第4話 : 結婚式
王都の大聖堂は、朝から賑わっていた。
高くそびえる尖塔には白い旗がいくつも翻り、澄んだ鐘の音が絶え間なく響いている。
今日ここで執り行われるのは――
「ヴァレンティーヌ公爵家の令嬢と、あの怪物辺境伯のご成婚ですってよ」
「本当にいらっしゃるのかしら、リュミエール辺境伯……」
人々の囁きが、通りから大聖堂の内側にまで染み込んでくる。
◇ ◇ ◇
大聖堂の奥、花嫁控室。
磨き上げられた大きな姿見の前で、リリアーヌ・ド・ヴァレンティーヌはゆっくりと息を吐いた。
鏡の中には、いつも通り――いいえ、いつも以上に完璧な自分が映っている。
プラチナブロンドの髪は丁寧に梳かれ、うなじで滑らかにまとめられたシニヨンとなっていた。磨かれた真珠のような艶が、ヴェール越しにほのかに光を返す。
純白のドレスは、ジェロームの最高傑作だ。
胸元から腰にかけて細やかな刺繍が流れるように配置され、ウエストラインを強調する。裾に向かって広がるスカートは何層もの薄い布で構成され、歩けば空気をふわりと巻き込む設計になっていた。
(……ええ、これなら申し分ありませんわ)
首を少し傾け、光の角度を確かめる。
ステンドグラスから差し込む色付きの光が、白い布地の上で淡い影を作り、肌の白さをより際立たせている。
「お嬢様、本当にお綺麗でいらっしゃいます……」
後ろでコレットが、ため息混じりに呟いた。
「当然ですわ。今日のわたくしは、この世で一番美しくなければなりませんもの」
リリアーヌは当たり前の事実の確認をするように言って、鏡に映る自分の姿を満足げに確認した。
控室の扉がノックされる。
「リリアーヌ」
父オーギュストの声だ。
「入ってくださいませ、お父様」
扉が開き、父と母が姿を現す。
両親は、娘の姿を目にした瞬間、わずかに息を呑んだ。
「……本当に、見事だな」
「ええ……、言葉で表せないほど綺麗よ、リリアーヌ」
両親の言葉に、リリアーヌは満足げに微笑む。
「ありがとうございますわ。今日は、わたくしの美しさが最も輝くべき日ですもの。準備を怠る理由などございませんわ」
父はいつものように小さく肩をすくめた。
「……全く、お前はどこまでも一貫しているな」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
軽いやり取りに、控えていたコレットの肩の力も少し抜けたようだった。
「そろそろ時間だ。準備はいいか?」
「もちろんですわ」
リリアーヌは椅子から立ち上がり、スカートの広がりと裾のラインを一度だけ確認する。
「行きましょう、お父様」
「ああ」
◇ ◇ ◇
大聖堂の扉が、荘厳な響きを立てながら、重々しく開いた。
ざわめきが、ぴたりと静まり返る。
長く続くバージンロードの先、祭壇の前には、すでにレイドルフ・ド・リュミエールが立っていた。
黒の礼装に身を包み、鍛え上げられた体躯をまっすぐに伸ばしている。
大聖堂の中央扉から差し込む光が、リリアーヌの白とレイドルフの黒とをくっきりと分ける。
「……あれが、ヴァレンティーヌ公爵令嬢……」
「まるで絵画のようだ……」
招かれた貴族たちの囁きが、あちこちから漏れる。
リリアーヌは、父の腕に自分の手を添えた。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、視線を前に向け、一歩踏み出す。
裾が床をかすめ、布がさざめくように揺れた。
そのたびにレースと布が幾重にも重なって光を拾い、白い波が赤い絨毯を伝うように流れていく。
ゆっくりと、しかし揺るぎない足取りで歩を進める。
左右のベンチで人々が息を呑む気配がはっきりと伝わってくる。
祭壇へ近づくにつれ、レイドルフの姿が大きくなっていく。
彼は一度も目をそらさず、まっすぐこちらを見ていた。
最後の一歩を踏み出し、父の腕からそっと手を離す。
代わりに差し出されたレイドルフの手を、リリアーヌはそっと取った。
その掌は固く、温かい。
二人は祭司の前へ進み、静かに並び立った。
ステンドグラスの光が二人の足元に落ち、淡い色を帯びた影をつくる。
祭司が厳かな声で言葉を紡ぎ始めた。
「――リリアーヌ・ド・ヴァレンティーヌ。
あなたは今日、この者と生涯を共にし、互いを尊び、支え合うことを誓いますか?」
大聖堂に満ちた静寂が、ひときわ深くなる。
視線が一斉にこちらへ集まっている気配が、肌で分かった。
「――誓いますわ」
静かでありながら、よく通る声だった。
大聖堂の奥にまで、澄んだ響きが広がっていく。
祭司が、次に隣へ視線を向ける。
「レイドルフ・ド・リュミエール。
あなたは今日、この者を伴侶として迎え、生涯守り、支え合うことを誓いますか?」
レイドルフは微動だにせず立っていた。
鋼のように揺るがない体躯。
静かだが芯のある声が落ちる。
「――誓います」
短く、迷いのない返答だった。
祭司が両手を広げる。
「では――神々の御前において、この二人の結びつきを祝福いたします」
鐘の音が高く鳴り響いた。
大聖堂全体が振動したかのように、澄んだ音が続く。
赤い絨毯の上で、二人の影が重なって揺れた。
◇ ◇ ◇
大聖堂での挙式を終えると、式の流れに従い場所を移して、祝宴が始まった。
華やかな音楽と談笑の中、客人たちは次々と二人のもとへ挨拶に訪れる。リリアーヌとレイドルフは並んで応対に立ち、会話の主導は自然とリリアーヌが担っていた。
翌日は出立に向けた確認などを済ませ、さらにその翌朝。
本来であれば、もう少し王都で準備を整えてから発つのが常だが、辺境の情勢を鑑み、少し忙しない日程となった。
公爵邸の前には馬車と護衛が整えられ、朝靄の漂う石畳にひんやりとした空気が満ちる。
リリアーヌは裾を整えながら馬車へ乗り込み、レイドルフが静かに後に続いた。
ゆっくり動き出した馬車の窓から、王都の街並みが遠ざかっていく。
その景色を見送りながら、リリアーヌは心の内でそっと思う。
(さて……ここからが、わたくしの新たな舞台の始まりですわ)
朝の光を受け、二人を乗せた馬車は静かに辺境へ向けて進み始めた。




