その精霊は私のなので返却義務がありますけれど?上位や下位にこだわる元婚約者はそもそも選び取る権利も与えられていないのに偉そうに説教しないでください!身内が人質にされているから従っていただけですから
第一王子から婚約破棄されたのは今から五分前のことだった。突然、何の前触れもなくと言いたいがかなりそうなるだろうなという予測はできていたのでチェチルは胡乱な瞳でそれを眺めていた。
王子は婚約をなかったことにするといい、そばにいる美しい女人を指差す。
「お前がおれのように高位の精霊を召喚できたのならまだしも、下位の精霊しか呼ばないなど、そもそも不釣り合いすぎた」
チェチルはしがない子爵令嬢だが、元々は根っからの平民だ。異例中の異例で爵位を与えられて渋々拝命しているだけ。こんな貴族のしがらみなんて、初めから欲しくなんてなかったのに。
おまけに自尊心が強くてナルシストな婚約者。嬉しいわけがない。嫌なものと嫌なものを押し付けられた不快感。
「ああ、そうですか」
冷たく答えると、元婚約者になった男は顔を真っ赤にして言い寄る。
「下位下層の精霊しか呼べないことに恥を感じもしないのか!?」
この男はずっと高位精霊を己が呼び出してからというもの、プライドが国を壊しそうな大きさにまでミチミチと膨らんでいた。だれがここまで育てたのか?
雁首揃えて並べてもらいたい。
物騒なことを考えるのは堪忍袋がすでにこの男と婚約した時から、数多く破られてきたからに他ならない。
一体いくつ我慢してきただろうか。様々なことを、たくさんのことを失い続けていた。
平民から貴族に無理矢理底上げされてからというもの、幸運やら幸せとはかけ離れてばかり。
この最低な男と縁が切れるんならこの国を捨てたっていいとは思っていた。逃亡犯にされるけれど、構わなかったと思うわけで。チェチルは自分を手放す宣言をした相手を冷えた瞳で見つめて、契約を更新する。
「では、貸したものを返してもらいますね」
きっぱりと告げると彼はバカを見る目で「は?」と口元を歪める。ゲス顔やめろと言いたくなるが、我慢我慢。
お前如きが何を言っているとでも言いそう。こっちの台詞だと言い返せるけど、本人は無自覚なのか記憶を一部失っているのか、はたまた記憶から消し去ったのか。
人のものを勝手に使ってるくせに、なぜずっと延々と上から目線でいられるのかな。
呆れ果てて、無言でいると何も言わずに契約を解除する。すると、トレードマークのように付き従っていた精霊が消える。霧のように。
フッと音もなく消えた精霊に気付かないのは見てなかった人だけ。王子だけ。なので、周りの人たちがざわつく。
いい加減にしてほしい。その傲慢さが大嫌いだ。二度と視界に入られたくない。そう思うと相手から言ってくれてよかった。
「婚約の契約破棄に伴い、契約違反と不義理による契約時の文言にしたがって、あなたに与えていたもの全てを回収します」
一言で、ということは無理だが言いたかったことを宣告すると周りはザワザワして「どういうこと?」と皆が困惑していく。
「な、ふざけるな!人の契約精霊を勝手に!」
「それは!私の!精霊だから!ですっ!お忘れかもしれませんが!昔も!今も!私のです!王命で!あなたが!召喚したように見せろと!い!わ!れ!ま!し!た!」
王子が叫ぶからチェチルも叫ばざるをえなくなったじゃない?決して、周りに伝わってほしいから声を張り上げたわけじゃないよ?ほんとほんと!
それはもうぺかぺかキラキラな笑みを浮かべつつ大声で真実を叫ぶ。そうすれば周りもことの経緯を察した。王が命令して息子可愛さに法律を歪めたのだと。
本来なら、法律で精霊を他の人に貸し出すように強制することは禁じられている。
そうでもしないと、高位召喚ができる人が使い潰されてしまうから。王族が率先してやったので、これから王子と国王は国際裁判にかけられる。
証拠もちゃんと残している。脅された時の録音だ。幼かったけど転生者だったから録音なんて余裕でできた。
召喚もままならないくせにこちらを侮辱する婚約者の言葉も毎回録音済みなので、国際裁判と新聞に今後これが放たれる。
高位精霊を召喚したあとの脅しもバッチリ再現魔法を精霊が使用して証拠もあるし、なにより一番強いのは精霊が証言できる点。この言葉が言われた瞬間、国を裁くことのできる機関が動く。もう王族の誰もが逃れられない。
王子は衝撃の事実に口をパクパクさせて、言葉をなくしている。やはり忘れていたらしい。いや、思い出そうとして思いあたった節があるのか?
「父上が言ったのなら平民のお前はいうことを聞くのは当たり前だ!」
開き直ったのか、とんでもないことを言う。貴族たちは不味さに悲鳴をあげる。たった今自国の次期王が国際法律違反を口にしたのだから。それもちゃんと録音してるから安心して処されて。
脅してくる奴らを野放しにするつもりは初めからなかったもので。チェチルは相手を睨みつける。やつに従う必要はない。
「もう私はここにいる必要はないんです。あなたと話す義務もね」
高位精霊を呼び出して部屋を真っ白にする。霧を出して前後不覚にすると周りは叫びで満たされる。グラスが割れる音や怒鳴り声がシャンデリアも霞ませた。
「母さん、父さん!」
転移すると父と母に王子から婚約破棄され、ありとあらゆる契約がなくなったことを伝えた。そうすると二人は驚き目を合わせて頷くとチェチルにもいくわよ!と声をかけてくる。
こうなったときのためにこの国を去る準備をしていたのだ。我が家は平民だが少しの間だけこの国でパン屋をやろうと決めて住んでいた。
「チェチル、隣国の彼には?」
父が問いかけてくるので知らせているよと伝える。三人は取るものも取り敢えず他国に移動した。高位精霊に頼むとあっという間に国境を越える。
「チェチル!」
隣国に居たカトズが駆け寄ってくる。彼はずっと我が家と幼い頃からの幼馴染だったのだが、他国に拘束された三人に精霊を介して連絡を取り合っていたのだ。
実は自分たちは他国の人間なのだが、契約のせいで実質両親も人質にされていた。王子は精霊がいないからと甘やかされて伝えられていないみたいだったから。
「カトズ!カトズ!自由になったよ!やっと!」
思わず抱きついた。ずっと好きだった彼と婚約することを楽しみに召喚の儀を他国でやったせいで、こんなに時間を無駄にさせてしまった。
「チェチル、よく頑張ったな。おじさんとおばさんも」
もう待ってもらえないと泣いていたチェチルの元に、カトズの精霊が来た時から今日までに至る綿密な計画が立てられたのだ。
両親は苦く笑いながら「チェチルよりも大変じゃなかった」と言う。そんなことはないよと首を振る。故郷の国の場所に向かいカトズと即刻籍を入れた。
「呼び出し状?」
それを直ぐに察知したこの国の王が呼び出してきたから、警戒して彼の両親と六人で行かないと拒否した。違う国に行くべきかと移動の準備をしていると、国からの使者が慌ててやってくる。
「申し訳ない。言葉が足りませんでした」
かなり階級が上の人だ。精霊にもしもの転移を頼んでおき、六人は人質にされないように共に移動した。前回は離れていたからあっさり囚われの身になったのだから。
王城に案内されて六人はピリピリした空気を纏いながら、国王に謁見する。彼は歳若く鋭利な瞳をこちらに向けた。この人も敵になるのだろうか。
もうカトズと籍を入れているのを確認しているから、王命を出されても。心音がドキドキする。
「そう緊張するな。私はあなたたちを引き離す気はない」
そもそも引き離す権利は誰にもない。
「あの国には自国民を返すように再三言っていたんだが、自国の民に移籍したとばかりで……契約書を見たのだが、あんなのは奴隷と変わらん」
契約書がどんなものか知っていたのか。それだからか、同情を寄せた顔を見せてくる。しかし、王族なんてもう信じていないからどんな感情でも気にならない。
同じ種類だろう、どうせ。不遜な態度を取りながら何が言いたいのかと遠回しに問いかける。一応、王族の婚約者として教育を受けているので、目上のマナーに不足はない。
「伝えたいだけだ。この国も私も君たちになにも強制することはないと。法律で固く禁じられているのだから」
国王は真摯に目を向けてこちらを見つめていた。うん、信じられない。無理無理。チェチルが寿命で亡くなる前くらいになって漸く、信用するから。
「絶対に手を出さないと約束する契約書……宣言書を用意しておいた」
「はあ、そうですか」
「ありがとうございます」
両親たちはしっかりお礼を言う。大人の社交って、建前で大変そうだけど。
「チェチルさん。この国はあちらの国からの引き渡し要求に従う気はないので、安心してこの国に住んでほしい」
近くにいた違う貴族が話しかけてくる。そんなこと言われても、すぐにどうこう思うことはない。彼らに冷えた目を向けて頷くだけに留める。
「帰っていいでしょうか。私新婚なんです」
「ああ、来てくれてありがとう」
「失礼します」
「失礼します」
皆が王城から家に送られる。家に着くとそれぞれが息を吐く。無事に帰れたことに安堵する。
「よかった。また契約させられるかと思った。怖かった」
チェチルはぶるぶる今になって震える。
「チェチル、大丈夫だ」
「チェチル、もうあの国からは逃げられたのよ」
父も母も、チェチルを抱きしめる。高位精霊を呼び出す者は国に二人ほどいればいい方で、いない国もたくさんあるのであの国は無理矢理チェチルを国に留めたのだ。
それくらい高位精霊を召喚する人間は囲われやすい。ほとんどは貴族に嫁がされたりするからチェチルはカトズとの結婚を急いだ。
新婚夫婦になったのだから、頑張ってここまで漕ぎ着けた。もう、手放したくない。
「チェチル、もうあいつに怯えなくていい」
あの王子と結婚するなんて悍ましい。毎日毎日、低位精霊とバカにして人の高位精霊を連れ回して。召喚自体できないくせに偉そうに。殺意が年々溜まるばかり。
国王から後日国際裁判が開かれるので被害者として参加してもらえるかと問いかけの手紙を貰う。もちろん、出席する。
「カトズ、やっとことが動くよ」
パン屋の三階に住むカトズに声をかける。父と母の跡を継ぐために二世帯の家を探して四人で暮らしている。
新婚夫婦といえど、パン屋の仕事は待ってくれない。朝から四人で働く。精霊も楽しげに手伝ってくれるので高位精霊の珍しさでパン屋は人気だ。売れれば売れるほどいい。
「いらっしゃいませ」
「このパンは新作ですよ」
他国、または貴族たちのところで生きてきた経験はパン屋になんら影響を与えないので、本当に無意味だった。
と、思っていたけれど、数年後に川が雨で溢れた時に危機感を覚えて岩を押し上げ、町への水の流れを堰き止めた。その時の功績で待ってましたと言わんばかりに報奨金をもらって、準騎士爵も打診された。パン屋をし続けても、爵位はお飾り肩書きなのでパン屋をいつも通りやれるみたい。
「このタイミングで爵位が渡されるなんて」
「あの王はこういうときを待ち望んでたと思うぞ」
チェチルの言葉にカトズは笑う。パン屋の見えるベンチに座る二人からは、花の咲く歩道が見える。店は騎士爵のパン屋としてさらに発展していく。
裁判に関しては、チェチルへの長年の暴言。王子が本来の高位精霊の契約者の意思を無視した上、長年婚約者という地位に無理矢理縛りつける。一番重かった罪である、取り上げて自分の精霊と偽るなどなど、作為ありの搾取行為があまりに悪質過ぎた。早めの判決と有罪によりあの国は解体された。
それによりもう、過去が追いかけてくることはないと安心したものだ。夜もぐっすり眠れる。
「高位精霊召喚じゃなくて、お前の忍耐力で勝ちを得られた。誇らしい」
「あなたが待っててくれると教えてくれたから……頑張れたんだよ」
幼馴染の見慣れた顔を見て、この顔を見て歳を取れる奇跡にほろりと涙が一筋流れた。
逃げ切れてよかったという方も⭐︎の評価をしていただければ幸いです。




