第98話:共存継承戦⑥
大型スクリーンには、峡谷でのカナトとエフィナのやり取りが無機質な青白い光となってリアルタイムで映し出されていた。
観客席で見ているダルガン陣営は各々、これまでの評価を口にしていた。
「ありゃあ駄目だぜ。完全にヴォルツのペースじゃねえか」
「従者の方は見どころありそうだが、肝心の魔王候補があれじゃあなあ……」
その中、ダルガンは腕を組みながら黙って成り行きを見守っていた。
エルネストとユナは、沈黙を保っていた。
エフィナの「どうしたらいいの?」という震えた声だけが、映像を通していつまでも残響のように漂っていた。
ユナが小さく息を吐く。
「……完全に、流れはヴォルツ側ね。ここまで綺麗に傾くとは思わなかった」
エルネストは頷く。
組んだ指を唇に当てたまま、焦点の定まらない目でスクリーンを見つめていた。
「カナトが悪いとは言わんが……最初にヴォルツと組んだ“理由”を、エフィナにちゃんと説明すべきだったんだ。ああして隠し立てをしたせいで、エフィナはずっと不信感を抱えたままになってしまった」
淡々とした声。
怒ってはいない。ただ、的確に現状の問題点を指摘しているだけだ。
だがユナが首を横に振る。
「私は逆です。あの時に説明しなかったのは、むしろ“正しかった”と思います」
「正しかった?」
エルネストが眉を上げる。
ユナはスクリーンに映ったエフィナの背中に目を向けた。
肩を震わせ、必死に涙をこらえていた少女。
自分の力不足を噛みしめ、誰にも頼りたくないと足掻く姿。
「彼女が、自分で気づかなきゃ意味がないのよ」
ユナの声は柔らかかったが、芯の強さがあった。
「カナトが全部説明してあげて、理由を教えて、安心させて……そんなふうに手取り足取りされたら、エフィは“自分で判断する力”を持てないまま。彼女は今、痛い思いをしてでも学ばなきゃいけない時なの」
エルネストは黙って聞いている。
ユナは続ける。
「今回の仲違いは、確かにヴォルツにとっては追い風。でも……エフィが自分の頭で考え、気付き、反省しようとしているなら──」
スクリーンに映る、取り残されたエフィナの影。
その影に向かってユナは静かに言った。
「彼女は必ず、立ち直ります。そうじゃなきゃ、私たちがここまでついてきた意味がないでしょう?」
エルネストはわずかに表情を緩める。
「……なるほど。だから“あれで良かった”というわけか」
「ええ。つらいけど、必要な衝突だったはずです」
スクリーンを前に、エルネストは長い沈黙のあと、腕を組んだまま低くつぶやいた。
「……だが、ユナ。“それを待つだけの時間”が、今のエフィナには残されていないんじゃないか?」
ユナがゆっくり彼に視線を向ける。
エルネストの瞳には、冷静な分析だけではなく、焦りと危惧がにじんでいた。
「このまま進めば、エフィナは確実に負ける。自分の未熟に気づくどころか、迷いを抱えたまま潰れてしまうだろう。彼女自身の限界も、戦況のタイムリミットも――残酷なほど彼女に味方していない」
ユナは反論しなかった。
むしろ、噛みしめるように目を閉じる。
「……わかってます。私もそこは懸念しています」
その声には、珍しく弱さがあった。
「エフィのまっすぐさは長所だけど、気づくまでに時間がかかる。あの子は“裏”を読めない。誰かの優しさや策略の意図を、自分の中で噛み砕くのに……人より倍はかかる」
エルネストは静かに息を吐く。
「制限時間内に、自分の判断の間違いを理解するのは難しい、ということか」
「ええ。今のままでは到底無理。だから、カナトとエフィの“絆”に賭けるしかありません」
ユナはそう言って、スクリーンの暗い中に消えそうな少女の影を見つめた。
「二人の間にある”本当の信頼”──あれだけは、ヴォルツでも壊しきれないはず。エフィが最後に縋るとしたら、それだけ」
エルネストはひとつ頷き、しかし別の角度から問いを放つ。
「……だが、ユナ。お前は最初から“共存継承戦の枠内”だけで考えればカナトは勝てる、と言っていたな。
あれはどういう意味だ?」
ユナは少し苦笑した。
スクリーンの反射光が彼女の横顔を淡く照らす。
「文字通りです。継承戦の“ルールだけ”見るなら、カナトはヴォルツに圧勝できます」
「なら、なぜ今それをしない?」
「できないんです」
ユナの声が低く落ちる。
その言葉には、重さがあった。
「だってそれをするって事はエフィを切り捨てることになるから」
エルネストの目がわずかに細まる。
ユナは続ける。
「もしカナトが本気になれば、勝てる。だけどその瞬間、エフィは置いていかれる。継承戦には勝てても、二人の関係は終わる。“試合に勝って勝負に負ける”……そんな形になる」
冷たい空気の中、その言葉だけが温度を持って響いた。
エルネストはしばらく黙り込んだ。
やがて、低くつぶやく。
「カナトは……そんな勝ち方を望まない、というわけか」
「はい。エフィが自分の足で気づき、立ち直ること。そして二人でヴォルツに立ち向かうこと。それが、カナトにとっての“正しい勝ち方”なんです」
ユナはスクリーンにそっと指を伸ばすように視線を投げた。
「……だから今は、あの二人を信じるしかないです。時間はないけど、それでも──最後に強くなるのは、必ず絆の方だから」
エルネストはゆっくり目を閉じ、小さく呟いた。
「……賭けるしかない、か。この綱渡りのような状況で……あの二人に」
エルネストは組んだ腕をほどき、ユナの言葉を反芻しながら、更に静かに問いを重ねる。
「……何度もすまんユナ。“カナトはヴォルツに圧勝できる”となぜ強く断言できる?カナトの力を評価しているのは理解しているが、それでも確信しすぎだ」
ユナは一瞬、息を止める。
その後、観測スクリーンに目を戻しながら言った。
「理由はひとつです。カナトはこの継承戦の更に先の事、“魔族と人間の共存”を心から願ってる。ヴォルツも含めて」
エルネストの眉がわずかに動いた。
ユナは続ける。
「今回、ヴォルツの案に乗ったのも、打算じゃない。“共存を選ぶなら、まずこちらも歩み寄らなきゃ”って、そう思ったんだと思います」
「だがヴォルツの共存は……表向きの理想でしかない」
「はい。ヴォルツは打算で共存を語る。必要だから手を組むだけで、必要なくなれば切り捨てる。あの人の“共存”は、いつか必ず破綻します」
ユナの声がわずかに低くなる。
「結局は力で従わせたいのよ。従うなら守ってやる、従わないなら捨てる……そんなの、共存じゃない。ただの主従関係です。初めに力を見せつけたのが何よりの証拠」
エルネストは静かに頷く。
だが、まだ彼の疑問は晴れない。
「では、それとカナトの圧勝がどう繋がる?」
ユナはゆっくり息を吸った。
そして──カナトの“過去の選択”を語りはじめる。
「カナトはね……エフィと出会ってから変わったのよ」
ユナの表情は、どこか懐かしさを帯びていた。
「エフィに出会うまではカナトも魔族に対して偏見はあった。でも、エフィには最初から自然に接してた──エフィを一目見て魔族にも人間と同じように、色んな人がいるって思ったんだと思います」
エルネストが軽く顎に手を添える。
ユナは続けた。
「だから、エフィが聖ヴェリシア王国に捕まって処刑されかけた時……カナトは本当に独りで助けに行こうとしてました」
エルネストの手が止まる。
「独りで、だと?それは何とも無謀な」
「ええ。本気で。……でも、独りじゃ何もできない。私や、父さん、それから信頼してる冒険者に止められて……その時、カナトは初めて“共存”を考え直したんだと思います」
ユナの声は、静かで、温かかった。
「独りで戦うんじゃなく、力を合わせる。人間だから、魔族だからじゃなくて……“エフィナを救いたい”という想いひとつにみんなを巻き込んだのよ」
エルネストは深く息を吐いた。
彼もまた、その出来事の当事者だったからだ。
ユナは話を続ける。
「周辺の街や村を説得し、蒼陽連邦まで動かした。幽閉されて、すべてを諦めかけていたあなたをもう一度立ち上がらせたのも、間接的にはカナト……」
エルネストは目を細めた。
それは否定できない事実だった。
「結果として私たちは聖ヴェリシア王国に一矢報いることができ、エフィナを救い出した。あれは奇跡でも偶然でもないわ」
ユナはまっすぐスクリーンを見つめる。
「カナトが本気で“共存”を願ったからこそ、私たちはみんながついていったのよ」
その言葉に、エルネストは沈黙した。
長い沈黙の後、彼はぽつりとつぶやく。
「……なるほどな。それが“圧勝できる”理由か」
ユナは頷いた。
「はい。カナトが本気を出したら、ヴォルツなんて敵じゃないわ。でも勝つためにエフィを切り捨てるくらいなら、絶対に本気を出さない」
スクリーンに映る、別々の場所で孤独に傷つく少年と少女。
ユナは静かに言った。
「ヴォルツの打算を打ち砕くには二人でないとダメ」
スクリーンを優しげな眼差しで見つめるユナ。
「……カナトが“共存”を誰よりも理解してる理由。それはね、この場にいる誰よりも……たぶん本人も無意識なんだけど」
エルネストの視線がわずかに鋭くなる。
ユナは静かに言った。
「両親を事故で亡くして、本当に、文字通り“ひとり”で生きていかなくちゃいけなくなったからです」
エルネストは言葉を失う。
「カナトはね、村のみんなに助けられながら育ったんです。畑仕事、荷運び、井戸の掃除、薪割り……どんな仕事も嫌な顔を一つせずに引き受けてくれた」
ユナの声が少し柔らかくなる。
「それが生きるためだったのはもちろんなんですけど……でも、昔カナトが言ったんです。“村のみんなと、楽しく生きていきたいだけだよ”って」
その時の光景を思い出しているのだろう、ユナの目は少し潤んでいる。
「恩返ししたいとか、役に立ちたいとかでもなく、ただ一緒に生きていたい……それ、共存そのものじゃないですか?」
エルネストはゆっくりと息をつく。
ユナは続ける。
「それにカナトには──なんて言えばいいのかしら……“人を惹きつける力”があるんです」
エルネストは苦笑した。
「……たしかに、分からなくもないな」
ユナは頷く。
「ただの村人なのにね。酒場に来る冒険者たちも、みんなカナトには気を許して、いろんなことを話したり、冒険での生き残り方なんかも教えてくれてたんです。冒険なんかに出る予定はないって、カナトはいつも苦笑いしながら対応してました」
ユナの表情は微笑みに変わった。
「逆に、カナトがいないと分かったら、“今日は帰るわ”って言って帰っちゃう冒険者もいたくらいなんです。みんな、カナトの事が好きなんです」
エルネストは目を細める。
ユナの声は優しく、どこか確信に満ちていた。
「カナトはね……“寄り添える人”なんです。相手がどんな種族でも、どんな過去でも。だから──」
ユナはスクリーンに映るエフィナの姿を見た。
峡谷を走り去り、ひとり震えていたあの姿。
「だから、エフィも……出会った最初から、カナトには心を許したんだと思います」
エルネストはその言葉に深く頷いた。
「……だろうな。何となく分かる気がする」
ユナは微笑んだ。
「ええ。だって──カナトは“共存”を願ってるんじゃない。カナト自身が共存そのものだから」




