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露と答へて  作者: 夜露
19/23

鳶が鷹

 この春、長女が無事に音大を卒業し、自宅に帰ってきてくれた。

 これは、実に喜ばしいことである。

 なぜなら、去年の今頃は、

「高知に帰っても仕事がないから、このままH市で仕事探そうかなぁとも思うんだけど……」

 などと、長女は言っていたのだから。

「冗談じゃない。高知にだって、仕事はある!」

 と、息巻いたのは主人だった。

 しかも、長女に面と向かって……ではなく、私に向かって、だった。

「もし、いま帰ってこなければ、そのうち好きな人とかできて、このままH市に住みついてしまうかもしれないだろう? いや、もしかして、もう好きな人がいるんじゃないだろうな? だから、向こうに残るだなんて……」

 そう心配する主人の気持ちはわからないでもない。しかし、

「だめだ、だめだ、H市に残るなんて。何がなんでも連れ戻す」

 なんてことを私の前では言ったくせに、いざ、長女の前に出ると、説得どころか、強いことは何ひとつ言えない。

「あー、あれだ。まあ、おまえの人生なんだから、おまえが自分で考えて決めたらいいよ。好きにしたら?」

 と、猫撫声で抜かす有様は、ウブな中学生が好きな子に告白できずにソワソワしているところにそっくりである。

 どうやら娘たちに対しては、家族でありながらも異性であるという照れとか遠慮があるらしい。娘たちが成長するにつれ、厳しいことを言うかと思えば、甘やかすように機嫌をとったりすることもよくある。そんな主人に私はつい、笑ってしまうこともあるのだが、その時ばかりは、激しく落胆した。

 なにしろ、長女と次女が大学進学で家を出てからというもの、我が家は火が消えたような寂しさで、頭髪が黄昏れ、生え際の後退した主人と二人、囲む食卓の味気なさといったら、形容しがたい虚しさが漂うのである。主人のためにはりきって食事の支度をする初々しさなんぞは、とっくの昔に忘れてしまった。食卓には前日の残り物が最低二品は並ぶ。「中年だから減塩には野菜よねー」と言い訳しながら、トマトや胡瓜の切っただけを並べる。主人も主人で、私を気づかう優しさなど欠片も見せず、「世間では、これを手抜きって言うんだよな?」などと嫌味たらしくのたまうのだ。結婚して二十数年。決して仲の悪い夫婦ではないはずなのだが、さすがに、毎日、のべつ仲よく話をするほどのネタはなく、ビールを飲みながら、明日の予定を確認したら、あとはテレビを見て独り言のように互いが何かをつぶやくのが、日課のようになっていた。

 だから、私は、長女に帰ってきてほしかった。話相手にならない主人の代わりになって、一緒に買い物をしたりしてほしかった。帰ってきて、賑やかで張りあいのある毎日が戻ってくることを楽しみにしていたのだ。

 だから、長女が「高知に帰る」と、言ってくれたときは、本当にうれしかった。


 が、しかし。

 しかし、である。賑やかで張りあいのある毎日というのは、意外と忙しかったりする。

 たとえば、食事の支度ひとつとってもそうだ。朝食は主人はご飯と味噌汁派なのに、長女はトーストに紅茶派。長女の出かける時間(朝7時)にあわせて早起きしてお弁当を作ってやらなければいけなかったりもするし、夕食は長女の好きなおかずを一品、二品と追加で作れば調理も後片付けも時間がかかる。おまけに、洗濯物だってけっこう増えたし、長女のストレス発散のため仕事の話(長女は中学で音楽の時間講師をしている)も聞いてやらねばならないのだ。あー、娘たちが高校生だったころは、毎朝5時すぎに起きて娘たちのお弁当を作っていた自分が信じられない。頑張っていた自分を自分で誉めてあげたい、と、有森裕子さんのようなことを思うわがままな私なのだった。


 さて。先日のこと。

 初めてのお給料が出たからと、長女が「食費代」としてお給料の中から三万円を渡してくれた。

「あら、そんな気をつかわなくてもいいのに」

 と私が言うと、

「でも、お母さん、家計も大変やろ?」

 と言う長女。

 なんとできた娘なんじゃ。いったい誰が育てたんじゃろ。

「じゃあ、遠慮なく。ありがとうねー」

 かくして私は、生まれてはじめて、長女からおこづかいをもらったのである。


 ああ、長女が帰ってきてくれて、本当に良かったと、つくづく思う今日この頃である。


 ここだけの話ですが、長女には、大学の先輩でH市在住の彼氏がいます。

 実は、「お父さんが知ったら、絶対怒るから、内緒にしといて」という長女のたっての希望により、主人には、彼氏がいることを秘密にしています。

 知っているのは、母の特権。

 ふっふっふっ。


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