第五幸 M-2 「冴虚の失態とその死」
敵の乗り換え事件と、悪魔からもたらされた真犯人の名に、エンディックは驚きを隠せない。
少年が去った後の故郷で一体何があったのか?
それがマモンから明らかにされようとしていた。
(暴かれた嘘・ヴェルト村・パンデモニウム邸)
山を降りたゴール夫妻は、久方ぶりの村の異変に驚いていた。
どの家も出入り口を閉め切り、外には人っ子一人歩いていない。これも何らかの悪魔の影響なのか?
「まさかゴーストタウンになった……のかい?」
「はっ、どうだかな。でも生きてる人間の気配は中からするぜ? もしかしたら悪魔野郎の思い付きで、村の人間共の精神もおかしくしたのかもな」
村を闊歩する二人の姿は、いつもの作業着ではない。
白銀の騎士鎧に身を包み、片手には銀色の槍を持っている。二人とも全身鎧で、その装備の各所には機力的機械装置が取り付けられ、このシュディアーでは異質の戦士となっていた。
やがて二人の白銀騎士は、村長の住まう『屋敷』の前に辿り着く。
「は、田舎に似合わねー。何だぜこの悪趣味な金ぴか屋敷は」
その建物だけ周囲の家々とは別世界のような、豪奢な金色の屋敷だった。
所々に梟の装飾が施され、これが何者の趣向なのか頷ける。
そして家の周りに飾られたオブジェに、ギデオーズは兜の内で冷や汗を垂らした。
「これが英雄の力を得た代償か……。ベネト少佐は悪魔の影響なのか、突然村人にこの豪邸を建てさせたり、貢物を要求したり、横暴になっていったらしいからね。
最初は村の英雄だからといって従ってきた村人も、死人が出たことで手の平を返した。勇者を村から追い出す話になったそうだけど……彼に逆らう者達はこうなったわけだ」
人間だった。金にされた人間達が置かれていたのだ。
金の人形オブジェの表情は皆、恐怖や苦しみに引きつっている。
こんな火葬か土葬でもない、死体その物を墓とした殺人では、死者は勿論残された生者達の魂もまた、休まるまい。
「下界のことを放っておいた罰なのかもしれない。逃げ延びた先で君と出逢い、一緒に狭い世界で生きていければ、それで良いと思っていた。
しかし息子に選択肢を与えるべきだと学校に行かせ、あの子は心を閉ざし掛けてしまった……。僕がヴェルト村や少佐を、こうなる前に止めるべきだったんだ」
「お前さんだけで何とか出来ると考えんのは、傲慢ってヤツだぜ? 封印されし存在を解き放っちまったのが、間違いなのさ。
どれだけ勇者鎧が強い兵器でも、こんな人の心を操っちまうモンを世に出すのは危ねーよ。龍と悪魔……どちらを危険視したかは、悪魔を封じた先人が証明してるぜ。自然の脅威より、得体の知れない悪意の方が怖いってな」
後悔するギデオーズに冴虚が言葉を掛けてると、正面の屋敷の扉が開き始めた。
中から現れるであろう敵に備えて、二人は武器を構える。
血を滴らせながら歩み出たのは、強欲の勇者マモン=グリーズだ。今は黄金の鎧に赤の陰りを付けながら、血に染まった両刃槍を手にしている。
「……やはり駄目ですな〜。自由になりたいという『簡単な』欲望では、長続きしませんな。見切りが付きました。当方、降伏しますです、はい」
夫婦が敵の異様な風体に面食らっていると、老人の音声がそんなことを言い出した。
ギデオーズは冠に潜む悪魔に問う。
「久し振りにその声を聞いたな……。一体シナリーちゃんに何をさせた?」
「実験ですよ実験。ちょいと御嬢様の欲を引き出してみたのですが、大した黒い感情は生まれませんでした。
なので御嬢様が欲するまま現環境の脱却の為に、御嬢様の人生を縛るベネト様を殺害したまでですよ」
「テメー! その子に親殺しをさせたってのか! あぁん?」
ギデオーズは友人の死にショックを受け、冴虚は怒りに声を上げる。
それに対し悪魔は、ただ淡々と己が望みを口にした。
「現在の問題を一気に解決する術が御座います。御嬢様は勇者を辞めたい、ワタクシメは質の高い欲望を供給してくれる御主人様が欲しい。
ならばギデオーズ様、貴方がワタクシメの御主人様になって下されば良いのです」
マモンは見抜いていた。
今までベネトと共に戦ってきたギデオーズが偶に見せる、嫉妬と羨望の瞳。あれは勇者や頂上の力に焦がれる、男性特有の欲求。
きっと錬金術に傾倒したのも、勇者になれなかった自分への代わりなのだろう。
マモンは確信していた。条件を飲むと。
ギデオーズ=ゴールもまた、勇者や英雄に焦がれる『少年』だった頃が有るのだと。
かくして数日後、武装した冴虚の監視の下、パンデモニウム邸前で勇者鎧の引き継ぎが行われた。
ギデオーズの生態データが王冠に登録され、これよりマモンは彼の僕となる。
「今後ともよろしくお願いします新たな御主人様ぁ」
喋る勇者の王冠を手渡したシナリーは、心身共にストレスで疲れながらも安堵した。
もう父や悪魔の言いなりで、人を殺さずに済むと。普通の人生に戻れるのだと。
これが彼女による村での、最後の殺人に関与することだと知らずに。
「勇者……召喚」
突如ギデオーズが王冠を被り、その言葉を口にする。
すると彼の姿を黒い結界が隠し数瞬後、鋼鉄の指が黒い壁を裂いて、空中に飛び出した。
「組み立て完了。強欲勇者マモン=グリーズ」
結界内の溜められた魔力は外に出ると、強烈な発光現象で周囲を眩ますと共に、何かが現れる。
それは鳥の胴体に人の手足を生やし、目の有る筈の場所には金貨が埋め込まれている怪物。
異形の影は光の粒子となり、空中を浮遊する黄金の騎士の王冠へと流れ込んだ。
「な……! はなっから旦那を操る気かよ。そうはさせねぇ!」
冴虚は歯嚙みしながら、空高く鎮座する金の悪魔を見上げる。
彼女は兜を被り直し、銀色の槍を構えた。
「さぁ、ギデオーズ様。欲望の慈悲をお与え下さい。貴方様が望む物、一番失いたくない者を思い浮かべなさい。それをワタクシメが奪うのですからぁ……」
「う……うぅ……! がぁ!」
意識が朦朧となり、思考を奪われつつあるギデオーズは、頭を抱えて必死に考えまいとする。だが喪失するかもしれない恐怖=欲望の視線は、一瞬でも相手へ向いてしまった。
マモンの殺意はそこに向けられる。
「強い望みが無くとも構いません。悪魔であるワタクシメが、御主人様の心を満たしている存在を奪えば、穴の空いた杯は一生満たされぬ欲望を生み続けるでしょう。なので……」
苦しみから静かになった黄金の勇者は、無言で斜めに急降下し、地で待ち構える白銀騎士に襲い掛かった
対する冴虚は動じず、交差する瞬間に槍を突き放つ。
「は……! わざわざ寄って来てくれるとはよぉ!」
ゴール夫妻が開発した『ヴァユンⅩⅡ』の槍は、ドリルスピア。
接触した対象を機力的に分解し、理論上真実の富の防御力場すら、無理やり突き破ることが可能である。
「えぇ、こうすれば……当たってしまうでしょう?」
そのドリル突きの先には、両手を引いてノーガードで突き出すように晒された、勇者の胸鎧が。
夫の心臓の位置である。
「ちぃ……!」
勢いを踏み止めて槍をズラした冴虚の胸に、逆に金の槍が刺さる。
それはマモンが引いていた腕を前に突き出し、真実の富で銀の鎧と亜人の胸を容易く貫いた結果。
「ま、エルヴに高い知能が有っても、所詮技術屋ですから……。戦闘の見通しが甘かったようですなぁ?」
ギデオーズが精神支配から意識を取り戻したのは、白銀騎士が斬り刻まれて死体に変わった後である。
慟哭の叫びを発する夫に、契約した悪魔は囁く。
「悪魔は人を超えた存在です。ワタクシメの力を強めれば、奥方様を蘇らすことも可能。
だから悪魔の餌を、ワタクシメを満足させるだけの欲望を集めるのです」
それからギデオーズは傀儡となり、新たな村の長となって更なる悪政に手を染めたという。
そしてこの事件を目撃して、狂った人間がもう一人居た。
幼き少女は初恋の女性が死体に変わっていく毎に、悲鳴の合いの手。
やがて冴虚が動かなくなると、悲劇から逃げるようにして、いずこかへ走り出した。体力が枯れる限り現実逃避を続けたシナリーは、村の入り口を出て、街道を駆け、行く当てもなくただヴェルト村から離れようとしたのである。
その道中で出会ったのが、ヴェルト村へ向かう途中だったライデッカー神父だった。
彼は事情を聞き、村への道を急ぐが、村が有ったはずの位置に何もなく、彼は結界の可能性に思い当たる。
マモンが造らせたパンデモニウム邸から発生した強い結界で、村全体が外界から視覚的に隠され、侵入することが出来なくなってしまったのだ。
ライデッカーは少女を連れ帰り、いずれ起こるかもしれない事態に備え始めるのであった。
それからシナリーの脳は闇に染まる。
いくらマモンに操られた可能性が有るとはいえ、母が父によって殺害されたなど、少年に伝えられようかと。
そもそも自分が勇者を辞めたいなど言い出さなければ、あの一家を巻き込みさえしなければ。
誰かに助けて欲しいと思わなければ、一家の幸せな家庭は破壊されないし、初恋の相手である冴虚も死なずに済んだ。
全てこのシナリー=ハウピースの罪。勇者という己が不幸を、他人に肩代わりさせ、取り返しのつかない事態を引き起こした。
罰せねば。害されねば。
愛する人が死ぬ原因となった、自分自身に償わせねば。
誰によって?
それは……




