第95話:共存継承戦③
転移陣がまばゆく光り、エフィナとカナトの視界が一瞬白に染まる。
次に訪れたのは耳鳴りのように低く揺れる“峡谷の咆哮”。
視界に広がったのは、底の見えない深い裂け目が幾重にも走る荒涼とした峡谷。
褐色の大地は乾き切り、ところどころ赤黒い煙が噴き出している。
風が峡谷の奥へ吸い込まれていくたび、まるで誰かが呻いているような低音が響く――
虚鳴峡と呼ばれる所以だった。
エフィナは、身体の芯までざわつくような不穏さに思わず息を呑む。
横でカナトが周囲を素早く見渡し、険しい表情で言った。
「……ここに三つの勢力がいるんだな」
風がドウッと吹きつけ、乾いた砂が二人の足元をかすめた。
頭上に淡い光の紋が浮かび上がり、ジルヴァの声が峡谷全体に響き渡る。
「候補者、エフィナ・ルア・ファルミナス、ヴォルツ・アビスホーン。そして補佐役としてエフィナ・ルア・ファルミナスの従者カナトとヴォルツ・アビスホーンの信者。これより共存継承戦を開始する」
声は静かだが、峡谷の鳴動と混ざり、まるで大地そのものが語っているかのようだった。
「舞台は虚鳴峡。ここには今、互いに敵対し、相容れぬ三つの勢力が存在している」
ジルヴァの声に合わせ、峡谷の別々の方向が光に包まれ、三つの存在が遠くにシルエットとして浮かび上がる。
一つは、粗暴な巨躯の影。
一つは、影のように静まり返った細い影。
一つは、うごめく獣の群れの影。
エフィナの背筋が冷たくなる。
ジルヴァの声が続く。
「お主たちの目的はただ一つ。この三勢力を“同じ目的の下に共存”させること」
峡谷の風が一段と強まり、叫びのように鳴った。
「時間制限は日没まで。いずれか一勢力でも外へ逃がしてはならない。争いを激化させてもならない。『虚鳴峡が沈黙する』状態――つまり、三勢力を同一の合意に導けば、お主たちの勝利となる」
カナトが小さく呟く。
「……緊張してきた」
エフィナはコクリとうなずいた。
「頑張ろうね」
そのとき遠くから地面が震えるほどの重い足音。
別方向からは獣の唸り声。
さらにもう一方からは、気配を押し殺した冷たい殺気。
三勢力が同時に動き出したのだ。
エフィナの喉が緊張でひきつる。
峡谷の風が、今度は“警告”のように耳元を切り裂いた。
ジルヴァの声が最後に響く。
「魔王候補者の諸君。お主たちが示すべきは、力の共存の形」
光の紋章がひときわ強く輝き、峡谷に白い閃光が落ちる。
「共存継承戦、開始」
ドォオオォン……!
峡谷が鳴動し、三方向から怒涛の気配が迫る。
エフィナは一度深く息を吸い、拳を強く握った。
カナトが横で短く言う。
「エフィナ、最初の流れを作るのは、お前だ」
その言葉に、エフィナはゆっくり頷いた。
虚鳴峡の三勢力を“共存”へ導く。
それが、今始まった戦いのすべてだった。
虚鳴峡の中心地は、三方向の裂け目から吹き上がる風がぶつかり合い、声すらかき消すほどの轟音が絶えない。
その渦中で、エフィナが一歩前へ出た。
「みんな……話を、聞いて!」
彼女は先の統治継承戦で学んだように、個々に寄り添う姿勢を示そうとする。
しかし返ってきたのは、明確な拒絶だった。
勢力①巨躯の戦族
巨人族の戦装束をまとった男が、一歩進むだけで地面が揺れる。
「小娘風情がッ!俺たち戦族に“共存”などほざくのか!」
怒号と共に、手にした岩斧を振り上げる。
振り下ろす寸前、エフィナは身をひねって避けるが、衝撃だけで足がすべって転げる。
勢力②影の一門
裂け目の上の細い岩棚から、闇の衣に身を包む刺客たちが冷たい視線を向ける。
「あなたに耳を貸す理由はありません。ここで他勢力を滅ぼせば、我らが峡谷の覇権を取れる」
影の中から、鋭い手裏剣の雨。
エフィナが咄嗟に障壁を張るが、弾くのが精一杯。
勢力③獣群
洞の奥から、獣の王らしき狼面の魔物が唸る。
「近寄るなァァ!」
群れが一斉に走り出し、エフィナに牙をむきながら迫ってくる。
「や、やめてっ――!」
エフィナの声は峡谷の風に掻き消え、三勢力は敵意を一点に集中させる。
その瞬間。
「そこまでだ。」
三勢力の動きが一瞬止まった。
地響きと違う、重い魔力圧が峡谷に広がる。
裂け目の上方に立っていたのは、漆黒の外套を纏った男ヴォルツ・アビスホーン。
背後には彼の精鋭部隊が控え、全員が薄く笑みを浮かべていた。
「全く……見ていられん。“共存”と言いながら、開始早々全勢力から嫌われてどうする?」
エフィナを嘲るような声色。
だが、その奥にあるのは明確な意図、主導権を奪い、弱さを見せつけたいのだ。
カナトが怒りを露わにする。
「今のはエフィナが悪いんじゃない!あんたは……!」
しかしヴォルツは彼を一瞥しただけで、再び峡谷全体へと視線を戻した。
ヴォルツは崖の縁から軽やかに降り立ち、三勢力の中央へと進む。
「諸君。まずは、落ち着いてもらおう」
足元から闇の魔力が広がり、峡谷の風の流れが一瞬で変わる。
巨人族は驚き、影の刺客たちは構え直し、獣族は耳を伏せて後退した。
エフィナに敵意を向けていた三勢力がヴォルツの魔力に注意を奪われたのだ。
そして、彼は静かに言った。
「我々はここで互いを滅ぼし合うために来たわけではない。まずは――君たちが“何を欲しているのか”を聞かせてほしい」
その言葉に、巨人族の戦士が鼻息を荒くしながらも応じる。
「……この峡谷の“水源”が欲しい」
影の一門の長は、冷たく言う。
「我らは他勢力の侵入を防ぐため、“上層の支配権”を得たい」
獣族の王は、低く唸りながら吐き捨てる。
「我らは……“狩り場の自由”が欲しい」
ヴォルツはニヤニヤと、しかしどこか優雅に口角を上げる。
「ほら、君が聞き出せなかった“核心”が、もう手に入った」
エフィナは悔しさに唇を噛む。
統治継承戦であれほどうまくできたのに今回は何も通じていない。
だがヴォルツは、さらに追い討ちをかけるように言った。
「君は優しさと共感で人を動かす。だが虚鳴峡は、そんな生易しい場所ではない」
わざと聞こえるように、酷烈な声で。
「ここでは“恐れ”こそが言葉になるのだよ」
その瞬間、三勢力が完全にヴォルツの方へ注意を向ける。
エフィナは拳を握った。
悔しさ、焦り、そして――絶対に負けたくないという想い。
カナトがそっと背中に手を添える。
「大丈夫。ここから巻き返すのがエフィナだろ?」
エフィナは小さく息を吸い、
三勢力とヴォルツを同時に見据えた。
ヴォルツが三勢力から引き出したそれぞれの要求。
エフィナとカナトはヴォルツから少し離れた所に立ち、三者の言葉を整理する。
エフィナは指を折りながら呟いた。
「……つまり、戦族は“水源”が欲しい。影の一門は“上層の高地”が必要。獣族は“自由な狩場”を求めている……」
ここまで聞けば単純な話に思える。
だが、決定的な事実が続く。
「しかも……全部、他の勢力の土地なんだ……」
カナトの眉がぴくりと動く。
「なら、共有すればいいじゃないか」
カナトはまっすぐに言い切った。
エフィナもうんうんと頷く。
「そうだよね!順番に使ったり、話し合って……」
その瞬間。
三勢力すべてが同時に怒鳴った。
「「「断固拒否だ!!!」」」
風がビリビリと震えるほどの拒絶。
カナトが珍しく目を丸くする。
「な、なんでだよ!?だって、お互い必要なんだろ!?」
巨人族は鼻息を荒くし、
「水源は我々の生命線だ!他勢力と共有だと?いつ毒を盛られるかわからんものを飲めるか!」
影の一門は冷淡に言い放つ。
「高地を共有した瞬間、防衛線が穴だらけになります。“誰がいつ侵入したか”の管理ができない」
獣族の王は唸り声で断じた。
「狩場は群れごとの“縄張り”だ。共有などしたら……我らは牙を抜かれたも同然だ」
完全なる平行線。
理屈は、それぞれ筋が通っている。
だが通っているからこそ、交わらない。
エフィナとカナトは顔を見合わせ、予想以上の困難さに小さく息を呑んだ。
その時。
ヴォルツはわざとらしく肩をすくめ、深いため息をついた。
「……やれやれ。これだから“理想論者”は困る」
斜め後ろで部下たちがクスクス笑う。
エフィナが眉を寄せる。
「どういう意味……?」
「君たちが言っているのは、“皆で仲良く分け合いましょう”だ」
ヴォルツはゆっくりエフィナたちの横を通り過ぎ、三勢力の前へと堂々と立った。
「だがな、ここは”魔界”そして虚鳴峡。人間界の理屈など通用せんのだよ。ここでは分け合えば、誰かが必ず“下に立つ”。それだけで殺し合いが始まる場所なのだ。そんな事、魔界の者なら常識だぞ?……おっと失礼、記憶がなかったのだったな。失敬、失敬」
エフィナを馬鹿にしながらも声は冷静で、その裏にあるのは圧倒的な支配意志。
「よく聞け、諸勢力」
ヴォルツの黒い魔力が足元から立ち上り、峡谷の風すら圧されて沈黙した。
「欲しいものをすべて独占したいなどという欲望に従えば、この峡谷は未来永劫、血に染まり続ける。」
その場の全員が固唾を呑む。
「だからこそ奪うのではなく、“貸し合う”のだ」
エフィナの目が大きく開く。
「貸し合う……?」
ヴォルツは頷いた。
「水源・高地・狩場。三つはどれも“完全譲渡”できない。ならば、権利を一定期間ごとに“輪番制”で移す」
カナトは目を瞬かせる。
「輪番……?」
「そう。共有ではない。“管理権”の輪番だ」
ヴォルツは指を三本立てた。
「一年ごとに、水源・高地・狩場を三勢力が入れ替わりで統治する。この方式なら――」
彼は三者を鋭く見据えた。
「“自分の時代”が必ず巡ってくる。そして“奪われる側”になる恐怖も理解する」
沈黙。
そして、三勢力は互いの顔を睨み合った。
巨人族は腕を組み、
「……一年だけなら、まあ……」
影の長は目を閉じ、
「悪くありません。責任の所在が明確になります」
獣王は鼻を鳴らし、
「……狩りの季節が回ってくるなら……我らは待てる」
その光景に、エフィナは小さく息を飲んだ。
自分の言葉は届かなかったのに、ヴォルツは一瞬で流れを掴み取ってしまった。
ヴォルツは三勢力の沈黙を確認し、まるで“当然だ”と言わんばかりに振り向いた。
「これが、共存の“現実的”な形だ。分け合うのではなく――均衡で縛る」
その目がエフィナを鋭く射抜く。
「君の理想だけでは、何も変えられない。ここから先は……君が“現実”を学ぶ番だ」
エフィナは拳を握りしめた。
悔しい。
でも――学ばなければいけない。
この共存継承戦は、“優しさ”だけでは突破できない。




