運命し人なれば
ここだけの話である。
かつて、口にだすだに恥ずかしく、尚且つ主人からも、果ては周囲からも思わぬ誤解を受けかねない話であるため、実生活においてこのことを口にしたことはなかったのだが、実は私は常日頃、主人が私にとって運命の相手であると、ひそかに思っているのだった。
いや、むしろ、信じていると言ってもいいかもしれない。たとえば、神様の存在を信じるのと同じくらいに、私は主人が運命の相手であると信じている。
もちろん、嘘ではない。
ただ、残念なことに、私の神に対する信仰心とは、そよと吹く風で簡単にスッ飛ぶ程度の軽いもので、困った時だけ熱心に拝み倒す身勝手きわまりない俄か信者だ。そんな身勝手な私が信じる神様の存在と同じくらいに主人のことを運命の相手だと信じているのであるから、まあ、どの程度の確信であるかは、推して知るべしというところであろうか。
誤解なきようまず申し述べておくが、私の場合「運命の相手」=「熱烈に愛し続ける相手」というわけではない。「結婚する運命であったと感じる相手」というほどの意味であって、常にときめきを感じる、昼も夜も愛しくてたまらない麗しい存在……ではないのである。
しかし、だからと言って、決して主人のことを嫌いなわけでもない。結婚してすでに二十数年連れ添った相手なのだから、嫌いな相手ではここまで結婚生活も続かないだろう。互いにそれなりの愛情を感じて結婚したことには間違いがないし、手を携えて乗り越えた苦難の山も、ひとつやふたつではない。すでに人生の半分を主人とともに過ごした私にとって、苦難を乗り越えた理由をいまさら愛情と呼ぶのは少々照れくさいが、惰性とか、連れ添った情と呼んでしまうのもしのびない。
ただ、このしのびなさが主人のことを「運命の相手」と思う理由ではないのである。
はっきりとした理由が他にある。
たとえば、主人の欠点を上げろと言われれば、私は両手の指をすべて折るくらいはすぐに上げられる自信がある。直して欲しいと思うところなら片手では足りないし、おそらく、主人にしても私の欠点をあげつらうことは容易であろう。お互い、完璧な人間ではないから、むしろそのほうが当然だと言えるかもしれないのだが、あばたが愛らしいえくぼに見える時期はとうに過ぎてしまった。いわゆる年数を経たごく普通の熟年倦怠期夫婦の例にもれず、それなりに互いが互いの欠点に腹をたて、存在を疎ましく思う日もあれば、飲み会や出張などで不在の夜を喜こぶことだって少なからずあるのだ。
ならば、なにゆえ運命の相手なのか。
ここまで読み返してみても、まるで主人への愛情などとっくに冷めてしまったかのごとき私である。しかし、どうか誤解しないでいただきたい。こんな私だが、それでも私にとっては、主人がいまだに少なからず運命を感じさせる相手であることに、やはり間違いはないのである。
そしてもちろん、嘘ではない。
その思いは二十余年を経た今でも変わることはなく、主人と結婚したことを後悔したことなど一度もない。ただし、主人が私のことをどう思っているか、後悔をしているかいないかについては、私の知るところではないのだが……。
さて、主人については、このエッセイにも数回、その存在を匂わせる程度には登場させている。拙文をいつもお読みくださっている皆様であれば、もしかしたら、頭のハゲた大人気ないオヤジか? というふうに認識されているかもしれないが、その判断であれば、概ね正しいと言ってよいだろう。
私より八歳も年上であるのに、娘たちからは「大きな子供」と呆れぎみに呼ばれ、ハゲ頭のせいで某友人からひそかに「住職」と呼ばれ(笑)、威厳をもって君臨したい亭主関白派のわりにはすぐに弱音を吐いてちやほやされたがるし、いまだに注射になると身構える「痛いの嫌い、病院嫌い」のメタボな困ったちゃんだし、いい年をして、まるでだだっ子のような人である。
なぜ、こんな主人と一緒になったか? と、周りから問われると、昔は決まって「ボランティアだ」と、私は答えていた。「私が一緒になってやらないと、この人、一生結婚できないんじゃないかって思ったら、気の毒になって、つい……」というようなことも付け足して、関西芸人のように笑いをとっていた。
しかし、最近では、そんな質問どころか、「若い嫁をもらっていいねー」などという、主人の友人たちのひやかしすらも、ついぞなくなった。年をとると90歳と80歳の差をあまり感じなくなるのと同じように、私たちも年の差を感じさせなくなったのだろうか。はたまた、破鍋に綴蓋という、巷間いわれるところの、似たもの夫婦になりさがってしまったのであろうか。世間には見た目も似てくる夫婦もいると聞く。おかげで私は主人と自分の容姿がそっくりになるところ(つまり……ハゲるところ)を想像して戦慄した。似たもの夫婦とはいっても、外見までが相似するわけではない。この想像はしないほうがいいようである。
ところで私は、子供たちを愛してやまない、自他ともに認める親バカである。
我が子というのは、いくつになっても可愛い。もちろん、人んちの子もそれなりに可愛いのであるが、やはり我が子に勝るほどの可愛さではない。器量が悪かろうが、スタイルが悪かろうが、頭の出来が悪かろうが、我が子ほどいとおしいものはないし、子の成長を楽しみにするのは、親の特権であると言ってもいいだろう。だから、昨今の虐待死のニュースや取りざたされるネグレクトなどの話を聞くと胸をふさがれる思いがするのだ。可愛い我が子を、なぜこんなむごい目にあわせるのだろう――と。
子供というのは、親がどれほど未熟な人間であろうと、全てを受け入れ愛してくれる、かけがえのない存在である。どれほどひどい母親であっても、どれほど未熟な母親であっても、生まれ堕ちた瞬間から、「お母さん、大好き!」と全身で親を慕い、ただ、存在することを求めるのだ。それは、私の子供たちにおいても同じで、私は何度子供たちの笑顔に励まされたかしれない。自身の未熟さに、あるいはふりかかる苦難に、くじけそうになった私の足元で、「お母さん、大丈夫?」と、不安げにそっと私の顔を覗きこんだ子供たちの顔を、私は忘れることはないだろう。この子たちの笑顔を曇らせてはいけない。そう思うことで頑張れたし、苦労も平気だとすら思えた。
だから、その無償の、無垢の愛情を受け取ることの幸福を理解できない親とは、不幸であると私は思う。自らの分身である子供から、生きる喜びを、あるいは幸せを、そしてさらには人としての成長までを私は与えられた。私自身が子供だった頃の記憶を呼び覚まし、子供たちとともに、一から育ち直しをしたようにすら私は思ったし、自分の生まれてきた理由であるとも思えた。これまでの私の人生は、子供たちを育てるためにあったのだと、大げさな話ではなく、私はこの子たちと出会うために、これまでを生きてきたのだとすら、思ったのである。
子を授かり、子とともに育つ喜びを与えられた私は、親として幸せであると胸をはりたい。
で、本題に戻るわけなのだが……。
私にとって、子供たちとの出会いは、間違いなく運命であった。
それは、おそらく前世より約束されたものであったに違いない。
そして、この子供たちと出会えたのも、主人という存在があったからに他ならないのである。
つまり……。
主人との出会いもまた、たまさかの邂逅などではなく、運命であったと言えるだろう。
長い年月をともに重ねると、つい、日々の中で主人への感謝の気持ちを忘れてしまいそうになるのだが、運命の相手だと考えると、おのずとハゲ頭も麗しく見えてくるから、いやはや不思議である。
そんなわけで、ともに白髪の生えるまで、手に手をとって、末長く……(いや、白髪ならすでに生えているか……あっ、私が総白髪になるころには、主人はツルツルかも知れない……ゲフッゲフッ)あ、あらためて、よろしくお願いいたしますね、ご主人さま(笑)。