酔うは楽しきものなれど
なんとも恥ずかしい話なのだが、私は自他ともに認める、酒好きである。
晩酌はほぼ毎晩。つまみは特になくてもいい。仕事が終わって、近所のスーパーで買い物をしている時、「今夜の献立は何にしよう」と考えるよりも「早くビールが呑みたいなぁ」と考えてしまうことが多く、夕飯の支度をしながら呑むビールは至福の一杯。もしかしたら依存症の域に達しているかもしれないと、ちょっと(いや、かなり)自分で呆れることもあるのだが、酒をやめる気はさらさらない。
私が晩酌を休むのは、吐き気や熱など、よほど体調の悪い日くらいだろうか(過去には、ひどい二日酔いで晩酌できないなんてことも二、三度あった)。少々の風邪気味程度ならば「アルコールで中から消毒だ!」などと言って、酒を呑んで治そうとするくらいだから(しかも、わりと治る)、「すごいじゃん、アタシ」と自分では思っている。素人さんにはとてもおすすめできない。医者に聞かせたら、きっと叱られる話だろう。
好きなお酒は何といってもビールで、晩酌でどれほど呑むかは、とても恥ずかしくてここには書けないのだが(最近はお金がないので、もっぱら発泡酒)、一緒に晩酌をする主人から、「金もないのに、オマエの方が俺より飲んでるじゃないか!」と、怒られることもしばしばだ。しかし、こんな私にとって主人の説教など、どこ吹く風なのであった。
ところで、私のこの酒好きな体質は、間違いなく父からの遺伝であろう。私の父は、近所でも評判の「大」の字が付く酒呑みで、今でも1ダースもの日本酒(一升入り紙パック)が、二週間ともたないというから、さすがに驚く(父は今年68歳)。母の話によると、「スーパーの買い物ポイントが10倍の日にお酒を買うと、あっという間にポイントがたまる」そうで、「昔はスーパーでお酒は売ってなかったからね」と、父の呑んだくれを責めることなく、何か得でもしているような気分になるのか、嬉しそうに笑う母を見て、「母の感覚も、父のせいですっかり麻痺してしまった」と私は思った。昔の母は、父の呑んだくれ性を「お金もないのに、こんなに呑んで」と、とても責めていた。母も年をとったということなのだろうか。あるいは、暮しむきに余裕が生まれたからなのか。もちろん、母から責められたところで父の酒好きが変わるわけではない。母なりの諦めなのかもしれない。
さて、そんな父、幸いなことにこれまで大した病気はしておらず、健康診断では肝臓のガンマーなんとかの数値もほぼ正常範囲内だと言うから、さらに驚く。
私が子供の頃、記憶の中の父は毎晩ビールの大ビンを一本あけてから、日本酒をコップで呑んでいた。夏ならば冷やで。冬ならば熱燗で。客でも来ようものなら、相手が呑めようが呑めまいが関係なく「まあ、一杯やれ!」と酒をすすめて、話がはずむとさらに酒をあおる。こんなだから、やってくるお客さんも多く(といっても、たいていは近所の呑み仲間)、昔は三日とあけず家で宴会をしていたように思う。もちろん、酔っぱらっての失敗も多かった。財布を無くして無一文で帰ってきたり、転んで怪我をしたりと(某歌舞伎役者のように殴られたことはありません)、そのエピソードは枚挙にいとまがなく、そんな父の醜態を目に(あるいは耳に)するたび、兄は「俺は親父のようにはなりたくない。大人になっても酒は呑まない」と言っていた。
が……。
この兄、今では父を凌駕する酒好きで、私よりはるかに酒に強い。よく行くスナックだか居酒屋だかのママさんからも「あんたが来ると、生ビールの樽が必ず空になるから、毎回注文しなくちゃならない」とか言われたらしく、「そんなに呑んだ覚え(記憶?)はないんだけど……」と、頭を掻いていた。
いやはや、まったく、親子とはいえ、似なくてもいいところが似てしまうとは。遺伝というのは、本当に奇妙なものである。
そんなわけで、さすがは蛙の子。兄も酔っ払って失敗を数々やらかしている。
先日も、小用で実家の母が私の家を訪れた時、その話を聞いた。
「もしかして、兄さんから、このあいだの話聞いてる?」
何の脈絡もなく私に問い掛ける母は、すでに笑いを堪えきれない様子だったのだが、
「えっ? 何の話?」
唐突すぎて、私はいったい何の話だか見当もつかなかった。
「最近は忙しくて、兄さんに電話もしてないけど……」
私の兄は、私より二つ上で、住んでいるのは同じ県内。三年ほど前に、実家から車で一時間半ほどかかる、県の中心部と言われる場所に家を買い、今はそこで暮らしているのだが、休みの日にはよく実家に帰って来る。
「兄さん、どうかしたの?」
私がそう聞き返したところ、母は、
「それがね、笑っちゃうの」
まるで、待ってましたと言わんばかりに話しはじめた。
「この前、兄さんが帰って来た時に、隣で○○くんと久々に呑んでね」
この○○くんというのは、実家の隣に住んでいる私たちの幼なじみである。兄より四つ年上で、子供のころは私も交えて毎日のように遊んだ隣のお兄さん。大人になってからも、兄とはよく釣りだのボーリングだのジムカーナだのと、一緒に出かけては遊んでいた。兄が実家にいる時は誘いあってたびたび一緒に呑んでいたし、気心の知れた友達の一人と言ってもいいだろう。
しかも、この○○くん、兄に負けず劣らぬ酒好きときているものだから、話の内容は、だいたい察しがついた。
「ふーん、それで?」
母の話によると、久々に呑んだものだから、二人ともかなり盛り上がってしまったらしい。夕方の5時ごろから呑み始めて、兄が○○くんの家を出たのが夜中の1時ごろ。
「その晩はなんと、大瓶のビールを二人で1ケース呑んで、それでも足りなくなってさらに缶ビールも数本呑んだみたいで……」
まあ、大瓶のビールを1ケース(20本)呑んだと聞いただけでもびっくりするのだが、さらに缶ビールって、どんだけだよ! って話だ。きっと二日酔いで晩まで頭が上がらなかったのだろう。どっかでゲロでも吐いたのか? と、私は想像した。しかし、私の推察を裏切り、話はさらに意外な展開をみせるのだった。
「で、兄さんったら、夜中の1時に○○くんちを出てから、今度は夜中の3時に、Мさんの家に行ったんだって……」
「はぁ?」
Мさんというのは70歳くらいのおじさんで、○○くんの家の西隣、私の実家とは反対側のお隣さん。一緒にお酒を呑む間柄ではないが、田舎だからもちろん顔なじみである。徒歩でなら、私の実家からМさんの家までは約1分。しかも、どうしてМさんの家に夜中の3時に行ったのか、さっぱりわけがわからない。
「何で、Мさんとこなの? ってか、何で3時?」
「それがね……」
どうやら泥酔した兄は、実家に帰ろうとして道に迷ったらしい。
「Мさんもびっくりしたらしいのよ。なにしろ夜中に兄さんが訪ねてきたんだから。『こんな夜中に何事?』と玄関に出て見たら、戸口に兄さんがいて、『さっきから家に帰ろうとしているのに、家になかなかたどり付けない』とかって、兄さんが言ったんだって……」
「はぁ?」
つまり兄は、酔ったせいで生まれ育った実家の場所がわからなくなり、夜中、約二時間もの間、実家の近辺をさまよい、他人の家(Мさん宅)のインターホンをならしていたのである。Мさんにとっては大迷惑な話だろうが、兄の様子を心配して翌日実家に事情を説明にきたときも爆笑していたらしいので、ご近所さんのよしみで許してもらったというところか。これが近所付き合いの薄い都会であったなら警察沙汰にもなりかねないところだ。田舎でよかったとつくづく思う。しかし、Мさんの話によると、さまよっていたいた兄、額と左腕にはどこで転んだのかわからないが擦り傷ができていて、着ていた服も汚れていた……らしい。
「でね、兄さん、そこからもまったく記憶がなくって、Мさんちに行ったことも憶えてなければ、帰ってきてからシャワーを浴びて服を洗濯したことも憶えてなかったの」
「はぁ? シャワーに洗濯?」
なんと、兄は、泥酔して帰宅したのち、シャワーを浴びて、汚れた服を洗濯機に入れ、ご丁寧に洗濯までして寝たというのだ。
「で、全然憶えてないの?」
「そう。まったく記憶なし」
結局兄は、翌日は夕方までベットに沈没していたらしく、後日、○○くんちとМさんちにお詫びに行ったという話だった。
お酒と言うのは、やはりほどほどがいいようである。
そして私も、ここには書けない失敗が数々ある……。
記憶がないというのは、ある意味、幸せなことかもしれないと、思ったりするのだった。