罪の在り処
セイナが負傷して城に運び込まれた翌日、自室でヨシュアは、現在までにローズフェルトから手に入れた情報を整理していた。
木製の大型の机に備え付けられた椅子に座り、報告された情報が纏められた紙の束を一枚一枚咀嚼するように黙読していく。
傍らには、隠密隊の制服を着た、小柄な少女が、少し緊張した面持ちで直立していた。
「アルフ、いまのところ、これだけですか?」
「は、はい!以上でありますヨシュア様。我々の力が及ばず、不満な点も多々あるかと―――」
「いえ、現段階では十分な情報量です。ありがとうございます」
「お褒めにあずかり、恐悦であります!」
アルフと呼ばれた少女は依然緊張したまま、ヨシュアに返答していた。表情は少し紅潮している。
アルフ=スティングラは、女性でありながら、少年と少女の中間に存在しているような中性的な風貌をしており、どこか幼さを感じる可愛らしい外見をしているが、実力で隠密隊副隊長の地位に登りつめた猛者であり、年齢はヨシュアより4つほど若い21歳である。加えて、とても似ていないが、隠密隊隊長であるウォルフの血縁でもある。
普段は、隠密隊の指揮をとっているが、ある事情によりセイナに命じられ、ヨシュアの護衛も兼任している。
「・・・さて、だいたい予想の通りですね」
ヨシュアはそういって資料を手に苦笑する。
現在手元にある情報は、セイナとヨシュアが欲したもののうち七割方揃っている。さらにそのなかの実に九割が『そうなったら厄介だ』と想像していたものが現実として確証が取れる情報であった。
しかし、そのような状況下にありながら、ヨシュアは許容範囲内だと冷静に考えている。
それが、イリアにて右に出るものがいないといわれる頭脳を持つ、智将ヨシュア=カインズと呼ばれたる所以である。
「アルフ、すみませんが、これらの書類を処分していただいてよろしいですか」
「はい!」
「毎度のことですが、あまり固くならないでください。アルフ」
「はい!」
「・・・ゆっくり行きましょう」
ヨシュアはアルフに先刻までの書類を渡す。
アルフが書類を持つと、一瞬にして書類が消失した。
書類の内容はヨシュアの頭の中に記憶されている。それを要約してセイナに伝えるのが、優先事項である。
「ヨシュア様、どちらに行かれますか」
「兄さんのところへ。アルフは引き続き、隊の指揮を執ってください」
「了解です」
ドアノブにヨシュアが手を掛けたとき、窓からバサバサという羽音と共に一羽の伝達用烏が飛び込んできた。
烏はアルフに銜えていた書簡を渡すと、再び飛び立っていく。
「新しい情報ですか?」
ヨシュアはアルフに視線を向ける。
アルフはその手紙を見て、表情を曇らせた。
「ヨシュア様、申し上げにくいことがあります」
「また悪い情報ですか。あの程度であれば平気です。それで、何ですか」
「陛下が病棟から逃げ出しました」
「・・・兄さん」
大抵以上のことでも動じない智将は、兄一人の行動に深く溜息をついた。
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「今頃、ヨシュア。怒っているだろうな」
「んなこと、私に言ったって知らないわよ。バカ王」
病棟を抜け出したセイナは、街の中央通りより一本奥に入った住居区にある古びた建物の中にいた。
部屋は狭くはないが、散らかっていて、床には所狭しと、乱雑に本や書類が積まれている。寝るスペースと食べるスペースが最低限確保されているといった状態である。
椅子に座り、小さなテーブルを挟みセイナと対面するようにして、女性が座っていた。
セイナと同じくらいの女性にしては高い身長、くせのあるロングの金髪が特徴的で目鼻立ちが整っているため、総合的に迫力のある美人であるが、反面服装がだらしなく、サイズが合っていない小さめのシャツは彼女の豊かなバストを強調し、ボタンの隙間から下着が見えてしまっている。またシャツの上に纏っている白衣も、ただ羽織っているだけの様相であり、肩が露出してしまうほどに着崩されている。何より、表情が面倒くさそうである。
ただ、言葉遣いやそのような態度をとっているにもかかわらず、セイナが気にするような様子はない。
「まあ、その通りだな」
「んで、何の用なの?ヒマな人」
「そう言うな、この前の礼に、な」
そう言って、セイナはテーブルの上に一本の瓶を置いた。酒である。
「おぉ、アンタにしては気が利くじゃない。それで、銘柄は・・・っと、前から飲みたかったヤツ!これ、中々手に入らないのよねぇ。」
「喜んでもらえて何より。先日は助かった、ありがとう、グレイス」
グレイスは酒瓶を抱き締め、先程までの表情が嘘のように嬉しそうにしていた。
「構いやしないわよ、あの程度。それにしても、よくこの酒がいいって判ったわね」
「シオンが、『グレイスさんに』って、言って渡されたものだ。ちなみに俺からは...」
「えっ!?嘘っ!私の天使がっ!?」
セイナの言葉を遮るように、目を丸くして驚きと喜びが混じり合ったような表情をするグレイス。
そして、立ち上がると酒瓶を部屋の奥にある錠前の付いた棚に仕舞い、戻ってきた。
「・・・飲まないのか?」
「天使からのプレゼントよ?そんな貴重なものを出しっ放しにする人間が存在する?」
「んな事、俺に聞かれてもな。それと、俺からは酒の肴なんだが」
「あ、ありがと。てきとーに置いといて、今日の喜びの感情使っちゃって品切れだわ。それより、アンタ。私の天使を困らせてないでしょうね?」
「・・・・・・ああ」
「例えば、アンタが私の病院に運び込まれて、それが簡単な傷だとしても、私が『コレは大変、強い毒が体に入ってしまっているわ』とか言って、アンタに毒を注入することも-――」
「最優先事項として肝に命じよう」
「お互い、良い関係でいたいものよね」
グレイスの態度に苦笑を浮かべるセイナ。
セイナとグレイスは、セイナがイリアの王になる以前から親交があり、グレイスをイリアに住むよう誘ったのもセイナである。
普段は、昼間から酒を飲み、自堕落な生活を送っているが、こと医学的な技術に関しては特一級である。また、多方面にわたる知識を持っている知識人であり、イリアにおいてセイナが強い信頼を寄せる人物でもある。
「それで、本題は何なのよ?」
「お見通しか」
「でなきゃ、アンタからわざわざ来ないでしょ」
特に態度も体勢も変えず、セイナに向き合うグレイス。ただ、そのリラックスしたグレイスの状態が、彼女の懐の深さを表しているようでもある。
「いま、捕らえている女についてなのだが」
「あぁ、あの子。それで何が知りたいの?」
「わかったこと全部」
「あんまり、がっつくと嫌われるわよ」
緩慢な動きでグレイスは床に積まれていた書類のうち、一部を手にとって、しげしげと眺めた。どうやらカルテのようである。
一通り目を通した後、グレイスはカルテをはじめに置いてあった場所とは違う場所に置くと、話し始めた。
「個人的に気になることはあったけど、まずは基本的なことからでいいかしら」
「ああ」
「怪我の度合いは、肋骨が何本か折れていたのと、腕の骨にひびが入っていた程度。それよりも魔力消費のほうが激しかったみたいね。丸二日起きないっていう診断も怪我より魔力に起因しているわ」
「魔力の性質は?」
「アンタもわかっているとは思うけど、『赤』よ。純度は最高レベルだったわ、彼女。あれなら分家筋というのは考えられないわね。おそらく直系よ」
それを、聞いても特にセイナは驚かない。
だいたい、予想していた通りであったし、あくまで今のところ確認事項を聞いているに過ぎない。
それよりも本題は、グレイスが『気になる』と言った事柄である。
おそらく、グレイスは、普通の医者が診ても気付かないようなことに気が付いているはずだ。
「後は若くて生娘、そんなとこよ。それでは応用といくわよ。ああ、これ別料金だけど、いい?」
「ああ、問題ない」
「んじゃ、私の気になったところなんだけど」
そう言いながら、グレイスは自分の頭を指差す。
「彼女、相当いじられているわよ。しかも、かなり巧妙にね」
グレイスは眉間に皺を寄せながら、話を続ける。どうやら彼女にとっても面白い話ではないようだ。
「アンタがフェンリルを使えば、まあ、あるいはといったレベル。要は相当高いレベルのもの。恐らくは禁呪、それに類するものね」
禁呪とは、その危険性から封印された古代の魔術であり、そのほとんどが、使用者に対しても相応の対価を要求するものであり、無論、まともな神経で使用できる代物ではない。
しかし、裏を返せば、対価さえ払えば強力な魔術を使用できるということでもあり、その誘惑に飲まれてしまった術者は少なくはない。
現在、発見されているものについては、各国において厳重に管理されているが、未発見のものも存在する。いずれにしろ、問題としては大きい。
「どんな命令に縛られていたのかは完璧にまでわからないけれど、いまは解呪されているわよ。たぶん、一時的に魔力が空っぽになったからじゃないかしら」
「そんなことで解呪されるものなのか?」
「あくまで、例えの話よ。ただ、この手の魔術は、いかに、それが自分の意思によって為された行為であると偽れるかを重要視するわ。なにより、危惧すべきは足がつくことだからね。よって、命令が完遂できなければ、人形としては用無しなのよ。そこで、手っ取り早く情報を隠蔽するにはどうすればいいか」
「・・・自爆だな」
「その通りよ。彼女、そういった行動を起こさなかった?」
セイナは思い出す。
確かに、シオンが彼女に向けて魔術を発動させようとしたとき、自分の体に魔術を集中させていた。
「負けが確定したとき自我を持ったまま自動的に自分を殺すシステムを植え込む。これは、簡単な魔術ではないわ。壊れている人間なら簡単、少し背中を押してあげるだけで事足りるわ。でも普通の人なら、生まれながらにして自分の死に対して制御装置を持っているわ。それがなければ生まれてから生きるという価値を否定することになるから。その生まれながらに持つ本能を捻じ曲げるなんてね。」
グレイスが懐からペンを取り出し、紙に一本の線を書く。
「例えば、そう、『ペンは書くために用いるもの』というのが自然なことよね。食べたり、刺したり、そういったものはペンからすれば不自然な行為なの。この魔術は、ペンが行うべき目的を食べたり、刺したりということに自然な形で置き換える。たぶん彼女は自分の行為が意に反したものであっても自然なこととして受け入れていたはず。」
持っていたペンの先をセイナに向ける。
「しかし、想定外のことが起きた。標的の近くに自分を圧倒する力を持つ者がいた。結果、目的を達成するために応戦するものの、体力もなくなり、自爆するための魔力もなくなった。せめて魔術の存在を悟らせないために自動的に解呪された。とりあえずこんなところじゃないかしら」
「なるほど、しかし、そうだとして、少し都合が良すぎる解釈ではないか?」
「禁呪は不明な点が多いのよ。まあ、表に出ないから仕方がないのだけど。なかには魔術自体が独自の意思を持つものだってあるわ。彼女に掛かっていたものが最良の選択を自ら判断したとしても可笑しくはないわよ」
「そうか」
セイナは腕を組み考える。
思っていたより、少し厄介なことになるかもしれない。
そのセイナを見て、グレイスは不満げな表情をしている。
「アンタ、ひとつひとつの反応が薄いから張り合いがないのよね」
「いや、これでも十分驚いているぞ」
「さようですか」
「それにしても、流石だな」
「医者として、人体のエキスパートを語る身としては、当たり前の技量よ」
グレイスの顔には余裕の笑み、指を軽く弾くとそこに青い静電気のような閃光が走る。
「どんなことでも、脳や体は記憶している。それらが発する信号を読み取ることが出来れば、簡単なことなのよ」
「それが、誰にでも出来れば、苦労はしないさ」
「あぁそれと」
言いながら、グレイスが机の上に出したものは難解な文字と紋様が描かれた布であった。
「こっちは専門じゃないんだけど、良い布ね。分厚くて丈夫。これで袋なんて作ったら便利よ。例えば、怖い狼の目から大切なものを隠せるくらい」
「...魔石を入れていた布か?」
「そうそう、油断は禁物。そうとう勘が鈍ってるわねあんた。」
「忠告感謝、気を付けるよ」
セイナは席を立ち、身支度を整える。
「追加料金については、また何か持ってくる。それまではツケといてくれ」
「楽しみにしてるわ。それと、私の天使をそろそろこちらに譲ってくれないかしら?そしたら、今後、アンタには無料で奉仕するわよ」
「ああ、断る」
「ケチ」
いつも繰り返される一連のやり取りに、お互い顔を綻ばせる。
セイナは後ろ手に手を振ると、グレイスは気だるそうに片手を上げて見送った。
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セイナが病棟に運び込まれた日から3日後、大広間の玉座にセイナ、両翼にシオンとヨシュアが立ち、大臣たちはおらず、騎士団の数人が入り口近くに待機しているだけであり、その空間における密度の低さが、緊張感のある空気を漂わせていた。
おもむろにセイナが口を開く
「連れてきてもらってもいいか?」
「はい、兄さん。アルフ、ここに!」
ヨシュアに呼ばれ、広間の入り口から二人の人間が入場してくる。
一人は隠密隊副隊長アルフ、そしてもう一人は手錠を掛けられ、飾り気のない白い服を着せられた赤髪の女性である。手錠には紐がついておりアルフがそれを手にしている。
広間の中央まで進むと、アルフと女は静かに跪いた。
「アルフ、彼女の手錠を外してはくれないか?」
「よろしいのですか、陛下」
「問題ない」
「それでは」
少しの困惑、しかし、アルフはセイナに言われるがまま女の手錠を外した。
セイナの横にいたシオンが背負っているバスタードソードに手を掛けようとしたが、それをセイナは片手で制した。
女は、手錠の掛けられていた場所を確認するように手でこすると、跪いたままの姿勢でセイナのいる方向へ視線を向けた。
「いまから、質問をする。正直に答えてくれ」
セイナは彼女と視線が合うと、彼女に対して話を始める。
女はセイナの言葉に首肯した。
「さて、事実確認だが、君は俺を殺そうとしたな」
「ええ」
「セイナ様に向かってその口の利き方はっ!」
「シオン、大丈夫だ」
一歩前に出たシオンを視線で制する。
「大丈夫だ」
「・・・申し訳ございません」
「君も、そのままで構わない。ただ真実を教えてくれればいい」
セイナの直球の言葉に対して、女の返答は冷静であり、達観しているというよりはどこか覚悟のようなものを感じさせる。
シオンを落ち着かせ、セイナは質疑応答を再開した。
「それは、君の意思によって行われたことなのか?」
「・・・・・・」
「正直に答えて欲しい」
「・・・わからない」
「その理由を聞いてもいいか」
「私は、あのとき確かに貴殿を殺そうとした。自分の意思で、その記憶も残っている。だけど、殺したいと思っていた理由が今の私にはわからない。目的があるのに、そこに至る過程が空っぽなのだとしか、私に言えることはない」
「そうか」
「信じてもらえるとは初めから思ってはいない。あくまで理由は私の脳内に存在するものなので立証は不可能だ。ただ、貴殿を殺そうとした事実だけが確実に存在しているのだからな」
女は、どこか自嘲気味な笑顔を浮かべ、言葉を発し続けている。
しかし、その瞳はセイナを捕らえ続けていた。
「私の頭がおかしいと、狂人だと、思っているのだろう?」
「・・・・・・」
「私を殺せ。国家の最高権力者を襲撃したのだ。それだけの罰を受ける重さの罪がある」
「『しようとしたこと』と『したこと』は違う。君が実際に犯した罪に対して、同等の罰が必要というのであれば、それは重過ぎる罰ではないのかと、俺は考えているが」
「一の罪に対して二の罰を与えよ。さすれば人は罪の重さを知るのだと父が教えてくれた」
「・・・ヨシュア、剣を貸してくれ」
「どうぞ、兄さん」
セイナはヨシュアからロングソードを手渡されると、そのまま、真っ直ぐ女に歩み寄った。
そして、女の正面に立つと、剣を頭上に高く振り上げた。
女はその姿を確認すると、首を差し出すように頭を下げ、目を閉じた。
広間は静まり返り、呼吸の音さえ聞こえないほどの静寂が訪れる。
「刑を執行する前にもう一つ質問する。これは別に嘘をついても構わない」
静寂の中、セイナの声が響き渡る。
「今ここに至り、君は」
柄を握る力を強くする。
「死にたいと思っているか?」
女はセイナの質問に、俯き目を閉じたまま答えた。
「死にたくない、それが普通だ」
「そうだな、俺もそう思うよ」
セイナは、そのまま剣を振り下ろした。
お久しぶりです(待ってないかもですが)
更新が滞りまくり、呆れ果てた方も多くいらっしゃるかと思いますが、実は私生活で変化がありまして、簡単に言いますと職が変わったわけです。
しかして、いままでの生活スタイルやら時間やらが大きく変わり、ごたごたしていたものですから更新できなかったわけです。大変申し訳ない。
これからは、土日更新がメインとなりそうです。
イレギュラーもあるかとは思いますが、其れはご愛嬌で