楽をまなびて 其の一
長女が大学に合格したのは今から三年前。あれは、十月の終わりだった。
その年の冬は妙に慌ただしく、合格の知らせを受け、皆で祝ったのも束の間、あっという間に年が代わり、あっという間に三月になった。
光陰は、まさに矢のごとし。
今思うと、この三年間も、本当にあっと言う間だったような気がするのだが、年を重ねたという自覚は、私にはあまりない。おそらく、毎日に忙殺されているせいだろう。
さて。そんな慌ただしい日々の中、いざ引っ越しという日は、物凄い雨で大変だったのを憶えている。
その日は、主人が仕事を休み、ワゴン車に荷物を積み、皆を乗せ、H市まで行ってくれた。
おかげで、雨は降ったが、なんとか無事に引っ越しすることもでき、よかったよかったと私たちは帰路についたのである。
が……。
どうも、主人の機嫌が悪い。
「またか……」
こんな時私はいつも、心の中でため息をつくのだった。
もちろん、主人の気持ちがわからない訳ではない。さぞかし、疲れてもいるだろう。何しろ、うちからH市までは、車で片道約五時間はかかるのだ。疲れてないと言うほうがウソだ。
しかし……。
帰り道、あまりの長距離に疲れただの、大変だったのと、ぼやくものだから、
「運転、代わろうか?」
と私が訊いてやると、
「どうぞ、助手席でお過ごしください」
丁寧かつ嫌味っぽく、主人は答える。
そうくるならば、
「そうですか。じゃあ、お願い致しますわ」
私もしれっと返すのであった。
慇懃無礼という言葉を、主人が知っているかどうかは別として……。
そう。私は自慢ではないが、車の運転には自信がない。運転を途中で「代わろうか?」と、声はかけたものの、「よし、代われ」と言われたら、正直言って、焦るところだ。
幸いにも、主人から「運転を代われ」と言われることは一度もなく、代わりに「おまえに運転させるくらいなら、途中で休憩しながら帰るほうがましだ」と言われ、自分で自分の首を絞めた主人は、とても疲れた様子で帰ってくるはめになった。
まあ、こんな嫁をもらった不運と諦めてもらうより他にない。どんな人にも短所というのはあるものだ。ただし、私が言うことではないかもしれないが……。
そんなわけで、主人が仕事を休めない時、運転が下手で(注意力欠如タイプ)方向オンチの(地図があってもなぜか迷う)私がひとりで高速を、しかも五時間も走るだなんて、とてもじゃないが考えられない。そんなことをしたら、自殺行為と言われるだろうし、主人からも「人様に迷惑だ!」ときつく止められている。
よって、長女の元に私一人で行く時はいつも、高速バスを利用することにしているのだった。
と言っても、入学式の日を含め、私だけで長女の元へ行ったのは、長女が三年生になる今までにたった二回。今回でやっと三度目だ。決して自慢できる回数ではない。
世間の一般的な親たちは、子供が遠く離れた大学にいると心配で度々様子を見に行くものだろう。娘たちからも、
「同級生のなんとかチャンは、お母さんが毎月様子を見にやってくる」
なんて話もよく聞く。
しかし、仕事が忙しく、余裕もない我が家の経済では、よほどでなければ、行かれない。親がまめに訪れる友人の話を娘たちから聞くにつけ、「うちは、なんと薄情な親だろう」と、娘らに対し申し訳なく思うのだった。
さて。そんな経済的危機にある私が、今回、わざわざ往復運賃一万八百円也と、その他諸経費(早い話が小遣い)を使ってH市まで行ったのは、よほどのことがあったからに他ならない。
そう。なんと、大学で催される演奏会に、娘たち(娘を含む女子音大生六名で結成したアンサンブルグループ)が出演をすることになったのだ(ヒューヒュー)。
しかも、ただの演奏会ではない。誰でも簡単には出られない演奏会なのだ(ヒューヒュー)。
この演奏会、在学生徒たち500人ほどの中からオーディションを行い、それに合格しなければ出られない。しかも、出演できるのはたった二組だけという、ちょっと残酷な感じすらしてしまうシビアな制限付き。だから、生徒にとっては難関と言っても過言ではなく、当然長女たちも、あたって砕けるつもりでオーディションを受けた。
「無理だろうけど、せっかく練習したんだから、一応、受けるだけ受けてみよう」
と、言いながら……。
ところが。
なんと、夏休み前に、受かったと知らせがきたのである。
「お母さん、あのね、夏休み、短くなっちゃった」
演奏は管楽器とピアノのアンサンブルであるため、当然、皆で合わせ(一緒に練習すること)をする必要がある。
「オーディションに受かったから、夏休み中に、大学で合わせをしなくちゃいけないの」
長女は去年の夏休みも、講義だの、レッスンだの、伴奏だのと言って、ほんの一週間ほどしか帰省できなかった。だから、今年の夏休みはしばらく実家でのんびりできると、私も娘も楽しみにしていたのだが……。
なんとも、いたしかたないものだ。
いや、嬉しい誤算と喜んであげるべきだろう。
さてさて。そんな、夏休みまでを潰すような過酷なオーディションに、めでたく合格した長女たち。私も親として、一もニもなく、金もなくとも、H市まで行きたい、聴きたい、いやいや、なんとしても聴きに行かねばならない。
当然のごとく、そう考えた。
しかし……。
「おまえが行ったからって、演奏がうまくなる訳じゃないだろ?」
なんてことを、主人は言うのだった。
そう。実はうちの主人、音楽のおぼえがめでたくない(世間ではこれを、オンチとも言う)。だから、何かにつけて、音楽をバカにするものだから、私にはそれがどうにも腹立たしい。
「娘の晴れ舞台よ? 聴きに行ってやりたいと、あなたは思わないの?」
気分はすっかり喧嘩腰だが、ここが我慢のしどころである。目標達成のため、私はぐっと言葉を飲み込んだ。
思い返せば、長女が音大に進学したいと言いだした時、主人は当たり前のように反対していた。
「音大を出て、何をするんだ? 演奏家になれるほどの才能なんて、あの子にあるわけないだろう!」
「音楽じゃ、飯は食えん! 金だって、いくらかかると思っているんだ!」
まあ、確かに主人の言う通りである。音大を出ても、よほどの運と才能の持ち主でもない限り演奏家として大成はしないし、普通の実力程度では、はっきりいって、仕事はあまりない。よくて音楽教室の先生か学校の音楽の先生で、しかも少子化の昨今、新たな採用は皆無に等しい。
主人に限らず、長女の同級生の親の中にも、音大への進学を反対する人が何人かいた。泣く泣く音大進学を諦めた子も、一人や二人ではない。
しかし、そんな主人でも、やはり娘は可愛いのだ。 私が十回説得するより、娘がわずかに一回「音大に行きたい」と涙ながらに訴えたほうが効果がある。
やがて、娘に泣かれた主人は、渋い顔で音大進学を了承したのであった。
世の男親なんて、みんなこんなもんだろう。女房には口角を下げ、娘には目尻を下げる。
そんなわけだから、今回もH市行きをしぶるだろうことは想定の範囲内だった。だから私と長女は策略をめぐらせ、主人をあの手この手で拝み倒し、どうにか了解をとりつけた。
かくして、私のH市行きが、無事決まったのである。
さてさて。演奏会が行われたのは、九月二十四日。
前日から、全国的にいきなり秋が到来したような気候だったので、寒くはないだろうか? と心配したが、日中は半袖でも寒くはなく、ちょっと日向を歩くと少し汗ばむ程度だった。しかし、夕方、日が落ちてからは、急に涼しさが増し、一枚羽織るものが欲しいと感じるくらいに寒い。上着を持ってきたのは正解だった。そんな秋の色が深まった黄昏ゆく時刻に、長女たちの演奏会は始まったのである。
会場となったのは、音大敷地内に建つ、約800人収容のコンサートホール。うちの音大にはこのホールの他に、約200人収容の小ホールが館内にあるのだが、今回は大ホールでの演奏会だ。
ホールの入り口には音大にふさわしく、芸術的な彫像が飾られ、敷き詰められた赤いカーペットは、靴が沈むほどにやわらかい。そして、足を踏み入れたホール正面には荘厳なパイプオルガンが壁一面を埋め尽くすようにせり上がり、舞台上にはスタインウェイのコンサートグランドが黒く艶やかに光っている。緊張感は、否応なしに増すのだった。
きっと今頃は、長女たちも緊張しまくっているに違いない……。
そんなことを想いながら、プログラムを受け取り、私は席に着いた。
演奏曲は、トゥイレ作曲、「ピアノと管楽器のための六重奏曲」――。
オーディションに受かったと知らせのあった日、長女からタイトルだけは聞いたのだが、音楽の素養がない私にはさっぱりわからない。
「えっ? トイレ?」
「ちゃう、ちゃう。トゥイレ」
「誰それ? 知らんし。てか、どんな曲?」
「んー、第一楽章の出だしは、ララーラララッ、ラララッ……」
「あーっ、ごめん。やっぱ、聴いても知らんわ。わからんし」
「なら、YouTubeとかで検索してみたら? もしかしたら出るかも」
娘たちとの通話料は、家族割引で無料である。したがって今は、娘たちとは電話もメールもし放題。一昔前なら、一人暮らしの学生が家に電話を引くどころか、公衆電話での連絡さえ通話代が高くてままならなかったのに、今の学生は恵まれている。ただ、そのおかげで、親としても子供の様子がつぶさにわかり、心配も軽減されるのだが……。
おっと、話がそれてしまった。元に戻そう。
さて、娘たち。ちゃうと言いつつも、仲間うちでは、ちゃっかり「トイレ」と言って、笑い合っているらしい。YouTubeで検索してみると、なんとびっくり、件の曲の動画もある。
世界に広がるインターネットの奥の深さ、広大さに、底知れぬものを感じつつも、便利な世の中になったと感嘆するのだった。
そして、YouTubeで予習をしたかいもあり、私は存分に演奏会を堪能させていただいた。演奏はどの出演者もすばらしく、ホールの音響のよさも手伝って、いつもよりも上手く演奏できたと感じるほどだった。
演奏終了後も、大学の先生方や関係者たちから「おめでとうございます」と声をかけられ(演奏会などでは、出演おめでとうというような意味なのか、演奏者に花束などを手渡す時や挨拶をする時には、『おめでとう』と言うらしい)私は先生方にお礼の挨拶をし、夜は更け、感激の余韻をつれたまま、長女の暮らす狭いマンションへと帰宅したのであった。
あー疲れた、あーよかった。
ところで、余談であるが、長女が暮らすこのマンション。地上八階、地下一階建てで、地下はライブスタジオになっている。
平日でも七時ごろまで、土日祝日は九時近くまでライブやバンドの練習などをやっており、長女が借りている五階の部屋の中にいても、十分音が聞えてくるくらいに大音量だ。
そんなだから、入居条件に楽器持ち込み、ペットもオッケーと書かれていたのだろう。管理者側は「多少うるさくても、文句は言うな!」というスタンスらしく、決して高い防音措置がなされているわけではないようだ。
で、その、ライブスタジオではよくイベントがあり、ヴィジュアル系バンド大会やコスプレバンド大会みたいなのもあるらしく、マンションの入り口付近で、クラウザー二世(?)風のメイクをした人や、髑髏や鋲やジャラジャラのついたイカつい衣裳を着た人が、朝からうろついていることがよくあるそうだ。
長女が学校に出かける時間帯にもヴィジュアル族のたむろしていることが度々あるらしく、初め、長女は「睨まれたらどうしよう……」などと、びくびくしていた。
しかし、人を見かけで判断してはいけない。
イカつい格好の兄ちゃんたちは、いつも、にっこり笑って、
「お疲れさまでーす」
とか、
「おはようございまーす」「よろしくお願いしまーす」
と声をかけてくれるというのだ。
「どうもね、私がギターケース持ってるから、ライブ出演者とか、関係者と勘違いしてるらしいの」
マンション住人の中で音大生は、今のところうちの長女だけらしい。
イカつい兄ちゃんたちが、にっこり笑って娘に頭を下げているところを想像して、私は思わず笑ってしまった。
続く……。