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露と答へて  作者: 夜露
23/23

里の暮らしは

 先の章でも書いたのだが、現在私は、野生の狸が庭先を走り回るような、超の付くド田舎に住んでいる。

 そして、ド田舎と聞いて、都会に暮らす皆さんは、長閑でほほえましい所を想像するかもしれない。たとえば、半自給自足の晴耕雨読生活や、春には山菜、夏には川魚、秋には木の実やくだもの、冬には鹿や猪の肉といった、山の恵みをフルシーズン堪能できる里山生活を想像して、「憧れるわぁ」なんて言う人もきっといるだろう。

 確かに、ド田舎の生活は、楽しいことが色々ある。山の恵みを堪能できるのはもちろんのこと、空気は綺麗だし、時間の流れも、心なしか緩やかな気がする。春の山桜や秋の紅葉など、うつろう景色の美しさも素晴らしい。今の時期だと夜はまた格別で、静かだし、虫の声が聞こえたりして、クーラーなどいらないくらいに涼しいのだ。晴れていれば星がざらざらと夜空一面に散らばり、ときどき流れ星などが見えて、本当に綺麗だと心から思う。

 が、しかし――。

 田舎暮らしは、そんないいことばかりではない。大草原の小さな家のようなカントリーライフを想像して憧れるのは大きな勘違いで、実際に田舎で生活している者にとっては、不便なことや不満に思うことがたくさんあるのだ。

 たとえば、日々の買い出し。一番近くのスーパー(と言っても、個人経営の小さな店で、品ぞろえは少なく価格は高い)でさえ、家から車で十分の場所にあり、あたりが薄暗くなる頃にはお店が閉まるから、夕飯の煮物を作っていて「あっ、ちょっとお砂糖が足りない」なんてことを言っても、すでにお店が閉まっていたりする。砂糖を切らさないように手際良く買い物ができるしっかり者の奥さんなら、困ることもないのだろうが、私のようなうっかり者は、よく買い忘れをするから困ることが多い。なにしろ、近くに夜遅くまで開いているようなドラッグストアーもなければ、コンビニもないのである。隣町の、さらに隣町に行けばコンビニもあるが、そこまでは車で片道四十分。往復で一時間以上もかかるうえに、夜の七時を過ぎてコンビニに砂糖を買いに行く手間と時間とガソリン代とを考えれば、「代わりにはちみつでも入れてみるか」ということになるのは当たり前だ(ただ、これはこれで、美味しかったりする)。そして、代用品がない時は、「続きはまた明日ねー」と笑ってごまかし、おかずの少ない夕飯になるのだった。

 田舎のギャル御用達の「ファッションセンターしまむら」までは車で片道五十分。シネコンのあるイオンまでは片道二時間弱。仕事が終わってから、ちょっと服でも買いに行こうと思ってみても、お店は軒並み閉まっている距離だから、ショッピングは休日まで待たなければいけない。小児科や耳鼻科のある総合病院までは、車で片道半時間(しかもめちゃめちゃ込んでいるから、待ち時間はいつも一時間以上)。産婦人科になると、車で一時間もかかる遠くの町にしかなく、妊婦さんは定期健診のたびに往復二時間も車に揺られ、振動で陣痛が起こるのではないかとハラハラする。

 ……と、つい、勢いにまかせて、へんぴな田舎の不便さをあげつらねてしまったが、誰に愚痴を聞いてもらったところで、暮し向きが便利になるわけではない。こんなところに暮らしている自分が悪いと思いつつも、過疎化に拍車がかかった田舎の不便さを嘆かずにはいられないのだった。

 ところで。

 今から十五年ほど昔の話になるのだが、私が暮している地区に、都会からある家族が引っ越してきたことがあった。いわゆるIターンというやつで、ご主人が無農薬有機栽培の農業に憧れ、就学前の子供たちを連れ、会社を辞め、縁もゆかりもなければ親戚すらもいないという、私の住む地区に引っ越してきたのだった。

 そのご家族とは子供たちが同い年だったこともあり、時々世間話などした。奥さんは都会育ちで、すらりとした美人。とても田舎で畑仕事をするような人には見えなかったので、さぞかし田舎の暮らしぶりにカルチャーショックを受けているだろうなぁ……などと、私は勝手に想像していた。

 そんなある日のこと。

 私が「こんにちは。暑くなってきましたねー」と声をかけると、奥さんが汗を拭う手を止めて「暑くなって、虫が増えちゃって、ほんと嫌だわ。ねえあなた、虫が出てくるの、嫌じゃありません?」と真顔で訊いてきたのである。

 まあ確かに、田舎に暮らせば、虫なんぞはどこにでもいる。名前のわかる虫もいれば、名前のわからない虫だっているし、蛙やトカゲやヘビなどが、そんな虫を追い求めて我がもの顔で庭先を這いまわっている。

 さすがに、それらの虫や爬虫類が好きだなどとは言うつもりもない。しかし、夏に虫が出るのは、季節がめぐってくるのと同じくらい当たり前のことであり、特に何かを思ったことも私はなかった。

 だから、なんとなく返答に困ってしまい「虫が嫌いなんですか?」と、訊いたのである。

 すると、奥さんは声を少し潜めて「最初はね、私も田舎暮らしにすごく憧れていたのよ。でも、こんなに虫がいるとは思わなかったのよ。もう、家の中にまででるのよ、クモやムカデが。気味が悪くて」と、誰かが聞いてくれるのを待っていたように、訴えるように言ったのである。

 その奥さんは「ムカデなんて言ったら、百足屋の足袋の看板でしか見たことがなかった」そうで、ムカデがこれほど気味悪く、しかも家の中にまで出るものだとは想像すらしなかったらしい。

 そう。田舎の家では、クモやムカデがよく出る。クモは年がら年じゅう家の天井や壁にへばりついているし、ムカデも、年間平均して六〜七匹くらいが出没し、たいていは夜、畳の隙間にでも潜んでいるのか、どこからともなく、かさこそという足音をさせて這い出してくる。洗濯をしようと洗濯機の蓋を開けるとムカデが潜んでいたりすることもあるし、お風呂場に両方が出ることもある。クモはこちらが何もしなければじっとしているから放っておくのだが、ムカデはあの気味の悪い無数の足で這いまわり、突進してくるからかなり怖い(しかも、噛まれると痛いし、一週間はかゆい)。田舎育ちの私でもさすがにムカデは大嫌いで、夏場になるとムカデ退治用のキンチョールが欠かせないのだった。

 だから、都会育ちの奥さんには、身の毛もよだつほどだったろう。

 他にも「朝、家の外に洗濯物を干しに出たら、物干し竿にクモの巣がはっていた」だとか、「窓にヤモリが二匹も張りついていた」だとか、やれアブに噛まれた、ヘビが出たと、田舎育ちの人間にとっては珍しくもない可愛らしい出来事にも、奥さんはいちいち驚き慄き、とても気味悪そうに身震いをしていた。

 そして、その虫嫌いが原因かどうかは知らないが、そのご家族は、三年ほどで、奥さんの実家のほうに引っ越すことになり、「やっぱりね、あの奥さんには田舎暮らしは無理よね」などと、近所のおばちゃんたちからも言われていた。きっと奥さんは、私にだけではなく、近所のおばちゃんたちにも「虫が嫌い」と訴えていたのだろう。

 さて。

 そんなわけだから、田舎で暮らしたいなら、虫と共存していく覚悟が必要なのである。壁に子供の手のひらくらいはあるクモが張りついていても、動じることのない落ち着きと、クモを生かしておく寛大さ(クモは蝿などを捕まえる益虫です)、そして、ムカデに素早くキンチョールを吹きかける機敏さが必要だ。

 私の母は子供のころ、蛙のお尻に麦わら(ストローの代わりだと思ってください)を突っ込んで、蛙を膨らまして遊んだそうである。それを聞いて、なんと残酷な遊びだろうと、私は思ったのだが、ムカデにキンチョールを容赦なく吹きかけている私には、母を非難する資格はないかもしれない……と、思うこの頃なのであった。

 私の友人に、ムカデを足で踏みつぶすというつわものが一人います。しかも、女性。当然ですが、ゴキブリも踏みつぶします。「気持ち悪くない?」と訊くと、「スリッパ履いてるじゃん」と、その友人は答えました。

 いやー、すごい。

 ちなみに、いまだ独身です。

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