第六幸 Q-3 「世界を救えなくても、たった一人を救っていた男が死ぬということは、そのたった一人もまた犠牲になる。道連れに何人も何百人も殺す彼は、真の無能と言えよう」
黄金騎士は逆にモレクへの勝利条件を掴み取った。
こちらを殺すつもりで呼び出された巨大独楽を、錬金術の素材とし、そこでヴァユン内部に隠していたマモンの翼を混ぜる。
同じ戦法を選んだモレクに、同じく素材の引き寄せという一度見せた技を『わざと』使用する。
モレクは囮と見せかけた、本命の槍に向かって行き、見事少年はモレクの武器とマントを外してみせた。
エンディックにとっての戦いとは、敵の場所へ一直線に到達する為の、障害物を取り除くものだったのだ……。
「最初からおかしかったんだよな。もしモレクの言う通り、今まで緑の勇者の行動をアンタが決めていたなら、今日の正面きっての戦いは矛盾してるぜ。
冷酷で知恵の回るモレクが俺を強敵と見たなら、ここに来る道中か孤児院で寝てる段階で、安全に殺すはずだ。
ここで戦うにしたって、俺の家族を人質に連れて来れば、より有利になれたかもしれない。
俺の動揺を誘うにしても、殺し合う敵に身の上話なんて、そんな『情けない真似』は今までのアンタにゃ似合わない。
まるで俺の同情を買って、感情移入して下さいって言ってるようなもんだ」
もう戦闘姿勢を解いて座りこむエンディックは、感じた違和感を次々と語る。
妖精が憑依を止めたのか、棒立ちになっている緑昇と、隣で映されるモレクの姿を相手に、だ。
「同じ復讐者として言うなら、モレクが緑昇の世界の奴ら……このシュディアーに住んでる人間達を恨んでるなら、どうして律儀に緑昇の願いを叶えてやってるんだ?
間抜けな緑昇から体を明け渡された時点で、約束を反故にしてもアンタに損があるのか?
緑昇は勇者としての自分の安全を是としてたが、そもそも死なねーんだろ? なら緑昇は危険を顧みず活動するだろうし、騙してるアンタには心配する義理もねー。
なのにモレクは緑昇の命を最優先とした……。
さっきだって、死なないはずの緑昇が傷付けられたとき、アンタのブチ切れ具合が怖いくらい伝わったぜ?
俺にはどうも緑昇に対して、アンタに恨みや妖精の契約以外の、『情』が有るとしか思えねー」
少年はモレクの話を聞いて、ずっと悩んでいた。
本気じゃなかったとは思わないが、モレクの今日の戦い方は、どこか雑で迷いが感じられた。
だからこそ己がここまで生き残れたのだと。
「そう、ですわね。ワタクシは……黄金騎士が本当に英雄なのかどうか、試してみたかった。いや挑戦したかったのですわ……」
モレクが聞いた緑昇の誓い。
それは、もしこの世界に本物の勇者が現れたら。
外からの、異世界からの勇者ではなく、シュディアー人からの英雄が現れたら。
そのときこそ今まで害した人々、サイラや救えなかった人々の命の責任を取るために、緑昇の仮面を外すつもりだと言う。
そして不必要な己の命を絶つと。
その主の考えに、待った、と行動を起こしたのはモレクである。
彼女は対峙した黄金騎士に緑昇の事情を話し、自身に敵意を向けさせ、敗北した後の『段取り』を決めていた。
もしモレク=ゾルレバン2が破れるようなことがあれば……己が破壊された後、緑昇をことを頼めるよう。
緑昇を勇者の座から降ろし、彼を救ってくれるよう命乞いをしたのだ。
だが今、緑昇が目覚めてしまったのである。
「へ、命懸けの茶番に付き合わされたわけだ。でもよ、どうしてモレクは緑昇を助けようとしてるんだ……? アンタにとってその男は何なんだよ?」
妖精の話に耳を傾けていたエンディックは、彼女の動機を問う
対する答えは、笑み。
モレクは悲しげに、噛み締めるように言葉を紡ぎながら笑んだ。
「だって……この人がどんなに情けない人だろうと、ワタクシにとっては、緑昇こそが。
『勇者』でしたから……。
ワタクシ達妖精族は、誇りあるシュディアーの支配者でした……。
この世界の正しさの為に活動し、必死に戦い、なのに裏切られた。ある妖精は絶望し、ある者は復讐を誓い、そしてワタクシは恐怖しました。
世の善を信じ、民を信じてきたのに、それが否定されたことで、ワタクシはこの世の全てが怖くなってしまった……」
誰もが何かを信じてるから、自信を持てる。
信頼出来る正しさが有るから、生きていける。
だがモレク=グラトニオスの正しさは、世界レベルで否定されてしまった。
何も信じられない生というのは、歩む先に何も見えない真っ暗な洞窟でなのである。
「ワタクシだけありません。小さな真っ暗な器に閉じ込められた妖精達がすがれるのは、他者への憎悪だけ。
妖精達は憎悪だけを支えに、終わらない生の中を稼働し続けました。
そして……ワタクシは緑昇に『出逢え』た。
この人は本当に無能。英雄に成りきるくせに、悪を殺そうとしない。
どんなに正義感が有っても、勇者鎧を着る才能が有ったとしても、命の取捨選択をする冷酷さが無ければ、この人の望むヒーローにはなれないのに」
緑昇の失敗は、現実に生きる身でありながら、空想の人物に憧れたことだった。
彼がTVの向こうで見た存在は、さぞ全能であろう。
何事にも諦めず、努力は必ず実り、画面上の全ての人を救い、全てから尊敬を集める存在。
だがそれは一方側からの視点でしかない。
そのヒーローと敵対する側からは、その者こそが悪であるし、正義とは個人が独占して良い物ではないのだから。
この緑昇は誰からの悪にも成らず、全ての善となろうとした。
ゆえに両方共救えないというエラーが出る。
「ワタクシこの人のあまりにも偽善者っぷりに、何度も笑っちゃいましたわ。
きっとワタクシ達が知らないだけで、何人の命を救おうと、見逃した悪人の命によって、後できっと害されているだろうって。
絶望した緑昇の姿は、いたく滑稽でしたわ。
そして予定通り、彼の感情を吸収し、肉体を手に入れました。
でも……今度はワタクシの心が『故障』してしまった」
妖精の失敗は、騙し易い愚者の精神を乗っ取ることの意味を、理解していなかったこと。
彼の捨てた心と肉体を奪い取るということは、その捨てた物を取り込むということだ。
緑昇が悪人を一掃する為に、妖精モレクという非情さを手に入れ、代わりに捨てたのは。
『人情』である。
妖精が信じられずに捨てた、無くしてしまった、そして今戻ってきた。
『良心』である。
勇者を騙して取り憑いた妖精は、あろうことか彼の善性を理解し、共感してしまうのだ。
「もし……もし彼があの時代に、妖精族達が裏切られ、その正義が否定されたあの時代に、この人が居たら。
『勇者が居たら』って。
きっとワタクシ達を助けてくれたんじゃないか?って……。
そう考えたら、この人のことを放って置けなくなったのよ!」
妖精の女は泣いていた。
人間を見下し、冷酷だった彼女の表情と音声は感情的になり、男への想いを荒げる。
「この人は……秩序や正義、誰かの善意を信じる者にとっての、勇者ですから……。
見捨てられるわけがない。裏切れるわけがない。この人にワタクシ達を救って欲しい……!」
それから復讐者は、男の夢を叶える妖精となる。
彼では成し得ない、善人だけが生き残り、悪人が嫌悪され、誰も悪行をしたがらない世界を作る為に。
「マシニクル人を許したわけじゃありません。人間なんていくらでも死ねばいいんですわ!
でも緑昇には傷付いて欲しくない……。死ぬ権利を売ったとしても、この人には苦しんで欲しくない。
正しい行いをしてきた者には、いつか幸せになって欲しい……そういう世の中であるべきだと思う」
復讐者の女はエンディックとは違った。
彼女は復讐を諦めた。
それよりも出逢えた大切な人の幸福を願っている。
(この世の道徳を信仰する馬鹿正直な男と、その道徳に裏切られた女ってか。
緑昇は己に足りなかった力と非情さを、モレクは失っていたモラルを取り戻した……なるほど。
こいつらお似合いだな……)
少年がそう思案していると、女妖精は悲痛な顔で願いを言葉にした。
「エンディック=ゴール……お願い、いたします。この死ねないくせに己を害しようとしてる、哀れな男を救って下さいまし。
代わりにワタクシの命を差し出しますから……」
「あぁ……?」
「勇者でない者が勇者を打倒した事象を見て、この人の自我は大きく揺らいでいます。
異世界から来た勇者ではなく、『この世界の人間の英雄』が現れたことで、己はもう必要無しとし、罰する為に自害しようとしました……。
ワタクシはただ願いを叶えるだけの……悪魔。この人の誤った意思を否定することは……ワタクシにはとても……」
「モレク……お前……」
苦悩する妖精にエンディックはため息をついた。
賢いモレクと思えない愚鈍さに、だ。彼女は本当に気付いてないのだろうか?
緑昇を救う方法を、彼女は既に知っているはずなのに。
「違ぇだろ……緑昇を苦しませたくないなら、テメーがはっきり言えば良いじゃねぇか!
モレクが『勇者を辞めて欲しい』って頼めばいい。それで緑昇を救えるはずだろ!」
そうなのだ。緑昇はどうしようもないお人好しである。誰かに必死に泣き落とされれば、引き止められるはずなのだ。
(育ての親の声を無視して、復讐心を優先した俺と違ってな……)
エンディックは矛先をさっきから黙っている緑昇へ向ける。
「緑昇だってもう解ってるだろ。アンタはシナリーと同じだ。
誰かを犠牲にした罪悪感から、自己犠牲に浸ろうとしてるアホだぜ。
救えなかった勇者が死んでも、犠牲者は戻ってこない。それで助かるのは、悩んでるソイツ自身だ。もっと言えばよぉ、アンタが死んだら、確実に苦しむ奴が一人居るだろ……?」
「……僕……は……」
今の緑昇には解るはずである。このまま悪人を殺し続けても、その果てに自害しても、必ず苦しむ者がいることを。
それは無力な彼に力をくれた、夢を叶えてくれた、ずっと側にいてくれた女性。
「緑の勇者道には必ずソイツが犠牲になる……。世の為に己を捧げる英雄さんの、助けたい人々の中には、その英雄を想う誰かは入ってねーのか?
自分一人が死ねばいい? 見ねーフリしてんじゃねーよ!『誰か一人死んだら、死ぬ人間の数は、一人じゃ済まない』だろ。
生贄になる英雄に、生きてて欲しい知り合いの気持ち! その全部が死ぬじゃねーか!
それに順番がおかしいぜ。オメーがまず救うべきは世界中の善人じゃない。
ずっと緑昇を助けてくれたモレクだろ!
善良な人間を救うと言うなら、それを救おうとして苦しむ緑昇を想って涙するモレクは、善良じゃないって言うのかよ!
自分が罪悪感から救われたいって愚かさと、
馬鹿男に力をくれて一緒に居てくれた女の、今流れてる涙。
客観的価値観じゃねぇ、『緑昇個人の天秤』にとってどっちが重いんだ?
言ってみろぉおおおお!」
物語の救世主が孤独なわけがない。彼らは守りたい家族が、友人が、恋人が、居る世界だからこそ、守りたいのだ。
犠牲になっても誰も悲しまない者が、ヒーローとなるのは稀だろう。
つまり現実で真の英雄になるということは、その者を想う人々の気持ちを、己諸共に犠牲にするということである。
それに頷ける者が、エンディックと緑昇という二人の男を含めて、正常なわけがない。
「少し考えれば『普通の奴なら』どっちが正しいか、解るもんなんだよ。それが判断出来ねーってことは、アンタは疲れてるんだよ。
休むべきだ。勇者ごっこの活動を一旦止めて、自分を見つめ直すべきだぜ?」
エンディックは男の信念を否定しない。
だが心が破損するほど無理が溜まっているなら、立ち止まって休めと言っているだけだ。
その提案に緑昇は酷く怯えたように返す。
「ではどうするんだ…?『僕』という恐怖が、勇者が人の幸せを保護しなければ、彼らの安全と幸せは誰が守るんだ……?」
「その代わりに成りそうな黄金騎士が居たんだろ? あの物好きな英雄さんが、出来る範囲で良い奴ぶるさ。
俺があんたの隣で、あんたの見える周りの世界を救ってやるよ」
「それでは……全ての善なる人が救われない」
「そんときは仕方ねーなー……」
「そんなことが許され」
「許されるだろ! 俺にも! アンタにも!
この世界を救わなきゃならない使命なんて、最初から無い!
全ての人々を守る義務も、
全ての悪人を滅ぼして良い資格も……。
そんなもん持つ奴ぁ、勇者にだって居ねーんだよぉ!」
少年の答えに勇者は黙ってしまう。
緑昇は己の傲慢さを自覚してしまったのだ。
彼は勇者になれるだけなのに、勝手に『世界を救う使命がある』と盲信していた。
命を救うと唄いながら、自分の命を蔑ろに考えるのは、ただの人命軽視に他ならない。
「だが……それでも、僕はこの殺戮を始めた以上、途中で降りることは出来ない……。モレクに、いや『僕が殺してきた』罪人の中には、改心する可能性の有る者も居た。
僕が人々に『勇者という恐怖』を広めることを止めれば、彼らの死の意味が……」
「……そういや、まだアンタ本人とは喧嘩したことねーよな?」
エンディックはフラフラと立ち上がりながら、思い悩む緑昇に言う。
その眼に戦意を燃やしながら。
「俺達には資格がねー。でも緑昇は無理矢理にでも悪人を殺したいし、俺は無理矢理にでもアンタ達を助けたくなった。
なら……男だったらコイツで決めよーぜ?」
エンディックが掲げたのは籠手を付けた拳。
だが既に疲労困憊のはずの少年の提案に、横からモレクが口を出した。
「強がるのはよしなさい。坊やは今までの金獣の維持や再錬金、ましてや最後の大掛かりな槍の複数錬金で、見るからに機力切れですわ。そんな体で喧嘩だって出来ないでしょうに」
「うるせーよ……アンタらにはマモンを倒した俺の姿が、英雄に見えたかもしれねー。現に今もモレクを下した……。
でもよぉ、まだ緑昇本人は確かめてねーわけだよな? こんなフラフラなガキに負けるようじゃ、ますますアンタに勇者なんてのは、荷が重いって示せるよな?」
エンディックはヴァユンⅢを用いず、勇者に挑もうとしているのである。
困惑している緑昇は、少年に問う。
「……どうやって勝ち負けを決めるつもりだ?」
「ルールは相手に膝を付かせた……方が勝ちって感じで良いだろ?俺は殺されたくないし、アンタも錬金術で勇者鎧を壊されたくないだろうから、得物は無しの男の勝負ってことで。
アンタが勝てば、俺は英雄なんかじゃなかったってこで、これからもモレクと殺しまくりの旅を続けたら良い。
そして俺が万が一にも勝ったら、俺のワガママを聞いてもらう。
モレクは緑昇の権利を全て返して、死なない勇者から人間に戻せ。その後で死んだら、アンタの勇者道はそこで終わりだ。死ねないなんてズルは止めろ。
そして緑昇とモレクの命は、俺が救う!」
エンディックは不敵に笑い、緑の勇者にファイティングポーズを取る。
同じ『光』を憧憬した、目の前の同類を救う為に。
勇者から人に、『憧れられる空想のヒーロー』から『フィクションに憧れる現実の子供』に戻してやる為に。
そして勇者に出逢え、その在り方に救われた、女妖精の為に。
「……ふ、それではどっちでも『俺』が死なぬではないか。自分が得する、上手い勝負のふっかけ方だ」
鋼鉄の緑鎧を着た緑昇は、不殺主義だった昔のように拳を構える。
同じ『偶像』を崇拝した、同類を乗り越える為に。
自分が救えなかった、助けたかった全ての人々の為に。
自分一人の価値観で殺し、これからも殺し尽くさんとする、罪人達の命の為に。
今、ヒーローに憧れた少年『達』の最後の戦いが始まる!
緑昇さんは一人の命の大切さを説くけど、エンディックは緑昇とモレクの命を保護せんとする。
間違っているのは、緑昇さんはやりたくないのに、出来ないのに己に殺戮の使命を強制してる。
緑昇が喜んで悪人を虐殺するサイコジャスティスマンなら、エンディック達と対等です。
でも彼はマトモだった。正常な善人に、英雄はどだい不適合。
この物語は、ステージに上がってきたお客さんを、客席に戻す話になんですよね。




