都にありて
長女が通う音大は、政令指定都市であるH市の中心地に建っている。
引越しの日、大学から徒歩五分の場所にある市内で一番の繁華街を通ったとき、田舎者の私は人いきれに目眩がした。長いアーケードはどこまでも続き、通りは人であふれ、ひっきりなしに走る路面電車が乗客を吸い込んでは吐きだしてゆく。
つまり、結構なお都会なのだ。あたりを見渡せば洗練されたビルがひしめくように建ち並び、夜ともなれば、きらきらと眩しい光に満ちる。
そんな、賑やかな街中に建っているせいだろうか。入学式のとき、初めて目にした大学は、本館その他、とっても大学とは思えないような建物で、白いピアノが置かれた玄関ロビー(ホール?)や、隣接するコンサートホールなど、「まるで、ホテルのようだ」と私は思ったのであった。
しかも、そう思ったのは私だけではない。
入学式でたまたま隣に座った人も、「なんか、ちょっとだけ料金の高いビジネスホテルみたいな玄関ね」と言っていた。
おそらく、誰が見てもホテルのような外観なのだろう。通りがかりの地元の人に大学の場所を訊ねても、十人中、八人までが「知らない」と答えるのだと、長女がしれっと言っていた。
「うちの大学、玄関に一応大学名は書いてあるけど、字がちっさいし、あの外観でしょ。分かりにくいの」
入学試験のためにH市を一人訪れた日、大学の場所を道行く人に訊ねては、首を横に振られたらしい。長女はきっと泣きそうになりながら、大学を探したのだろう。音大らしくない建物を、さぞかし恨んでいるに違いない。
さて、そんな大都市にある音大に長女が進学を決めたのは、ギター科があったからにほかならない。クラシックギターの指導をしてくださっているS先生は、全国的にも名の知れた指導者で、うちの大学以外に某有名音大でも指導をなさっていらっしゃるのだが、とっても優しい好い先生である。うちのような三流音大には、もったいないような先生だ。
そう。音大といえば全国各地に数々あるのだが、ギター科のある音大となると数が限られている。先の章であげたような一流音大の中でも、ギター科のある大学は少なく、中でも、クラシックギターとなるとさらに門戸は狭まり、数えるほどしかないのである。
ちょっと、話が脇にそれるが、国立(ここでは、「こくりつ」と読んでください)もしくは公立の音大は、全国に四校(東京、名古屋、京都、沖縄)しかなく、その中にギター科のある音大は一校もない。したがって、ギターを音大で勉強したいと思ったなら、私立音大に行くしかないのだが、先に述べたように、その私立音大でさえクラシックギターとなると指導者が少ないのだから、クラシックギター愛好家は、とても肩身の狭い思いをするのであった。
うちの長女がクラシックギターをはじめたのは、高校のときだった。長女の通う高校にはクラシックのギター部があり、顧問のM先生は長女の通う音大の卒業生、つまり、今では大先輩にあたるわけだが、当時はただのハゲちょろりんな先生でしかなかった。しかし、侮るなかれハゲちょろりん。音楽を語らせると、その姿は後光がさすかのごとき魅力につつまれ(決して、ハゲが光っているわけではありません)、うちの長女はすっかりM先生の虜になったのである。
「もしM先生が独身だったら、わたし、本気で好きになっていたかも」
と、長女が瞳を輝かせてのたまうのを、私も何度か聞いた。
長女は「自称も他称もB専」とやらで、面食いではないのだ。つまり、B専とは、不細工専門という意味の若者言葉なのだが、長女の場合は好みがずば抜けてはずれていて、いくらなんでも……と、友人から言われるレベルであるらしい。
ここだけの話だが、M先生が妻帯者でよかったと、主人は密かに思っていたようである(ちなみに、うちの主人は先生に負けず劣らぬハゲちょろりん)。それほどまでに、長女の様子は本気っぽかった。主人の希望は、できれば、結婚相手は髪の毛がふさふさで……。
おっと。話を元に戻そう。
そんなわけで、長女は高校でクラシックギターにどんどん熱中していった。しかも、高二の頃には「GLC全国学生ギターコンクール」なんていうのにも出場できるくらいに腕前も上達し、大学進学後もギターを続けたいと思ったのである。
もちろん、誰もが賛成したわけではない。ピアノの先生からは「そんな三流音大なんかやめて、国立を受験しなさい。あなたはピアノ一本にしぼるべき」と言われたし、別の先生には「国立に行ってギターサークルに入るって方法もある。大きな大学だから、きっとギターサークルはあるよ」とも言われた。国立音大には、ギター科はなく、国立に進学するなら、ギターは諦めなければならない。だから、先生はそんなことを言ったのだろうが、ほんの気休めでしかないのだ。ギターサークルと副科の授業では比べものにならないことくらい先生だってわかっていたはずなのに……。「これは、国立のまわしものか?」そう、疑いたくなるくらいに、先生方がこぞって国立進学を勧めてきた理由は定かではない。しかし、それでも長女の意思はかたかったのである。なにしろ、M先生から「大学に行ってもギターを続けてほしい」なんてことを言われたのだ。そりゃ、どんな先生の一言より、M先生の御言葉を優先したくもなるだろう。
果たして長女は、H市にある音大に入学したのであった。
めでたし、めでたし。
ところで余談であるが、長女が高校でギターをはじめたとき、一番喜んだのは私の実家の母だった。
長女のところにわざわざ電話を掛けて、
「おばあちゃんはね、古賀政男が好きなのよ。今度、弾いてみてくれない?」
と、言ったそうである。
「へっ? コガマサオ? それ、誰?」
当然だが、長女は古賀政男なんぞを知るはずもない。曲はおろか、名前すら知らなかった。娘たちが幼いころに、私が明菜ちゃんからマドンナやデュランデュランまでさんざん聴かせたから、長女も年のわりには古い曲もかなり知ってはいるのだが、古賀政男はさすがに聴かせたことがないから知らなかったのだ。ってか、長女がやってるのはクラシックなんだけど……。
しかし、そんな事情は、母にはまったく関係ないことだったらしい。
年をとると、年々厚かましさが増すものである。いや、頑固になって周りの意見を聞くことができなくなると言うべきか。母は、娘の返事に躊躇うことも詫びることもなく、嬉しそうに弾んだ声で『影をしたいて』をリクエストしたらしい。
「長女が『影をしたいて』を弾いてるとこを、想像しただけで泣けてくる……」
後日、皺ばんで小さくなった目をしばたいて、母は涙を滲ませたのだが、あれから何年もたった今、長女が『古賀政男ギター曲集』の楽譜を購入するそぶりは未だない。というか、そんな楽譜、楽器店で売っているのも見たことがない。よって、まことに残念ながら、母が長女のギターにむせび泣く様子は、まだまだ当分見られそうもないのであった。