1 婚約破棄と出会い
モンタギュー公爵の娘として生まれた私は、幼い頃から第一王子フィリップとの婚約が決められていた。
将来王の隣に立つ者として民に恥じぬよう厳しい教育を施され、私は周囲の期待に応えるべく努力を重ねた。
友達と人目をきにせずはしゃいだり、誰かと恋に落ちるような普通の少女の幸せを諦め、国のために尽くす。
それが私の使命なのだと思っていた。
だから、フィリップの言葉はこれまでの私のすべてを否定するものだった。
王としての戴冠を目前に控えたフィリップは私を呼び出してこう告げた。
「カドリーヌ、君との婚約を破棄する。」
「殿下、どうして?」
「どうしてもなにも、君は僕のことを王子としてしか見ていないだろ。
カドリーヌ、君にとって大事なのはこの国の王妃になることだけだ。
僕のことを愛してなんかいない。
僕は僕自身を見てくれる女性に出会いたかったんだ。」
「それで複数の女性たちと関係をお持ちになったのね。」
「ああ、そうだ。
でももう、彼女たちとの関係も君との愛のない婚約も今日までだ。
僕は愛するアリアのために生きると決めた。」
「アリア?」
「カドリーヌも知っているだろう。
先月の夜会に招いた聖女アリアだ。」
先月の夜会でのことを思い出す。
聖女とよばれる、教団ではたらく女性が王宮での夜会に招かれたのは私の知るかぎり初めてのことだった。
アリアは聖女らしく品のある、優しげな目元が印象的な女性だった。
私と彼女は挨拶を交わした程度であったが、アリアの知性を感じさせる落ち着いた声に好印象を抱いたのだ。
まさかアリアがフィリップの新しい恋人とは思わなかった。
「ともかく、僕は人生のパートナーにアリアを選ぶ。
だからカドリーヌ、君との婚約は破棄する。」
私のこれまでの努力は、こんな一方的な言葉で無にされてしまったのだった。
王家と公爵家との婚約が破棄されるなど通常あり得ないことだ。
しかもフィリップ王子の方から破棄したとあらば、事実はどうあれ世間は私のほうに問題があったと考えるだろう。
いわれのない噂をたてられモンタギュー家の名に傷がつくことを避けたかった父は、私を社交界から追放した。
そして私は僻地にあるモンタギュー家が所有する領地にいくこととなったのだ。
2時間も馬車に揺られてたどり着いたその地は、自然豊かな穏やかな土地だった。
農村の中でひときは目を引く大きな屋敷が私が引き取られる場所だ。
ここでの暮らしもそう悪くはないかもしれないと思ったのも束の間、出迎えてくれた人物に私は驚愕した。
「あんたがカドリーヌだな?」
尖った歯を見せてニタリと笑う彼女は、私がこれまで会った貴族階級の女性たちとはまったく違っていた。
装飾の一切ないシャツと細身のスラックスはどちらもカラスのように黒く、彼女の燃えるような赤毛を引き立てる。
しとやかに歩く淑女とは違い、ブーツの踵の音を響かせながら大股でこちらに近づいてきた。
「あたしはテレーズ。
あんたの叔母にあたる女だ。
といっても、兄貴とはずいぶん年が離れてる。
カドリーヌは16だろ、ならあんたとのほうがまだ近い。」
たしかに「あたしは23なんだから、叔母様だなんて呼ばないでくれよ。」と笑うところは年ごろの女性らしい。
けれども彼女の服装も言葉づかいも厳格な公爵家の人間とはとても思えなかった。
そんな私の内心を察してか、テレーズは「そう怯えるなよ。あたしはあんたが来てくれるのを首を長くして待ってたんだぜ。」といいながら私をソファへ座らせた。
「あんたも災難だったなぁ。
馬鹿な王子に振られて。
聞けばフィリップ王子はむかしっから女遊びばかりしていたというじゃねぇか。
そのくせ一方的に婚約破棄して乙女に恥かかせたんだろ。
あたしなら1発殴ってやったって気がすまねぇ。」
テレーズは私のすぐとなりに腰掛け、私の肩に手を回し親しげに話す。
「フィリップは愛のない結婚を嫌がっていたの。
私は王妃になることが大事で、彼を愛してなんかいないだろうって。
その通りだった。」
「あんたが悪いはずねぇよ。
王妃になるってのは国を背負うことなんだ、王子の機嫌取るよりずっと大事に決まってる。
てめぇのほうはカドリーヌをきちんと愛していたのかって聞いてやりてぇよ。」
テレーズは明るく私を励ますような態度をみせる。
だけど私は彼女の意図は別にあるような気がしてならない。
私を誘導しようとしている。
「なぁカドリーヌ、あんたさえ良ければあたしが手を貸してやってもいい。
あんたを傷つけた婚約者に復讐してやるのはどうだ?」
「ご冗談を。
フィリップは第一王子なのよ。
何をさせるつもりかしらないけれど、彼に危害を加えようとすれば王家に対する反乱になるわ。
私のような小娘が傷つけられた程度で平和な国に波乱を巻き起こすようなことはあってはならないわ。」
テレーズはひどく上機嫌な笑い声をあげた。
「こりゃご立派だなぁ、カドリーヌお嬢サマ。
あんたはよほどこの国が大切なんだな。
けど事の重大さをわかってねぇ。
アリアはあんたが思うよりもずっとしたたかで賢い女だぜ。」
「どういうこと?」
「あんた、怪しいと思わなかったのか?
聖女ってのは教会で神のために務める者だろ、生涯結婚しないんだよ。
それなのにフィリップ王子と恋人になるなんて。」
「禁じられているとはいえ、愛には逆らえなかったのかしら。」
テレーズは「こりゃまたずいぶん可愛らしいことを言うね。」と笑い出す。
「それはあり得ない。
アリアは教団に最も尽くしている聖女として評価されたからこそ王宮で夜会に招かれたんだぞ。
彼女は教団を裏切ることはしない。
奴らがアリアを王子に近づけたのは別の理由がある。」
「教団がアリアにフィリップに近づくよう指示したというの。」
「あぁ、その通りさ。
アリアは教団から送り込まれたスパイなんだよ。
王族を弱体化させてしまえば、教団は王にも勝る絶対的な権力を手にすることができる。
美しいアリアを近づけて骨抜きにしてやるのは、女好きと噂される我が国の第一王子にぴったりな策だろ。
アリアはきっと王子に多額の資金を教団へつぎ込むよう頼むだろうよ。」
「教団への寄付は神への信仰のあらわれでしょう。
それはそんなに悪いことかしら。」
「馬鹿をいうなよ。
王族とて無限に湧き出る金を持ってるわけじゃないんだぜ。
奴らは民から搾り取るんだ。」
「我が国の民が苦しめられることになるのね。
しかも集められた金は教団のものになる。
我が国のために使われることはない。」
「そうだ。
第一王子は愛する聖女サマのためにこの国に貧困をもたらし、教団のいいなりになろうとしているんだ。
なぁ、この国が大好きなカドリーヌお嬢サマ。
あんた、このままにしといていいと思うのか?」
国に危機が迫っているというのにこのまま見過ごすわけにはいかない。
けれども、婚約破棄された私に何ができるというのだろう。
狼狽える私に、テレーズは手を差し出す。
「カドリーヌ、あんたは国を救うために魔女の手を取る覚悟はあるか?」




