第97話:共存継承戦⑤
ヴォルツの渋い声が虚鳴峡に響いた。
「もちろんだとも、小僧。好きに動け」
その言葉に返すように、カナトが深くうなずく。
対立するはずの相手ヴォルツと、まるで旧知の友のような落ち着いた空気で。
エフィナは、その様子を横目で見て、胸の奥がちくりと痛んだ。
(なんで……?)
喉の奥で、言葉にならない戸惑いが渦を巻く。
(どうして……敵対してる相手の案に乗るの?相手はヴォルツだよ……? 継承戦の“敵”だよ……?)
エフィナはカナトの判断が受け入れられなかった。
(……どうして、あんなにすんなり受け入れられるの?)
エフィナの眉がわずかに寄る。
怒りというより“裏切られた気持ち”に近かった。
カナトがヴォルツと親しげに話してる間にもエフィナは一人で三勢力に自分の思いを話していた。
だが向こうは、全く聞く耳を持たない。
何を言っても、否定。拒絶。敵意。
エフィナは必死に声を張り上げたが、一言一句届いている手応えがない。
(……どうして。どうして、あたしの言葉、誰も聞いてくれないの……?)
その疑問は、虚しく峡谷に吸い込まれていく。
焦り、不安、戸惑い、怒り――
それらが胸の中で混ざり合い、エフィナの思考をだんだん狭めていく。
(……もう、いい。カナトがヴォルツの方へ行くなら……あたしは“あたしだけ”でこの問題を解く)
そう思った瞬間、胸の奥に“冷たい決意”が落ちた。
(全部、自分でやる。だって、これはあたしの継承戦なんだから)
その決意は、強さではなく“孤独の始まり”だった。
三勢力は聞く耳を持たない。
カナトは敵対者と協力しようとしている。
ユナやエルネストもすぐ近くにいない。
(頼れるのは……もう、あたしだけ)
エフィナは気づかぬまま、“独りで抱え込む危うい選択”へと足を踏み出していた。
その目は、負けん気に燃えているのに、どこか苦しげだった。
虚鳴峡の空気が、急激に荒れ始めていた。
エフィナは、カナトから離れるように三勢力の間へと歩み寄り、再び必死に声を上げた。
「だ、だいじょうぶ……! あたしが……あたしが全部やるから!もう、誰も争わなくていい道を考えるから少しあたしの話を聞いて!」
しかしその声音は震えている。
焦り、孤独、そして自分を追い詰める責任感。
それらがぐちゃぐちゃに混ざり、
“声は届いているのに、言葉は届いていない”――そんな危うさが滲んでいた。
三勢力の代表者たちは、そんなエフィナの叫びを完全に誤解し、勝手に解釈する。
「小娘風情が我らを仕切ろうというのか!!」
「先程から同じ事しか言っておらんが?」
「耳障りのいい事を言って、具体的な案は何も無いではないか!」
怒号。
敵意。
魔力の暴走。
ついに三方向から同時に魔法陣が展開され、峡谷の岩壁が震え、火花が散り、殺気が爆発した。
(ちがう……!そんなつもりじゃ……!)
エフィナが後ずさる。
顔が青ざめ、手が震え、目の焦点が定まらない。
暴走はもう止まらない虚鳴峡が戦場になるのは数秒後。
三勢力が“同時に放つ”気配を感じた瞬間
「おい、お前ら!!」
カナトが、叫んだ。
ただの人間の少年の声。
だが、その声には何かがあった。
一瞬、三勢力の魔法陣が、揺らぐ。
「エフィナは誰の味方でもない!ただ……お前ら三つの世界を“失いたくない”だけなんだ!」
峡谷に響いたその言葉に、三勢力の代表者たちは動きを止め、互いに顔を見合わせる。
カナトは一歩前に出て、まるで怒る大人に向かって説得するように続ける。
「腹が立つなら俺が謝る!でも、エフィナを敵扱いするのは間違ってる!!」
沈黙。
そして魔力が、一つ、また一つと霧散していく。
「……ふん。まあ、今の言葉には筋が通っていた」
「ひとまず、引こう」
「戦う理由は薄れた」
三勢力の怒涛の気配が、収まった。
「よかった……」
カナトは胸を撫でおろし、エフィナの方へ振り向いた。
彼女は、石のように固まっている。
顔は青白く、唇は震え、涙を堪えている。
「エフィナ、大丈夫? 無理してない?」
カナトが手を伸ばす。
――その手を、
パンッ
エフィナは弾き飛ばした。
「……さわらないで」
小さな声。
しかし、その中には怒り、戸惑い、羞恥、そして深い孤独があった。
「あたしは……ひとりでやるって……決めたの……!」
カナトは目を見開き、言葉を失う。
エフィナはそのまま、走り去るように峡谷の奥へ消えた。
その様子をヴォルツが手で顎を触りながら眺めていた。
「……やれやれ。見苦しいのお」
初老の低い声がカナトに向けられる。
「ありゃあ、魔王の器ではないわ。感情に呑まれ、判断を誤る……。魔族を導く器量は、とうてい持ち合わせておらん」
ヴォルツはまっすぐカナトを見据える。
「どうだ、小僧。この継承戦が終わったら私の所へ来ぬか?」
その言葉に宿るのは嘲笑ではない。
確かな“評価”と“引き抜きの誘い”だった。
カナトは、しばらく黙ってヴォルツを見た。
そして――
「……へへっ」
少年らしい笑みを浮かべた。
答えは言わない。
言う必要がない。
カナトはただ、エフィナを追って走り出した。
ヴォルツはその背中を見送り、肩をすくめる。
「……やれやれ。まあ、あやつは“あの娘”にしか興味がないか」
その声は、少しだけ楽しげだった。
虚鳴峡の奥の細道。
岩壁に囲まれた薄暗い空間は、喧噪から完全に隔絶されていた。
エフィナはそこで立ち止まり、肩を小刻みに震わせていた。
(……なんで、うまくいかないの……)
三勢力の拒絶、暴走。
そしてカナトの選択。
胸が、ぎゅうっと痛い。
(頑張らないと……頑張らないと……!あたしがやらなきゃいけないのに……!)
泣きそうになる。
でも、それを許してはいけない、と強く自分に言い聞かせる。
「……泣くなんて……絶対、ダメ……」
指の背で目元をこすろうとした、その時――
「エフィナ」
背後から聞き慣れた声がした。
ビクリと身体が跳ねる。
慌てて涙をぐいっと拭い、顔をそむけた。
「な、なによ……カナト。別に泣いてなんか……ないし!」
カナトはゆっくり近づきながら、わざと優しく、わざと落ち着いた声で話しかける。
「エフィナ、ヴォルツと組んだのは――お前の邪魔をしたいわけじゃなくて――」
「聞きたくない!」
エフィナは食い気味に叫んだ。
「どうせ言い訳でしょ!?敵と組む意味なんてないもん!」
「……違うって。今の状況をひっくり返すには――」
「ほら!またそうやって……全部自分で決めちゃう……!あたしがダメだと思ってるんでしょ!?」
涙声が混じる。
カナトは少しだけ眉をひそめる。
(……時間がねぇのに)
三勢力は、ヴォルツの案で今は落ち着いてるがいつ暴発してもおかしくない。
ヴォルツは次の一手を見ている。
ジルヴァも黙ってはいないだろう。
こんな場所で、すれ違っている暇は、本来どこにもない。
焦りが、言葉を荒らす。
「エフィナ、今そんな話してる場合じゃねぇって!」
「……ほっといてよ!」
ビシッとした声だった。
そのままエフィナは、くるりと背を向けてしまう。
背中が、小さく震えているのが見えた。
泣きたいのを必死に堪えている、弱い背中。
だが今のカナトには、その弱さに寄り添う余裕がなかった。
数秒の沈黙。
カナトの靴音が、砂をわずかに踏む。
「……分かったよ。好きにしろ」
ぶっきらぼうな声。
本心ではない。
だが時間がない焦りが、言葉を硬くさせた。
そしてカナトは、本当に歩き出した。
エフィナを心配する気配もなく、ただ峡谷の出口へ向かっていく背中だけが、遠ざかっていく。
(……え?)
胸が凍る。
(なんで……行っちゃうの……?止めてほしかったの……?あたし、なにを、言って……)
カナトの姿は、もう見えない。
膝がくずれ落ちそうになる。
「……あたし……なにやってるの……」
震える声が峡谷に落ちる。
自分で突き放しておいて、離れられると苦しい。
怒ってほしかったわけでも、見捨ててほしかったわけでもない。
(どうしたらいいの……?あたし……どうすればいいの……?)
エフィナは膝を抱え、唇を噛んだ。
その瞳に浮かんだ涙は、もはや隠す相手さえいなくなっていた。




