第2話 : 美の追求
絶世の美女と怪物辺境伯の婚約――その一件は、王都の社交界に衝撃を与えた。
お茶会でも夜会でも、耳に入るのは自分の名ばかりだ。
噂好きのご婦人方がああでもないこうでもないと話し、街の人々までもこの婚約を話題にしていた。
だが、当の本人は。
「……本当に、皆さまお暇でいらっしゃるのね」
リリアーヌ・ド・ヴァレンティーヌは、静かな自室で窓辺から離れると、そのまま鏡台へと歩み寄った。
そこには、今日も完璧な自分が映っている。
陽光を細かく跳ね返すプラチナブロンドの髪。
宝石のようなサファイアブルーの瞳。
白磁のようになめらかな肌と、丁寧に整えられた眉のライン。
「……美しいわ」
満足げに呟き、リリアーヌは椅子に腰を下ろした。
外の喧騒など、どうでもいい。
世界がどう騒ごうと、変わらないものがひとつだけある。
――鏡の中の、自分の美しさだ。
◇ ◇ ◇
(……前の世界では、こんな顔を一度もできませんでしたものね)
ふと、胸の奥で古い記憶がざらりと揺れた。
わたくしは、いわゆる『転生者』だ。
前世のわたくしは、平凡という言葉すらもてあますほど「残念な顔」だった。
左右でわずかに違う目の大きさ。
ぼやけた輪郭。
いくら化粧を頑張っても、鏡の中の自分を見るたびに、溜息しか出てこなかった。
それでも美しくなりたくて、美容雑誌を読み漁り、化粧品の成分を徹底的に勉強し、食事や運動や睡眠の管理方法を片っ端から試した。
(結果としては、ほとんど報われませんでしたけれど)
努力を重ねても、土台が悪ければ限界がある。
結局、わたくしは整形手術をすることにしたのだった。
(しかし……どうやら手術の前に、わたくしは亡くなってしまったよう。理由は分かりませんが、気づいたときには――この世界の赤子でしたわ)
周囲の大人たちが「なんて愛らしいお嬢様でしょう」と口々に褒めそやす。
初めて鏡で自分の顔を見た時の衝撃といったら。
そこには、前世のわたくしがどれほど望んでも手に入れられなかった「完璧な美」があった。
「この美しさ……徹底的に磨いていかなければなりませんわ」
それからの日々は、ひたすら美の追求だった。
幼少期から、保湿や紫外線対策を徹底。
食事も肌に良いものだけを選び、甘い菓子や脂を控えるようになった。
侍女や料理人たちは最初こそ戸惑っていたが、ヴァレンティーヌ公爵家のお嬢様の意志は何よりも強かった。
◇ ◇ ◇
「そういえば、コレットと出会ったのも、その頃でしたわね」
鏡台の上に整然と並べられた瓶や壺を見やりながら、リリアーヌは小さく笑った。
まだ十歳にも満たないころ。
自分の肌に合う化粧水を求めて、王都の薬師を片っ端から訪ね歩いたことがある。
そんな中で出会ったのが、とある路地裏の小さな薬屋の娘――コレットだった。
彼女は、わたくしと同い年ほどの年齢でありながら、驚くほど豊富な知識と技術を持っていた。
「あなた、面白いですわね」
そう言い切って、わたくしはコレットを侍女としてスカウトした。
本来なら、公爵令嬢の専属侍女に平民の娘を付けるなどあり得ない。
しかし、そこは多少――いいえ、かなり我儘を通した。
父も母も、最初は渋い顔をしていたけれど。
それからコレットには、前世でわたくしが学んだ美容知識を片端から叩き込んだ。
食事、運動、睡眠、スキンケア。
化粧品の成分や、薬草の扱い方。
今や彼女は、わたくしの美容生活に欠かせない右腕である。
◇ ◇ ◇
美容の次に必要なのは、ファッションだ。
わたくしは、ファッションの研究はしたが、実際に服を作ったことがあるわけではない。
つまり、専門家が必要だった。
そこで、王都随一の有名デザイナー、ジェローム・デュカスと交渉し、味方につけた。
わたくしは、自分の頭の中にある前世のファッション知識を、ジェロームに具体的なアイデアとして提案する。
そして完成した品を自ら身に付け、社交界という最高の舞台で披露する。
それだけで、王都の流行は簡単に塗り替えられた。
(布や金属細工など、素材の確保には、王都最大手のコルトン商会にも協力させましたの。特にギルバートは有能で、わたくしの新作を並べるたびに目を輝かせて支えてくれましたわ)
見返りはもちろん、新しいアクセサリーなどのファッションアイテムと、この美しすぎる広告塔だ。
いつしか、お茶会や夜会では、皆がわたくしの着ているドレスや、つけているアクセサリーを食い入るように見つめるようになった。
「リリアーヌ様の新しい髪飾り、ご覧になりました?」
「真似したいけれど、同じものが手に入らないのよ」
その視線と囁きは、何よりの快感だった。
(そう。わたくしは、この世界において「美の基準」そのものになるのがふさわしいわ)
自己満足ではない。
世界のためでも、他人のためでもない。
わたくしがわたくし自身の美を最大化することこそが、結果として周囲を照らす灯火になる。
――それが、リリアーヌ・ド・ヴァレンティーヌの生き方だった。
◇ ◇ ◇
「お嬢様、失礼いたします」
軽いノックの音に思考を中断され、リリアーヌは「どうぞ」と声をかけた。
入ってきたのはコレットである。
「旦那様がお呼びでございます」
「わかりましたわ」
リリアーヌはゆるやかに立ち上がり、父の書斎へ向かった。
室内には、公爵と母エステルが揃っていた。
「リリアーヌ。リュミエール辺境伯家から書状が届いた」
「式の日取りの件ですの?」
「それもだが……前辺境伯夫妻は、防衛線が逼迫しているため式を欠席するそうだ。それ故、息子のレイドルフ殿だけを王都に送るとある」
「まぁ。大変ですわね」
リリアーヌは本当に、それだけの反応であった。
母が、少し残念そうな表情を浮かべる。
「せっかくの式なのに、ご両親が出られないのは残念ね」
「辺境を守る方々にわざわざ式に出ろだなんて申しませんわ。お仕事は大切ですもの」
それ以上、動揺も不満もない。
美を整えることに比べれば、婚礼の形式など些事に過ぎないのだ。
父は安堵したように息をつき、書状を机に置いた。
「……お前がそう言うならいいのだが」
公爵は、娘の価値観がこういうところでぶれないことを誰より知っていた。
「ええ。式は式で美しく行えばよろしいのでしょう?」
そう言って微笑む娘を見て、公爵夫妻はもう何も言えなかった。
(そういえば)
リリアーヌは、ふと思い出した。
(『リリアーヌ』は、乙女ゲームの悪役令嬢でしたわね。本編の前に結婚して退場したら、どうなるのかしら)
(まぁ、今更気にするようなことでもありませんわね)
リリアーヌは静かに会釈し、書斎をあとにした。




