さいはひの住む
山の彼方の空遠く、さいわいが本当に住んでいるかはともかくとして、都会から遠く離れた山の中には、野生動物がたくさん棲んでいる。たとえば私が暮している場所も例外ではない。あたりを見渡せば、山また山の自然豊かなところと言えば聞こえはいいが、はっきり言って、「超」と「ド」がいっぺんに付くような田舎なのである。先日も、道(しかも国道)を悠々と歩いているカモシカ(特別天然記念物らしい)を、まっ昼間に見た。鹿は夜行性だと聞いたことがあるのだが、昼間でもうろちょろしている横着なのがたまにいて、しかもカモシカは自らが保護されていることを知ってでもいるのか、車が来ても慌てる様子はまるでない。「悔しかったら捕まえてみろやーい」と人間をおちょくるみたいにゆっくりと道を横切り、山の斜面を優雅に駆け上がって行くのだった。
もちろん、出没するのはカモシカだけではない。ただの鹿などしょっちゅう徘徊しているし、狸にいたっては庭先を平気で走り回る。ちょうど去年の今頃だったか。洗濯物を干しに軒先に出ると、どこからともなくウ○コのような臭いがただよってきたことがあった。はて? 一体何の臭いだ? 鼻をつまみながら臭いの元を探ってみると、なんと、庭先にとぐろを巻いた(本当です)でっかいウ○コが落ちているではないか! しかも、これがキョーレツに臭い。私は新聞紙だとかゴミ袋だとかホウキだとか、思い付く限りを総動員してやっとの思いで片づけた。しかし、なんとなんと、次の日もまたでっかいウ○コが落ちていたのである。うちの庭先を勝手にトイレと決めたのか? 結局それから一週間くらいウ○コの置き土産は続き、猫よけの粉末やスプレーを庭に撒き散らして、ようやくそれ以後はウ○コ被害をまぬがれた。主人が言うには「あれは、狸のウ○コだな。狸は雑食だから、臭いんだ」とか。
そういえば昔、義父が畑でわるさをする狸を罠(ガマグチのような仕掛けで、触るとがっちゃんと閉まって足を挟むやつ)で捕まえたことがあったのだが、捕まっていた狸は、人が近付くと死んだふりをした。だらりと体を横たえて、とても生きているようには見えなかったのに、私たちが歩き去ると、むっくり頭をもたげて、様子をうかがっているのだから驚く。義父いわく「前にも一度狸を捕まえたことがあるのだが、死んでいると思って罠を外すと、とたんに生き返って逃げ出した」そうで、死んだふりをして人間を騙そうとするのだから、狸にばかされるという話もあながち嘘ではないかもしれないなどと思ったものだった。
とまあ、そんなド田舎なのである。あっちもこっちも野性動物だらけなのは当然で、かわいい兎も数が増えればたちまち害獣だ。農作物への鳥獣被害も半端ではなく、植林したばかりの杉や檜が、樹皮を兎や鹿に剥がされ、立枯れ状態になっているという話をきいたことも一度や二度ではない。畑の作物に至っては、収穫前に何かに根こそぎ齧られたり盗られたりするから、畑の周辺をネットで囲わないといけない。もし、このまま狸や鹿が増え続けたら、動物園の逆のようになって、人間が囲い(檻)の中で生活しないといけない日が来るのではないかと、最近は真剣に思ってしまう。たぶん、畑荒らしの犯人は狸か猿だろうという話だが、猿は防獣ネットなんかも易々とかいくぐってしまうから始末に負えない。今日も義母さんが「また、やえられた!」と、齧り痕だらけの茄子を前に嘆いていた。
そんなだから兎や狸が車に撥ねられるのも日常茶飯事で、道端で内臓のはみ出た無残な姿のまま転がっている死骸をよく見かける。車を走らせていて、あっ、何か轢かれている! と思って見てみると、たいていは狸か兎だ。たまにハクビシンや正体不明の何かがぺっちゃんこになっているのを見かけることもあるけれど、犬や猫が轢かれていることはまずない。しかも、それらの死骸は鳶や烏や狸やらが餌としてちょっとずつ持ち去っていくので、ハエがたかるのもほんの二~三日の間だ。一週間もすると、誰かが掃除したように跡形もなく消えていて、大いなる自然の摂理に、人間の罪深さを嘆く暇もないのだった。
で。
こんな大自然いっぱいの田舎暮らしをしていると、猪だとか鹿の肉をもらうことがよくある。
実はつい先日も、鹿肉をたくさんもらった。鹿肉は脂身が少なく、焼き肉にしてもよし、から揚げにしてもよし、カレーにも入れるし、シチューにしてもいい。子供たちも大好きで、何しろただなのだから家計も嬉しい。
山の恵みに感謝して、さいはひの住むという山の暮らしも、また楽しけれ。