第一幸(1話)「遅過ぎ、望まれない心」Aー1
黄色の騎兵が高い丘から、夜道を見下ろす。
その道は町と町とを繋ぐ街道だ。
草や大きな石が取り除かれており、町を行き来する旅人や、金銭的余裕のある者達を乗せる、馬車の通り道である。
馬の蹄と車輪の音。
恐らく『アリギエ』の街に向かっているのだろう。
明かりを伴い一台の大型馬車が走る。
夜の闇の中に、馬車を待つ者達が居た。
待ち人は脇の茂みや木々の間で、息を潜めていた。
黄色の騎士も待っている。
街道が見渡せる場所で、闇に隠れている彼らの気配を感じながら。
馬車が彼らの近くに差し掛かった。
そことは別の場所に居る、待ち人の仲間が弓を放つ。
飛来する矢に慌てる御者と馬。
急停止した馬車に、武器を持った男達が群がって行った。
「命まで取る気はねぇ! ブツを置いていきな!」
この付近一帯を縄張りにしている盗賊達は、武器を掲げ怒鳴る。
彼らの要求は乗客の所有する金品と女性。
この二つを渡せば、街まで走り逃げるのを許すとのことだった。
馬車の中で震える客達は窓から覗き見た。
五人の男達が、剣を持って接近して来るのを。
彼らの後方で灯されていく松明の数を。
盗賊は十数人いるようだ。
こういう状況を見こして用心棒を一人雇っているが、この人数差で勝てる見込みは薄そうだ。
「了解した」
あろうことか盗賊の要求を呑んだのは、当の用心棒である。
馬車の扉を開けて出てきたのは長身の男。
頭から砂や風を避ける為のフードを被っている。
怪しげなその雰囲気からは、どこか強そうなイメージがあるのだが……。
「腰抜け過ぎやしねぇか?」
大男が戦いもせず近寄って来たのを見て、盗賊達は口々に失笑を漏らした。
用心棒らしい彼は片手に何かを握りしめている。
僅かな金銭で、この場を収めようとしているのだろう。
「おいおい、それじゃ全然足り」
歩み寄った盗賊が、用心棒にブたれた。
仲間のところに殴り飛ばされた彼はさらに飛び、草地に転がっていく。
折れた鼻と歯茎からの出血で、顔面は赤。目に意識はない。
用心棒が握りしめていたのは、『拳』だった。
「希望通り『ブツ』をくれてやった。もっとも……俺は貴様らを生かして帰してやる気など毛頭ない」
盗賊達が怒りと共にそれぞれの武器を構えた、そのときである。
『彼』が現れたのは。
四足の足音が一気にこの場に接近する。
闇の中から新たに現れ、そのまま盗賊の一人を『撥ね飛ばした』。
馬車の明かりに照らされた異様な存在に、誰もが行動を止めてしまった。
騎兵である。
顔を隠すフェイスガードを下げた兜と片胸当て、小手と脚甲。
騎乗で使うことを前提にした長めの金の槍。
下の服を除く防具全てが『黄色』に着色された派手な騎士である。
「黄金騎士……? 黄金騎士か!」
「黄金騎士! 来てくれたのか! まさか噂が本当だったなんて」
「黄金騎士ー! こ、これでもう大丈夫だぁー!」
馬車の裏で隠れていた御者と中の客達が、口々にその名を言う。
彼らは騎士を知っているようだ。知らぬは困惑する盗賊達。
いや、それだけではない。用心棒も盗賊達も、その騎士の乗っている『モノ』が何なのか解らなかったのだ。
「金属の……鹿?」
疑問を言葉にしたのは用心棒の男だ。
黄金騎士の乗る、刺々しいデザインの装甲版で形作られた、四本足の黄色い体。
二本の短い角を持つ鹿のような頭部に、硝子の細い眼を持つ。
この場に居る誰もが、かの者の正体を知らない。
だが外野にとって大事なのは、噂通りなら騎士が味方だということだ。
鹿が向こうの茂みに向かって走り出した。
乗っている騎士は進路上の盗賊を突く。
槍は刺さらず胸から突き飛ばし、相手は抵抗も出来ず地に転ぶ。
「や、やべぇ!」
鹿の目指していた、道から離れた茂みで声が。
騎兵は素早く到着し、援護しようとしていた弓兵を蹴散らした。
矢を放とうとする一人目にそのまま突進。逃げる二人を槍が。ぶつけて、突いて、穂先で殴り倒す。
そして反転した黄金騎士は、馬車に戻る途中で一人突く。
「え? えぇ……?」
瞬く間に五人の仲間を倒された盗賊達の脳は、目の前の状況についていけない。
理解できたのは、残った自分達に勝ち目がないことだけ。
あの騎士を落とすには槍か弓が必要だが、もう彼らは持っていない。鹿を横から剣で切ろうにも、あの鉄の体に効くかどうか?
立ち向かう者、逃げる者。両者とも結果は同じである。
「どうやら噂通りの男のようだな」
用心棒の男は気絶した盗賊達を、持っていた縄で拘束した。
馬車の人間達を見やる。御者は今頃になって救援要請の為の狼煙を使っていた。
暗い空に赤い煙が昇っていく。馬が殺られたのだ。
町の門番が気付けば、アリギエの騎士達が駆けつけてくれるだろう。
客達は身の安全に安堵し、神の名を口にしていた。
そして彼らの救い主である黄金騎士は、何も言わずに走り去ってしまった。
盗賊達を昏倒させた後、なぜか苦しそうに頭を抑えて、だ。
「モレク、奴が俺達の探している『黄金の勇者』か?」
馬車から数歩離れた所で、用心棒は小声で誰かに囁く。
女の声の返事が彼の耳に聞こえた。
「何を言ってますの緑昇? 欠片も似てませんの。
あれはただの黄色に塗られた鉄の鎧。目的の『強欲の鎧』は本物の金で出来てますのよ?」
「だが奴の槍はその『金』で出来ていた。
あれが事前に聞かされていた『真実の富』という槍ではないのか?」
緑昇と呼ばれた男とモレクというらしい女の声は、しばらく言葉を交わしていた。
そこに御者の男性が近寄ってきて、声をかける。
「お、おい、アンタさっきから誰と話しているんだ?」
「――いや、独り言だ」
緑昇の周りには誰も居なかった。
「私知ってるんです。エンディックんの……お母さんを殺した黄金騎士の正体を」
「頼む! 教えてくれ! 母さんは……誰に殺られたんだよぉ?」
「聞いてどうするんですか? 復讐?」
「あったり前だろ……今は子供だけど、大人になったら強くなって……あの羽の化け物よりも強くなって、絶対に仕返ししてやる!」
「良かった。それなら教えても躊躇ったりしませんよね。それは」
少女が指し示した先に、少年が探していた『仇』が居た。
そしてそれが『偽者の富』を纏う始まりだった。
(スレイプン王国・クスター地方・街『アリギエ』・教会近くの孤児院)
「それでこの様かよ。情けねえ」
狭い部屋の両側に二段ベッドが一つずつ有り、ドアから右側は空。左には四人の人間が下段に集結していた。
コルレとキリーという二人の男の子がいびきをたて、スクラという少女がそれを聞きながら熟睡中。
三人とも十歳にも満たない幼年幼女である。
対照的に三人にのしかかられ、うなされている十八歳の少年エンディック。
彼は窓から差し掛かる朝日と子供達の安眠妨害に助けられ、起床した。
「テメーら結局ここで寝たままか。これだからガキは……」
そういうエンディックの容姿もまた幼い。
金髪の尖った頭に金目。体は鍛えられているのだが、身長が同年代に比べると小さい。なので今まで歳相応と扱われないことも多々有った。
彼は昨日、三年ぶりに第二の故郷であるアリギエに、この孤児院に帰ってきたのだ。
旅の疲労が溜まっていたエンディックを、幼馴染が出迎えてくれた。
すぐ寝床へ案内してくれたのだが、そこは子供達の寝室。
三人の子供はいきなりの来訪者を、快く受け入れてくれた。
「――ドンナトコロニイッテキタノ?」
「ねぇねぇ、どこから来たんですか?」
「あのあの、何している人?」
全く物怖じしない彼らは次々に好奇心をぶつけ、エンディックを眠らせない。
さらに自分達のベッドに帰らず睡魔におち、エンディックもそのままにして目を閉じた。見た夢も悪夢だったのだが。
(帰ってきちまったんだなー俺)
エンディックは元々孤児ではない。八歳のとき、両親が自分を養えなくなったので、知り合いのライデッカー神父の孤児院に引き取られたのだ。
さらに一年後、シナリーという女の子が来て、二人はよく遊び、よく神父に叱られた。
だがエンディック自身の事情から、三年後に帰ると約束して、十五のときに旅に出た。
(昨日ライデッカー神父に出くわさなくて良かったぜ。あの糞ハゲのことだ。
息子が長旅から帰ってきたら殴っておくのが当然じゃーい、とか言って襲ってくるだろうよ。
疲れた身であの拳を食らったら、それこそトドメになっちまう)
「おっと、そこで何してんだ? シナリー」
部屋のドアの前に幼馴染のシナリー=ハウピースが立っていた。
エンディックを三年ぶりに自然に迎えてくれて、事情も聞かずに寝室へ案内してくれた、気遣いの出来る人間だ。
歳は自分より一つ上だったと、エンディックは記憶している。
白いブラウスに動きやすい短いスカート。昔より伸びた紫色の長髪の笑顔の少女。
少年にとって良くも悪くも、忘れられない友人であった。
「エンディックん……?」
昔からシナリーは彼の名を『エンディックん』と呼ぶ。彼女なりのあだ名なのだろうか?
そんな彼女は体をワナワナと振るわせ、顔面蒼白。
「あん……?」
悲鳴と共に振り上げたシナリーの手には、杖が握られている。
確かファイスライアという魔言杖で、ライデッカー神父が棒術でよく使っていた物だった。
「ま、待てシナリー! そんなモンで殴られたら二度寝しちま」
「いやああああっ!? なに神職者の家で同性愛と幼女愛と四身合体を発動させてるんですかぁっ!」
「お義姉ちゃんに嬉しいお知らせがあります!」
テーブルに料理を並べていたサーシャ=アウスラが振り返ると、シナリーが廊下から顔だけ出して、ニコニコと笑っている。
どうやら向こうに何かを隠しているようだ。
「何? アンタが財布でも拾って思わぬ大金を手に入れたとか~かしら?」
「じゃーん。今までどこほっつき歩いてるか知れなかった、エンディックんが帰ってきました」
彼女は床で無抵抗に倒れている人間の体を引きずって来た。
何やらボロボロになっているその少年の顔は、とても見覚えがあった。
「あ……あぁ……エンディック!」
サーシャは涙で視界を曇らせながら、待ちわびたその名前を呼ぶ。
そしてなぜか傷だらけの彼の体を抱き上げた。
「エンディック! 本当にエンディックなのね? あぁ心配したわ! 私、貴方がどこかで野たれ死んでるんじゃないかって毎日毎日心配で。無事帰ってきて、良かったわぁ」
「お義姉ちゃん、エンディックんがボロボロなのはですね? それだけ長く険しい冒険をしてきたからです。川を越え海を越え山を越え森を越え」
「お前に袋叩きにされたんじゃねぇかっ!」
復活したエンディックは、もらい泣きしているシナリーに吼えるのであった。
その後、起きてきた子供達を交え朝食をとる。エンディックの分はシナリーが作っていたようだ。
そっぽを向いて咀嚼する彼に、隣に座るシナリーは謝っていた。
「ごめんなさーい。でもエンディックんって昔からその気があったじゃないですかー?」
「お前……俺が居ないのをいいことに、悪評を言い触れ回ってたんじゃねぇだろうな?」
「まあまあ二人とも、子供達も居るんだし、イチャつくのは外でやってくれないかしら?」
このやりとりを仲裁したのはサーシャ。
二人、いやこの孤児院の中では、三人の子供達にとっても『お義姉ちゃん』ということになる。
ライデッカーは言った。孤児院の子供達は、自分にとっての子供だと。
先に居た者が、後から来た子にとっての義兄義姉になるという、取り決めをしていたからだ。
サーシャはエンディック達が連れられて来るより前から、ここに居る。美人でライデッカーと出会う前は、本人曰く『エロい仕事』をやっていたらしい。
髪は短く茶色。身に着けて居るものは修道女の服だった。
「しっかし三年の間に色々変わったな。義姉ちゃん、教会の試験に合格したんだな?」
「私から頼みこんでお義父さんに教わってたのよ。
宗教どうたらから薬の調合、ちゃんとした礼儀作法まで教えてくれたわ。私、頭悪いから相当勉強したけどね。
覚えられないときは、気合で覚えんかーい! ってうるさくて」
二人の会話にシナリーが思い出したかのように、割って入った。
「ちょっとお義姉ちゃん、ダメじゃない今その服着るのはぁ。シスター服は教会から支給された制服だよ。食べ物で汚したりしたらどうするの?」
「私はアンタみたいに着替えんのがめんどくさいの」
エンディックはその会話に、自分の予感が当たったことを知った。
シナリーも同じく修道女になったのだ。彼女が魔言杖を持っていたことから、そうでないかと思っていたのだ。
(アイツは修道女になった。魔言を使うことを『気にしなくなった』。シナリー、お前も前に進むことを、自分に許せるようになったのか)
思考していると、子供達が自分を見ていることに気付いたエンディック。
家族が自分達のあまり知らない人と親しげに話しているのが、気になるのだろう。
彼も幼いころ、ライデッカーを訊ねてきた同業者との、大人達の会話についていけなかった。
しばらくして金髪のボーっとしたような男の子、コルレが話しかけてきた。
「ネエ、エンディックオニイチャン」
それに青い髪の少年、キリーが続く。
「シナリー義姉ちゃんと、どういう関係なんですか?」
長い赤髪の女の子、スクラがニコニコしながら聞く。
「もしかしてー男女の仲って奴なのー? どっちが上なのー?」
忘れていた。彼らが遠慮などしないことを。
エンディックは年上として、子供達に注意をしてやろうとする。
「えへへー、バレちゃいましたか。私が上です」
「何でテメーが答えてやがるシナリーッ!」
子供達の期待に応えるシナリーを小突いたエンディックは、純粋無垢ではない瞳を向ける子供達に説明した。
「コイツとは幼馴染で昔からの親友だ。テメーらが想像しているようなことは一切ねぇ!」
「えへへー、友達って言われちゃいましたー。でも私が上です」
なぜか顔を赤くし、しきりに照れるシナリー。それをエンディックは怪訝な目で見つつ、彼が居ないことに気付いた。
この場に未だに現れず、先程のような戯言に必ず食いついてくるライデッカー神父だ。
「そういや義姉ちゃん、オヤジはどうした? アイツまだ寝てやがるのかよ?」
「お、お義父さんは……その」
言葉を濁すサーシャの代わりに、シナリーが彼の問いに答えた。
「お義父さんは、ライデッカー神父は……」
例えそれが、エンディックが望まない回答だとしても。
「お亡くなりになりました」