懺悔しているのだ? 今頃悔い改めた、己の身が可愛い臆病者に、神が慈悲など与えるのか?」
「やめてくだせぇ……。あ、あっしは」
「見殺しにした女子供が願うのは、貴様がいつ地獄に行けるのか、だ」
掴んだ左手を後ろに引いた緑昇は、デニクの顔も見ずに許しの言葉を吐いた。
「案内してくれた礼だ。お前の死体は残してやる」
振りかぶった左手を、全力で店の壁に叩きつけた。
何度も。何度も。何度も。
手の平が壁に付くまで行った激しい音と振動が、店の中に伝わったのだろう。
中から慌しい声と足音。これで中に居る用心棒に気付いて貰える。
緑昇はついでにと、足元に残った体を窓に放り投げた。絶命した人体は窓を壊し、中の人間にコンニチワ。もっとも頭がないので、デニクの挨拶は悲鳴しか生まなかった。
モレクがフゥーっと息を吹くと、その風はなぜか緑昇の左手に届き、緑昇の手の汚れがなぜか掻き消えた。吹き飛ばしたとでも言うのだろうか?
「ではいつもの通りに? 案外パンチキックで行けそうですけど」
「俺個人が彼らを殺しても意味が無い。勇者として駆除することに意味があるのだ」
男が右手を前に突き出し握ると、女の姿が消える。
右手には手甲が付けられており、それは深緑色の下地に金十字の装飾。四つのピンクの宝石が備わっている。
緑昇は手甲に命じた。
「勇者、召喚」
ポンティコスはレース会場周辺を歩いていた。
彼は悩みぬいた結果、明日も同じことが出来ない、したくない自分に気付いた。プライドも捨てて、惨めな選択をしようとも、もう半端な生き方は止めたかった。
ライデッカー神父の申し出を受けようと思うのだ。きっとあのシナリーというシスターが引き継いでくれるだろう。
いや、自分だけじゃない。子分達にもそういう考えの奴らが居るかもしれない。もしかしたら、神の教えも知らず、生きる指針に迷う者が居るかもしれない。仲間達も救ってやれないだろうか?
その仲間の男が一人、走ってきた。
仲間は奇声とも悲鳴ともつかない声を出しながら、血まみれで走ってきたのだ。
ポンティコスが止めると、半狂乱の彼は目の焦点が合っておらず、傷は負っていないようだ。
「おい! 何があったんだ? おい!」
「――あ! あぁ、あ……何なんだぁありゃあ? あれは! あれは……!」
仲間は恐怖の叫びを上げ暴れだし、ポンティコスから離れてどこかへ走り出してしまう。
ポンティコスは急いでティーナへ向かった。